秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷冬点描 山里の初冬 霧谷の冬紅葉に遊ぶ

2014年11月11日 | Weblog

晩秋の一日を霧谷に遊ぶことにしているぼくにとって今年は不整脈の治療である
カテーテルアブレーションの手術をした直後であり、諦めかけていた

医者の無理をしなければ良いとの言葉に、体の具合も順調なことからちょっと遅いかもと
思いながら8日は天気もいいので、霧谷に遊んできた

入口に車を置いて林道沿いの霧谷川を歩く、自然道の林道は傷みがかなりあり
車の走行には難儀する、それにゆっくりと風景に遊ぶには歩くに越したことはない

平日は土地の人たちが仕事で軽トラを動かす程度であり、休みの日はほとんど人が入らず
しずかに、風景を楽しむことが出来る

林道は何キロあるか定かではないが、3kあまりは何時も歩くのだが、霧谷川の清らかに
しずかに、軽やかな流れと、両岸に競い合うように色なす紅葉、黄葉、雑木紅葉、向いの山々は
何時の年も相変わらずぼくのこころを捕らえて離さない風景である

霧谷はほんとにしずかである、杉の植林はあるものの、自然林が比較的多く残っている
かなり、奥まった場所のIさんの別荘が一軒(ぼくの知る限りでは)ある

もう、10年ほど前になろうか、山里にクマがちょくちょく出没した年があったが、霧谷に遊ぶクマを
時々見かけたと土地の人が話していたのを覚えている
ひとがあまり入らず、民家も無いしずかな奥山であることが、クマにとって安心出来るのであろうか
その年はぼくが居を構えていた久保集落の最上のT老婦の裏山で蜂蜜の巣箱を狙ってクマが横行して
おまわりさんが見てきた帰りに寄り、食料を家の外に置かない様に注意されたことがある
久保集落の奥山は霧谷と尾根続きのようであるらしい

晩秋の趣と云いたいところだが、周りの風景はそのままの流れから初冬の空気が漂い始めており
風が運んでくる匂いは澄み切った乾いて肌を刺すわびしい冬の前触れそのものであった
やはり、初冬にあっても、なお、美しく色をなして、半ば散り失せようとする風情は冬紅葉の
言葉そのものであったし、あくまでも霧谷川はすっきりと清らかに流れていたものである

この風情に民家が点在して暮らしをしている人たちが居れば、なお、いっそう温かみのある
風景を醸しだしたであろうと思う、
ぼくには素朴なひとの営みがある風景が一番いいように思うしぼくの人生の思想感に
ぴったりと相うのである

もちろん、厳しい山歩きの自然の容赦なき振舞いも非日常的な風景も好きなのだ
人間をも蹴散らしてなぎ倒して、空の空にしてしまう冷徹さは小気味がいいものだ
ひとのいない、自然の風景の汚れのない清らかさに、そこに佇んで居たいと思う
だからこそ、ひとの暮らしの風景が好きなのかも知れない



色尽くし残る紅葉や霧谷ぞ

霧谷に遊びし我や冬紅葉

散り散りし紅葉の音はなかりけり