私の民謡尺八の師匠、米谷威和久先生が逝去されました。
何の因果か、私の誕生日と同じ日でした。
9日の通夜に参列してお別れをしてきました。
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結構若い頃の写真が遺影になってました、60歳代かも。
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2009年、私の名取り式の時の写真です。
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私が師匠の門を叩いたのは2006年の年末のこと。
実は地元の三味線屋さんで、近くに民謡尺八の教室はないかと尋ねたところ、その場ですぐに電話をして連絡を取ってくださって、その足で高岡市郊外の師匠の自宅へ行ったのでした。
年末から正月は時間があるだろうから吹いてみなさいと、古い8寸管を貸してくださいました。
それが私と尺八との出会いです。
私が50歳の時のことでした(私は今年古希です)
元吹奏楽部という意地?で頑張って練習をして、スカスカの音ですが少しは音がでるようになり、師匠の横で少しずつ実践も積んで、さてこれからという時に、師匠が自宅前の庭木の世話をしていて脚立から落ちて入院。何とか体は回復しましたが、耳が都合悪くなって結局その事故以来あまりステージに立つこともなくなりました。
師匠が行く予定だったイベントに穴が空くからといって、右も左もわからない私に白羽の矢が立ち、あちこちのイベントに師匠の代理でひとりで行くようになりました。
これが転機だったのでしょう、少しずつ自信も付いてステージに平気で立つことができるようになり、今日に至っています。
楽譜の書き方も師匠の見よう見まねで習得、沢山の楽譜を書きました。
頑固一徹を地で行くような師匠でしたが、いろんな事を学ばせていただき感謝しかありません。
ご冥福をお祈りいたします。
米谷威和男先生のカバン持ちだったとよく自慢しておられた師匠、きっと天国で威和男先生と楽しく尺八談義をしておられることと思います。