初冬に入って11月も末に、12月になろうとしているのに、どんよりとした雲行きながら
この暖かさはどうしたことか、と呟きながら道後温泉本館の裏道から何時ものだらだら坂に
入り、直ぐそこに古い格子戸の構えをした二階建ての小さな旅館常盤荘の前に指しかかる。
大正時代の建築になるそうだ、昔はこのような構えの旅館が軒を連ねていたのであろうが
今では道後でもこの一軒だけで、あとはビル群の集まりである。
「がらがらっと玄関の引き戸を開けると、ノスタルジックな空間に吸い込まれた
ぎしっぎしっ、踏み込むたびに鳴る階段
何十年という月日を支える木板の廊下、人工的には作れない光沢感と心地よい手ざわり」
と室内を見たい誘惑に駆られてよろよろと玄関の近くに歩み寄った、中から5,60歳の
粋な女将さんが出てきて「お泊りですか」と声を掛けられるのではないかと心配になり
その勇気がなくて通り過ぎてしまった。
だらだら坂を上りきると、そこは上人坂の入り口であった。坂の向こう200m位のところに
今から訪ねて行こうとする一遍上人誕生地の寶巌寺の山門が微かに見えた。
今でこそ上人坂と名を変えたが、昭和の前半までは松山でも名の知れた遊郭がずらりと
両側に並んでいたそうだ。道後松ヶ枝町と称して綺麗どころが手招きしていたらしい。
上人坂をのそりのそりと歩きながら、今では華やかな色町の面影一つなく、空き地や
駐車場になった周辺をうろうろ嗅ぎ、まるで廃家のように汚いバーらしきものが
一軒あるようで無いような奇妙な建物を胡散臭い目つきをしながらのそりのそりと
歩いて寶巌寺の山門の階段の前に立った。
見上げると古色蒼然とした立派な山門の裏になる境内の左右に聳えているのであろう
銀杏の大木が黄葉して見ごろな葉が空高くかぜに微かに揺れていた。
階段を上がり山門に立ち、左にある看板の説明文を読んでから境内に入ると
掃き清められたそれほど広くない庭園の左に本堂があり、奥まって事務所がある
その前には一遍上人の歌碑と歌人川田順の感銘を受けた歌碑が立っていた。
境内の右には手前から酒井黙禅の句碑、子規の句碑、斉藤茂吉の歌碑が順次に立っている。
境内は陰気ではないが、寂寞とした陰翳は強烈に初冬の空気に響いたものである。
これは一遍上人の成せる空気であろうか、何事にも屈せず、孤独を友として宗派に拠らず
一所に留まらずに流れるごときに念仏行脚を一生しながら旅に果てた孤高の仏僧であった。
和歌、法話
旅ころも 木の根 かやの根いづくにか 身の捨られぬ処あるべき
生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり
身を観ずれば水の泡 消ぬる後は人もなし 命を思へば月の影 出で入る息にぞ留まらぬ
六道輪廻の間にはともなふ人もなかりけり独りむまれて(生まれて)独り死す
生死の道こそかなしけれ
境界をもすて、貴賤高下の道理もすて、地獄をおそるヽ心をもすて、
極楽を願う心をもすて、又諸宗の悟をもすて、
一切の事をすてヽ申念仏こそ、弥陀超世の本願に尤かなひ候へ、
一遍上人は、死しても捨聖を貫く魂で
「葬礼の儀式をととのふべからず、野にすててけだものにほどこすべし」
今まで生きて成しえた事や行いなど、すべてを捨てる
自分の存在を捨てる事とともに、門弟の心からも存在を捨てろ。
栄西、道元、親鸞、日蓮、一遍と、蒼々たる鎌倉新仏教の開祖達
一遍上人は、これらの開祖の中でも一際異彩を放っている。
強烈なひとりの仏僧に想いを馳せながら、しばしの時を過ごし
ふらふらと境内を出たとたんに我に返り俗世に身を置いた
どんよりした初冬の空である。
この暖かさはどうしたことか、と呟きながら道後温泉本館の裏道から何時ものだらだら坂に
入り、直ぐそこに古い格子戸の構えをした二階建ての小さな旅館常盤荘の前に指しかかる。
大正時代の建築になるそうだ、昔はこのような構えの旅館が軒を連ねていたのであろうが
今では道後でもこの一軒だけで、あとはビル群の集まりである。
「がらがらっと玄関の引き戸を開けると、ノスタルジックな空間に吸い込まれた
ぎしっぎしっ、踏み込むたびに鳴る階段
何十年という月日を支える木板の廊下、人工的には作れない光沢感と心地よい手ざわり」
と室内を見たい誘惑に駆られてよろよろと玄関の近くに歩み寄った、中から5,60歳の
粋な女将さんが出てきて「お泊りですか」と声を掛けられるのではないかと心配になり
その勇気がなくて通り過ぎてしまった。
だらだら坂を上りきると、そこは上人坂の入り口であった。坂の向こう200m位のところに
今から訪ねて行こうとする一遍上人誕生地の寶巌寺の山門が微かに見えた。
今でこそ上人坂と名を変えたが、昭和の前半までは松山でも名の知れた遊郭がずらりと
両側に並んでいたそうだ。道後松ヶ枝町と称して綺麗どころが手招きしていたらしい。
上人坂をのそりのそりと歩きながら、今では華やかな色町の面影一つなく、空き地や
駐車場になった周辺をうろうろ嗅ぎ、まるで廃家のように汚いバーらしきものが
一軒あるようで無いような奇妙な建物を胡散臭い目つきをしながらのそりのそりと
歩いて寶巌寺の山門の階段の前に立った。
見上げると古色蒼然とした立派な山門の裏になる境内の左右に聳えているのであろう
銀杏の大木が黄葉して見ごろな葉が空高くかぜに微かに揺れていた。
階段を上がり山門に立ち、左にある看板の説明文を読んでから境内に入ると
掃き清められたそれほど広くない庭園の左に本堂があり、奥まって事務所がある
その前には一遍上人の歌碑と歌人川田順の感銘を受けた歌碑が立っていた。
境内の右には手前から酒井黙禅の句碑、子規の句碑、斉藤茂吉の歌碑が順次に立っている。
境内は陰気ではないが、寂寞とした陰翳は強烈に初冬の空気に響いたものである。
これは一遍上人の成せる空気であろうか、何事にも屈せず、孤独を友として宗派に拠らず
一所に留まらずに流れるごときに念仏行脚を一生しながら旅に果てた孤高の仏僧であった。
和歌、法話
旅ころも 木の根 かやの根いづくにか 身の捨られぬ処あるべき
生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり
身を観ずれば水の泡 消ぬる後は人もなし 命を思へば月の影 出で入る息にぞ留まらぬ
六道輪廻の間にはともなふ人もなかりけり独りむまれて(生まれて)独り死す
生死の道こそかなしけれ
境界をもすて、貴賤高下の道理もすて、地獄をおそるヽ心をもすて、
極楽を願う心をもすて、又諸宗の悟をもすて、
一切の事をすてヽ申念仏こそ、弥陀超世の本願に尤かなひ候へ、
一遍上人は、死しても捨聖を貫く魂で
「葬礼の儀式をととのふべからず、野にすててけだものにほどこすべし」
今まで生きて成しえた事や行いなど、すべてを捨てる
自分の存在を捨てる事とともに、門弟の心からも存在を捨てろ。
栄西、道元、親鸞、日蓮、一遍と、蒼々たる鎌倉新仏教の開祖達
一遍上人は、これらの開祖の中でも一際異彩を放っている。
強烈なひとりの仏僧に想いを馳せながら、しばしの時を過ごし
ふらふらと境内を出たとたんに我に返り俗世に身を置いた
どんよりした初冬の空である。