三味三昧 笛三昧

津軽三味線奏者、笛・尺八奏者、たまに胡弓奏者、なぜかアマ無線家
音楽好き趣味三昧人間「くまりん」のお気楽日記です

北日本民謡舞踊連合会総会でした

2025年02月25日 21時20分32秒 | 民謡・尺八・笛

昨日富山電気ビルで、北日本民謡舞踊連合会の総会並びに懇親会が催されました。

昨年までは佐藤松子流松博会の一員として参加していましたが、思うところがあり昨年末で佐藤松子流松博会から独立して、「貫昭会」として単独で北日本民謡舞踊連合会に加わることになりました。
小さな会ですが、津軽三味線や尺八笛といった当会の特色を活かして、積極的に活動していこうと考えています。
日本民謡協会会員は私と夢唯2名だけなのですが、これに伴い新年度から現在の佐藤松子流松博会から、加賀山会へ移籍という形になる予定です。

という訳で、下っ端ですが北日本民謡舞踊連合会の末席に加えていただきました。

アルコールが入ること必至なので、妻に高岡駅まで車で送ってもらって、あいの風とやま鉄道で富山へ。
富山駅からは何十年かぶりに地鉄の路面電車に乗って会場の電気ビルへ向かいました。

総会では新規加入団体の紹介をしましたが、懇親会でも何度も紹介していただき恐縮です。
私の席の後ろに、私の母の実家からすぐの所に住んでおられる三味線弾きのNさんが座っておられ、話に花が咲き、閉会後のコーヒータイムまでずっと話をしておりました。
世の中狭い!ということを実感した一日でした。



帰りもあいの風とやま鉄道で高岡へ。そのままわずかな乗り継ぎ時間でJR氷見線に乗り換えて氷見駅へ。何年かぶりに氷見線に乗りました。
かなりくたびれたキハ40ですが、何年か後にはJR氷見線もあいの風とやま鉄道に経営が移行されて、新型のディーゼル車になるようです。
前回乗ったときは夜だったので、今回はしっかり海側に座って、いつもは国道から眺めている風景よりもう一段海側からの景色を堪能してきました。








今朝何気なく新聞を見ていたら自分の名前が載っているのでちょっとびっくり。




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アウト・ドア賞6年賞をいただきました。

2025年02月11日 22時44分06秒 | アマチュア無線

アウト・ドア賞6年賞をいただきました。

移動してアマチュア無線を運用し、毎月50局以上と交信して、これを1年間続けるとアウト・ドア賞1年賞がゲットできます。
さらにこれを2年、3年・・・と継続すると、2年賞、3年賞・・・がゲットできます。
これを6年続けたご褒美です。




昨年は例年に比べて移動した日が少なめでした。


6年前に、何か目標を持ってアマチュア無線を続けようと思い立って始めたのがこのアウト・ドア賞でした。
私自身アマチュア無線を始めて45年が経ちますが、特に目標を決めてないと日々の暮らしに忙殺されて無線なんてやらなくなってしまう、ということを経験しています。
2000年頃から10数年は、インターネットの普及などもあり、ほとんど無線をやらなくなっていた時期もありました。
実際この頃に無線をやめていった友人が多くいます、というかほとんど残っていません。
そんな時に、たまたま開局したての頃お世話になっていた石川の先輩から、特別記念局の運用の依頼があったことで、これを機にまた無線の虫が騒ぎはじめて今日に至っております。

で、6年前から始めたアウト・ドア賞、去年は6月から7月にかけて1ヶ月間の入院があったり、本業が急に忙しくなって移動運用なんてやっている場合では無いこともあり、また音楽芸能活動が忙しくて週末はイベント続きということもありましたが、なんとか1年継続できました。
月末になって慌てて移動運用して50局達成という月が何度もありました。
我ながらよく頑張ったと思います。

KCJ(全国CW同好会)の先輩で15年賞をゲットされている方がいらっしゃいますので、当面はこの先輩の記録を目標にアウト・ドア賞を継続したいと思っています。

参考までにアウト・ドア賞、ペディション・アワードの規約を掲載しておきます。






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私の民謡尺八の師匠が逝去されました。

2025年02月11日 22時15分59秒 | 民謡・尺八・笛

私の民謡尺八の師匠、米谷威和久先生が逝去されました。
何の因果か、私の誕生日と同じ日でした。
9日の通夜に参列してお別れをしてきました。


結構若い頃の写真が遺影になってました、60歳代かも。


2009年、私の名取り式の時の写真です。




私が師匠の門を叩いたのは2006年の年末のこと。
実は地元の三味線屋さんで、近くに民謡尺八の教室はないかと尋ねたところ、その場ですぐに電話をして連絡を取ってくださって、その足で高岡市郊外の師匠の自宅へ行ったのでした。
年末から正月は時間があるだろうから吹いてみなさいと、古い8寸管を貸してくださいました。
それが私と尺八との出会いです。
私が50歳の時のことでした(私は今年古希です)

元吹奏楽部という意地?で頑張って練習をして、スカスカの音ですが少しは音がでるようになり、師匠の横で少しずつ実践も積んで、さてこれからという時に、師匠が自宅前の庭木の世話をしていて脚立から落ちて入院。何とか体は回復しましたが、耳が都合悪くなって結局その事故以来あまりステージに立つこともなくなりました。
師匠が行く予定だったイベントに穴が空くからといって、右も左もわからない私に白羽の矢が立ち、あちこちのイベントに師匠の代理でひとりで行くようになりました。
これが転機だったのでしょう、少しずつ自信も付いてステージに平気で立つことができるようになり、今日に至っています。
楽譜の書き方も師匠の見よう見まねで習得、沢山の楽譜を書きました。
頑固一徹を地で行くような師匠でしたが、いろんな事を学ばせていただき感謝しかありません。
ご冥福をお祈りいたします。

米谷威和男先生のカバン持ちだったとよく自慢しておられた師匠、きっと天国で威和男先生と楽しく尺八談義をしておられることと思います。
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能登半島復興応援民謡コンサート

2025年02月05日 23時14分08秒 | 民謡・尺八・笛

1月26日(日曜日)

加賀山昭・加賀山紋さんの、「能登半島復興応援民謡コンサート」で石川県珠洲市へ向かいました。



氷見市から珠洲市までは、震災前の道路状況の良いときで2時間ちょっと。しかし昨年元日の震災以降は道路がまだまだ復旧途中で時間がかかるよ、という話をあちこちから聞いていたので、早めに出発することにしました。
前日は新潟県糸魚川市で、スコップ三味線との共演を終えて自宅に帰ってきたのが22時半。
翌日の準備をして就寝したのが1時過ぎ。完全に寝不足状態でが4時半起きで6時前に氷見の自宅を出発しました。

能越自動車道で七尾市まではすんなり走れますが、七尾市から穴水町までの、のと里山海道が酷い状態でした。
至る所で道路が崩壊していて、迂回路が作られているのですが非常に走りにくい状態です。加えて夜明け前の薄暗い状況なので神経を使いました。
地元の人の話では、山間を走るのと里山海道をより海岸沿いの国道を走った方が楽だということでした。

穴水から珠洲へ向かう珠洲道路は比較的ダメージが少なく、心配していたほどのことも無くすんなりと走れました。
会場の珠洲市の「ラポルトすず」には8時半頃に到着。ホールへは9時にならないと入れてもらえないのですが、午後開演なのに既にお客さんが数名並んでおられました。

午前中は珠洲民謡会の皆さんのリハーサル。
珠洲民謡会の会長さんの江差追分は2尺2寸ということで、大慌てで裏吹き用のチ一の楽譜を赤字でロ一の楽譜の横に書いて、なんとかリハーサルには間に合いました。
最近2尺1寸管までしかケースに入れて無いのでたまにこんなことがあります。音大出てる尺八吹きは平気で裏吹きするのでしょうけど、専門教育受けてないのでロツレチを書かないとちょっと無理です。
簡単な民謡なら裏で吹くことができますが、江差追分は尺八伴奏だけにいい加減なことはできないし、ちょっと焦りました。

午後から本番ですが、尺八笛担当の私はほぼフル参戦。
前日の寝不足と、昼食に食べたシャケ弁の塩分のせいか、いまいち調子が出ませんでしたが、なんとか無事にステージは終了しました。
沢山のお客さんのニコニコした笑顔を見ることができて、かえって元気をもらった気がします。
珠洲の皆さん、民謡で少しは気が紛れて元気が出たでしょうか。
















今回久しぶりに珠洲民謡会の会長さん、尺八のKさんとも沢山お話しすることができました。
会長さん宅は地震で住むことができなくなって、緊急避難先の富山県・石川県のホテルを転々として昨年暮れにようやく仮設住宅に入ることができたそうです。
尺八のKさん宅も地震で納屋と蔵は倒壊、自宅は半壊で昨年末にようやく大工さんが入って補修ができたそうです。
業者や職人さんがなかなか間に合わなくて、とにかく復旧が遅いのだそうです。

帰りに見附島のほうを回ってから帰ろうと思い、海岸沿いを走りましたが、宝立町という辺りの状況があまりにも酷くて、そしてあまりに気の毒で写真を撮る気にもなりませんでした。
見附島は別名軍艦島と呼ばれていて、海岸の方から見ると立派な艦船に見えていたのですが、地震で崩れて昔の面影がありませんでした。これも写真に撮るのは気の毒でそのまま通り過ぎてきました。
震災から1年以上経っているのにあまりの酷い状態に心が痛みます。

帰りは穴水町から七尾市まで海岸沿いの国道を走って帰りました。
のと里山海道よりは走りやすかったですが、やはり至る所で大きな段差があったり注意が必要です。
寝不足がたたり、睡魔との戦いでしたが19時半に無事自宅へ帰還。
2日間で移動距離600キロ弱、タフな週末でした。


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スコップ三味線と共演

2025年02月03日 21時54分17秒 | 津軽三味線
久々のブログです。
なんせ、本業も芸能活動も超多忙で、インスタにアップするのが精一杯です。
約69年間生きてきて、今が最も忙しく動き回っているような気がします。
いつもは夜の部の仕事(本業)に取りかかっている頃ですが、不思議と夕食後に時間が空いたので、ちょっと気を取り直してブログを書いてみております。


1月25日(土曜日)

石川の杉山会さんの依頼で、民謡アトラクションでお隣新潟県糸魚川市へ。
13時半頃に入って下さいとの事だったので、氷見の自宅を11時に出発しました。
魚津ICから高速に入り、糸魚川ICで降ります。
会場は市街地から10キロほど山間に入った笹倉温泉。
海沿いのR8は全く雪の気配も無かったのに、次第に道路の両側には雪の壁が出現して、廃止になったスキー場も見えてきた頃ようやく笹倉温泉へ。

偶然か必然か、杉山会一行とほぼ同時に会場に着きました。
この時点でスコップ三味線との競演があるという事以外、この日の演目は全く聞いていなくて、大丈夫かと思いつつも、会場の下見をしたりして準備をします。
















1時間前にようやく演目が届きました。
秋田音頭の三味線なんて弾いたことありません、、、笛ならあちこちで吹いてますけど。
佐渡おけさの三味線も前奏は記憶に無くて、、、これも笛なら寝てても吹けますけど・・・
というわけで、秋田音頭はたまたま持っていた譜面を見てぶっつけ本番。
佐渡おけさは前奏がいまいち不安なので、笛で伴奏することに相成りました。

スコップ三味線とのコラボは人生初。
簡単な打ち合わせをして本番に臨みました。

演目は以下の通り。
・秋田音頭
・花笠音頭~真室川音頭~ソーラン節
・山中節~山中鉄砲獅子踊り
・佐渡おけさ
・越中おわら節
・スコップ三味線とのコラボ

何とか無事に上手くいきました。
笛伴奏のみの佐渡おけさは我ながらなかなか良かったと思います。
スコップ三味線とのコラボはリハよりも上手くいってやれやれでした。







イベント終了後は皆さん宴会モードに突入して楽しくやっておられましたが、私は翌日珠洲市へ行かなくてはいけないので途中で強制終了。
せっかく温泉宿に来ているのにお湯に浸かることも無く、お酒を頂くことも無く食い逃げして帰路についたのでした・・・残念。




駐車場の車には雪が20センチほど積もっていました。
雪かき棒は積み忘れていて仕方なく手で雪を払いました。
温泉近くの道は完全に雪に覆われていましたが、R8に近づくにつれて少なくなり路面が見えてきました。
今シーズンはじめてしっかりとした雪の上を走った気がします。
自宅到着は22時半。
イベント自体は超楽しかったのですが、妙に疲れを感じる一日でした(^^ゞ

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