秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ( 命日に寄せて・雑感)

2014年11月01日 | Weblog



8年の春夏秋冬が過ぎた。
この宿借りブログに書かせて頂いた、徒然なるままの私の暮らし。
8年前、主人の葬儀の後、お世話になった方々に、電話をかけた。
殆んど、泣きながら話した事だけは、覚えている。
とにかく、泣けた。泣く。泣く。毎日、泣けた。

当時、この絶望感を、書き残さねばいけないと、自分自身を奮い立たせるように
徳島随筆大賞に応募した。
タイトルは、
『水無月まで』
結果は 最終選考に残り、佳作。
次の作品も、佳作。
この時の、内容は主人の消えた年金問題で、主人の二十歳までの足取りを探して
私達が、出会うまでの主人の職歴を、古いアルバムを取りだし、主人の友人に聞き
ひとつひとつ、主人にたどり着くまでの、内容だった。

タイトルは、『風の軌跡』
自己流は、ここ一番で、どうしても、今ひとつが、伸びない。私自身が、それは一番自覚している
それから、暫く、休んでいる。
多分、もう少し、年月が過ぎれば、無礼講の様に、書けるのだろうけど
どこかで躊躇している、もう一人の自分がいる。

8年間。ただ生きてきた。
生きていることだけで、精一杯だった。
本音を言えば、死ぬ理由も見つからないが、生きる理由も、特にない。
娘達は、本当に大切にして下さるが、
私は、先に逝った祖父母、両親、夫、友人者達との、思い出が、余りにも幸福だったから、
正直 この世界に 執着は、していない。
今は ただ 娘達の為に、もう暫く
『母ちゃん』
をやっていこうと、とりあえず、心のままに、生きている。

8年前、知人が電話で、言ってくれた。
『これからは、旦那さんの見られなかったものを、代わりに見てあげて、がんばっていかなくてはね。
娘さんの将来とかね』

泣きながら、頷いたことは覚えているが、
今になって思えば、代わりに見ると言うことは、
見たくないものも、一人で抱えていかなくては、いけないと言うことだった。

人間は皆
一人だ
一番の苦境に立たされていても、誰も 手を 差し伸べてはくれない

それは 皆 お互い様で、それぞれの生活に 流されながら、周りを見る 余裕がなくなる。

テレビで
ドキュメンタリー番組が、流れる。
闘病の末、奇跡の生還を果たして、喜びあう家族。
見ていて、嬉しくて 泣く。
街頭インタビューで、老夫婦が、楽しそうに話している。
見ていて、やっぱり 涙が出る。
他人の幸福な姿に 嬉しくて 涙が 溢れる。

8年が 過ぎた。
ガンバレ ワタシ
世界中の 同じ境遇のオバサンも
とりあえず 1日をガンバロウ!
合 掌

追伸
主人のアドレスに
『お元気ですか』
と メールした。
送信できません との表示。
天国には アンテナがないのか、メールは 届かなかった。
かしこ