秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(親父と昭和とベニア板⑤金毘羅さん)

2011年11月30日 | Weblog
父に連れて行ってもらった観光地がある。小学校の低学年だったと思う。
兄が一緒だったのか、記憶は曖昧だ。
母も一緒だったのか…写真がないから、ココロの中にしまってある、ボロボロになった
記憶の写真を思い出してみる。
泊まった旅館は、
《まる屋》だった。
この名前は、覚えている。
2階の部屋。
テカテカに黒く光っていた、床。
2階の和室の窓際の、板の間に、応接間が一組。
布張りの椅子を見た時、うれしくて、ココロは有頂天だった。

何を食べたのかは、覚えていない。
※おでんの、こんにゃくではない あしからず…。

何故、金毘羅さんに出かけたのが、理由も知らない。
何か 父なりに 願い事があったのか?
知り合いの、昔の仲間に逢いに行ったのか…
そうですの。
この ワタクシっ!
世が世なら、父が芸能プロダクションの社長っ!
母親が、その花形スターっ!
その 娘となる!
…が 劇団は戦後に解散し、花形スターも家庭で 子育て!

世の中は、ブラウン管が シェアを占めて行った。

演劇団は 姿を 消していった。

この詳しいお話は、
読者の皆様は、ご存知だと 思います。

《彼岸シリーズ》
《唐津物語》
を思いだして 下さい。

…であくる日。金毘羅さんの石段を、上った記憶は、ほとんどなく…
坂道をずっと 歩いて下った 記憶は鮮明に残っている。

金毘羅さんの 下りのあの 坂道のコース。
他にも 歩いていた人達が、たくさんいた。
たくさん…いたっ!
たくさん…いたっ!

父の機嫌は いつも 上々~
家族でも 止められないっ!

『歌わな、いかんばい~』
『金毘羅さんの歌、歌うばい~!』
『大きな声で一緒に、歌うばい~!』

気がつけば…

歌わされて…いた…

『金毘羅舟々~おいてに帆かけて シュラシュシュシュ~廻れば四国は讃州なかのごおりぞうずさん~
金毘羅大権現~一度まわれば~金毘羅舟々~~』

父が デカイ声で歌い
なぜか 父の後から
歌わされ…
坂道を終わった頃には……歌を
覚えていた わたし…

回りの知らない人たちが、愉しそうに父を見て ほほ笑んでいた。

これを書きながら…
ふと 思った。

オッサンは この日に?
丸亀に行ったか?
前の日に…行ったか?
オッサンの金毘羅祈祷の目的は…

《舟券を当てたい!》か…?

坂道に響いた
金毘羅さんの 歌
ガラガラ声の、鼻のデカイ オッサンと オカッパ頭 眉毛の上で パックン女の子…

今の時代に
こんな 親子連れがいたら 珍しいので 逢ってみたい…

それから後
金毘羅さんを 訪れた時は
主人と一緒だった

歌は 歌わなかった。
あそこで…歌を 歌っていたら…
わたしは きっと 主人にフラれていただろう…
フラれる前に…
救急車でも 呼ばれたかも?

『患者は何かに取り憑かれています!搬送します!受け入れおねがいします!』

ピーポーピーポービンボ~ビンボ~♪

明日は祖谷村の忘年会!
行ってキマース♪























コメント
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