悪魔のような一週間が何とか終了しました。
体はボロボロ、もう水曜日というのに、いまだ復活できていません。
さて、とどめの週末顛末記。
金曜日は前日記にも書いたとおり、市内某所での津軽三味線演奏でした。
結局帰ってきてから仕事を片づけ始めて、寝たのが朝方5時頃。
土曜日は朝から、津軽三味線友の会というか、師匠のところの「認定者講習会」。
これがお隣石川県珠洲市の旅館でやるのですよ。
仕事がなければ早朝から行くつもりでしたが、結局午前中は昨晩残した仕事を片づけて、お昼過ぎに氷見を出発して珠洲へ向かいます。
なるべく最短距離を走ろうと、氷見から山を越えて鹿島へ出て、そこから旧鹿西町を経由して能登有料の上棚矢駄ICへ。
あとは珠洲まで一直線ですが、結局2時間30分かかりました。
珠洲市の山の中の良い雰囲気の宿です。
さてこの研修会、何をするかというと、
津軽三味線の偉人達の映像を観たり、SP盤の音源を聞いたり、というのがメイン。
私のコレクションの瞽女さんのDVDや、テレビ放送を録画した貴重な映像なんかも鑑賞したりしました。
私は午後からの参加だったのですが、朝からみっちり鑑賞された方々は大変だったと思います。
夕方からは、能登のほうで活躍しておられる先生方に、唄づけの練習をさせてもらうという企画がありまして、これはなかなか貴重な体験でした。
私の生徒さん3人は、じょんから節新節とあいや節を各一題ずつ。
私は小原とよされで練習させていただきました。
夕食後はアルコールがはいって、いつもの通りのわやわや状態に。
当然私の生徒さんたち3人は、師匠のターゲットに。
皆さん何故かアルコールが入ったほうが上手く弾けていたようで、、、何で??
そして夜も更けて、これもいつものお決まりの師匠と私の、打ち合わせ無しのセッションに。
今回はじょんからに加えて、陰旋律のあいや節でもセッションしました。
気持ちよく結構長い時間弾いてたようです。
生徒さん達には非常に良い刺激になったようでした。
酒も無くなったので3時半にようやく就寝。
長い研修会でした。
さて、翌日曜日。
この日は午後1時から、砺波市某所でとなみ野民遊会の民謡ライブです。
あまりゆっくりもしていられないので、朝食後速攻で砺波へ。
下道を通ると時間がかかりそうなので、能登有料~北陸道というルートで走ります。
寝不足+2日酔いでどうも調子が出ないまま本番に。
35曲、3時間ぶっ通しのライブでした。
津軽三味線も1曲弾きましたが、なんせ調子が悪いのに加えて、ずっと尺八を吹いていたら左手指が固まってしまって、三味線どころの話ではありません。
津軽三味線の出番の前から、何とか手指をマッサージしていましたがボロボロの演奏でした。
次からは出演順も考慮してもらわなければ・・・・・
最近の私のマイブームでもないのですが、尺八譜は出来る限り暗譜するようにしています。
今回突然変更になった一曲を除いて、34曲譜面無しで吹きました。
月曜の富山新聞に記事が出ていました。
一日遅れで火曜日の北日本新聞にも載っていました。
この民謡ライブが終わった時点で、もう体力の限界だったような気がします。
なんせ3時間立ったまま尺八を吹き続けていたのですから・・・・
しかし、最後に高岡市芸術祭のリハーサルが待っていたのです。
せっかくの反省会もパスして、弁当だけもらって速攻で一旦自宅へ帰ります。
大急ぎでシャワーをして、高岡市の某公民館へ向かいました。
曲目は以下の通り、踊りの方々との初顔合わせです。
お立ち酒
隠岐祝い音頭
広島木遣り音頭
南部俵つみ唄
お立ち酒は尺八一本なので、プレッシャーがかかりますねぇ。
本番は一杯飲んでからの方が良いのでしょうか・・・・(笑)
で、最後に郡上節(川崎)だったのですが、これが尺八の代わりにフルートに入ってもらってのコラボということだったのです。
が、フルートのおねーさんに渡されていた譜面は三味線文化譜一枚だけ。
音大で邦楽専攻の方なら何とかそれを見て吹けるのかもしれませんが、まず無理な話ですわな。
フルートのおねーさん、可哀想にパニックになってました。
で、邦楽と洋楽の通訳として私が呼ばれたのです。
でも三味線譜にしっかりと旋律が書いてあるわけもないし・・・・
おまけに高さが1尺8寸(D)ならまだ何とか辛うじて説明できたのかもしれないのですが、1尺7寸(E♭)だったのですわ。
まして、郡上節は陰旋律。
こんなん説明してたら、夜が明けるわ・・・・
という訳で、あっさりギブアップして、後日五線譜に書いて送ると言うことで、当然の如く私の宿題になったのでありました。
私、いつまで経っても宿題だらけなんですけど・・・・
困った問題です。
というわけで、18日から始まった悪魔のような9日間は、なんとか最後はヘロヘロになりながらも終了したのでありました。