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さくらんぼ狩り2010

 毎年この時期さくらんぼ狩りに出かけるのだが、今年は天候のためかシーズンが遅れ、その上早く終わってしまった。そんなわけでいつも伺っている山梨県の塩山にある田中農園とはタイミングが合わない。インターネットで調べ、少し標高の高い長坂の岩原果樹園に出かけた。

 11時頃に着いて一人2千円を払い、指定されたさくらんぼ畑へ。ところがすでに食べつくされた木々に色づきの良いさくらんぼは少なく、甘みも少ない。

 農園の人に、おいしいのが食べたければ9時半に来なくっちゃと言われたが、それは無理と言うもの。予約制と言いながら客を入れすぎとしか言いようが無い。

 さくらんぼはこんな状態。大きさも小ぶりで見た目も華が無く寂しい。

岩原果樹園のさくらんぼ狩り

 小さな子供も来ていたが、子供の手の届くところに食べられる実は無い。彼にとってさくらんぼ狩りが楽しい思い出になっていると良いのだが、、、、




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電子機器の寿命とPCと私

 電子機器の寿命に大きく影響するのは温度である。

 ICなどの半導体はたとえば40℃の時の故障率が1とすると、60℃になると故障率は10、80℃では100になる。そのほかアルミ電解コンデンサを使っている機器では温度が10度上がると寿命は半分になるともいわれている。

 それに温度差も寿命に大きく影響する。電子機器に電源を入れると発熱し、切ると冷たくなる。この温度差が電子部品の寿命に大きく影響する。実際電子機器の寿命試験には温度サイクルといって温度の上げ下げを繰り返す試験が行われている。

 こまめに電源を切るのは電力消費量という点ではエコロジカルかもしれないが、電子機器の寿命を大きく損ねている。こう考えると電子機器を製造するための資源やエネルギーを考えると単純に得策とはいいがたい。

 実際、我が家ではPCの電源を入れっぱなしにしてあるがハードディスク以外のハードウエアが故障したことは無い。もちろん定期的なシャットダウンはOSを安定させるために必要だが、すぐに立ち上げるようにしている。

 ノートパソコンについては机の面から浮かして冷却のための空気の移動を容易にし、冷却ファンの掃除をこまめにやって来た。

 ところが最近購入したデル社のstudio15の発熱がかなり多い。連続通電しているのだが、夏をむかえ温度が上がりすぎるのではないかと少々心配になってきた。そこで投入した新兵器。ELECOM社の冷え冷えクーラー。ネーミングに違和感はあるがしっかりした作り。

ELECOM社の冷え冷えクーラー
 
 実際の効果を数字で表すためにスーパーパイを実行。冷え冷えクーラーのファンをオンした時とオフ時での温度の違いをcoretempというフリーソフトで測定した。

coretemp

 上の写真はクーラーファンを切った状態での温度。このCPUにはコアが4個入っているのだが、高いものはジャンクション温度が89度にも達している。Tjmaxが100度だからひやひやもの。実際coretempの表示が86度以上で色が変わるから警告の意味もあるのだろう。

 この状態でファンを入れると74度から79度の間に分布するので、10℃程度さがることになる。たった10度と思うかもしれないが最初に書いた経験則にのっとれば寿命が3倍伸びることになる。

 インテルのCPUには3年間の品質保証があるから、平均温度を10℃下げると9年くらいはもつことになる。9年???、私にとってもPCにとってもオーバースペックと言われれば、その通りと言うしかないのだが、、、、




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映画、ザ・ロード

 東京の郊外、中野にある「なかのZERO大ホール」にザ・ロードの試写会を見に出かけた。

 原作がピューリッツァー賞を受賞したという終末もの。映画の中では説明されない災害のために10年ほどという短期間に文明を失った世界で、父と息子が理由を明かされないまま南に向かう。映画の導入部分はなかなか良い。映画が進むに連れ、だんだん謎が明かされエンディングに向かっていくのだろう。

 何らかの理由で人間以外の動植物が絶滅した地球上で、生き残った人間は人間を食料としている。主人公である父は、この災害が起こった後に生まれた息子に旧世界のモラルを教える。人間を食べることは悪いことだと。
 
 映画にも起承転結が必要かどうかはわからないが、この映画は30分経っても1時間経っても1時間半経っても同じような場面が延々と続く。この単調さは最後の30分を効果的にするための戦略的な単調さだと思っていたらそのまま映画は終わってしまった。

 何が起こったのかの説明が無いからこの父子の行動の妥当性もわからないし、何が目的なのかも結局分からない。この父子の考え方は彼らに益をなしたのだろうか、これから益をなすのであろうか。

 人間以外に食べるものは無いという設定は、もちろん設定としてありうるが、それなら人間を食べないという決断は矛盾する。またこの映画で狩る側は集団で行動し、狩られる側は個であるのも納得できない。人間以外に食べるものは無いという設定以外に隠れた設定があるのかもしれない。

狩る側


 そんなわけで物語としての体をなしていない、救いの無いこの映画、途中で何度も腕時計をみてしまった。わざわざ出向いた時間がもったいなかったというのが率直な感想である。

 このままではあまりにも癪なので、映画が終わってから隣の東中野まで移動し、ピッツェリアGGでビールとおいしいピザを頂いた。帰りの電車の中ではおいしかったピザの記憶しか残っていなかったのが救いであった。





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火を噴く電子レンジ

 インスタントラーメンでも食べようと電子レンジでカップヌードルを温めてたらいきなり電子レンジが火を噴いた。あわてて電子レンジを止め中を覗くと壁に穴が開いている。

電子レンジ


 電子レンジにはマイクロ波を供給するための開口部があり、普通この部分がマイカ板でふさがれている。マイカ、つまり雲母を砕いてシート状にしたものがマイカ板で、高温に耐えるはずだが、これが溶けて穴が開いてしまったのだ。

穴の開いた電子レンジのマイカ板


 本来この部分が加熱されることは無いはずだが、飛び散った食物がここに付き加熱されてしまったのだろう。

 これだけで電子レンジを新品に換えるのはもったいないので修理することにした。このレンジはサンヨーの1990年製EM-R1。とりあえずサンヨーのサービスセンターに電話したが、古い機種なのでサポート範囲外だという。さもありなんとは思うが部品在庫を調べる気配が露も無いのがちょっと残念。そんなことをしていると潰れてしまうぞといいたかったが、そこは大人、がまん我慢。

 とにかくマイカ板を入手しなくてはならないのだが、どう検索しても入手方法が分からない。半分あきらめかけたとき知人宅でも電子レンジが壊れたという。これ幸いとマイカ板をはずしてそれをもらった。

 さて修理である。マイカ板をはずしてみる。マイカ板の奥にはマグネトロンが鎮座されているのだろうと思っていたが予想は見事にはずれ、導波管というかホーンアンテナのような形状が見えるだけ。これなら穴をふさげば問題なしと判断。

電子レンジ



 穴の開いたマイカ板のとけた部分を取り除く。

電子レンジ


 もらったマイカ板は少々小さいが穴をふさぐのには十分。

電子レンジ



 無事修理完了。

電子レンジ


 電子レンジの庫内に食物のかすが付いているとそこが加熱されてしまう。金属部分は問題が少ないかもしれないがマイカ板の耐熱温度は600度位らしいから穴が開いてしまう可能性がある。

 そういう訳で電子レンジの庫内は常に清潔にしておくことをお勧めする。ただしマイカ板は機械強度が低いので強くこすらないように。





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長谷川潾二郎(はせがわりんじろう)展

 NHKの日曜美術館で紹介された長谷川潾二郎(はせがわりんじろう)展を見たいというリクエストがあり、神奈川県の平塚美術館に出かけた。

 私の感覚では相模川を越えるということは、文明果つる地に出かけるということで、競艇や競輪で有名な平塚に美術館があるとは知らなかった。その上長谷川潾二郎という画家も知らなかったので全く期待しないで出かけた。

 カーナビに従って美術館の駐車場につくと入場待ちの車が列をつくっている。車のナンバーを見ると品川ナンバーやら横浜ナンバーが多い。それでも5分くらいで中に入ることが出来た。

 館内はそれほど混んでいなくて、インターネット割引券をプリントして持ってきたので入場料を600円払って展示室へ。

 館内のそこここに長谷川潾二郎の言葉が表示されている。例えば、

===================================

 私は彼の言う通り目の前にあるものを描く。しかし、それは実物によって生まれる内部の感動を描くのが目的ですから、実物を描いている、とは言えません。つまり私が描いているのは実物ではありません。

しかし、それは実物なしでは生まれない世界です。

この間の事情は外部の人には一寸判りにくい所があると思います。一番重要なことは、描く前の心の在り方だ。

目前にあるものが美に輝く時、それは神秘の世界から現れた贈物のように見える。洲之内氏が私の画を「この世のものとは思われない趣さえある」と言う時、私の気持ちを他の方向から感知していると思う。私の考えでは、「この世のものとは思われない」のは目前の現実で、目前にある現実が、「この世のものとは思われない」ような美に輝いている事実です。

===================================
 
 などを読むと、ちゃんと理解しているか自信はないが、なんとなく分かった気にさせるのがすごい。

 実際に絵を見てみると、私の好きな緑色がとにかくきれいである。それと白の表現もすごいと思わせる。紙袋の白、キャラメルの包み紙の白、テーブルの白、卵の白などの質感から長谷川の感動が伝わってくる。

長谷川潾二郎

 構図、特に静物画の構図もケレン味の無い無駄な要素を省いた、それでいて計算しつくしたのだろうという構図が心地よい。

 展示は6月13日(日)までだから機会があれば観に出かけることをお勧めする。そしてせっかく湘南を通り越して平塚まで来たのだから何かおいしいものを食べて帰ろうという向きには、橋を渡って茅ヶ崎に戻り、「ととや山口」の文明の薫り高い繊細な魚料理がおすすめだ。 


 
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金太郎飴的投資術

 今日は金太郎飴について語ろうと思う。と言っても、鳩山元首相の辞任を受けて今日発足した菅内閣について語ろうというのではない。

 東京の下町にある根津神社のつつじ祭りを見に出かけた帰り、金太郎飴本舗の店舗を見つけた。確か金太郎飴と名乗れるのはここだけのはず、ということで買ってきた。

金太郎飴

 「金太郎飴のような」というのは誰がやってもあまり変わり映えしないことの例えだが、実際に金太郎飴を切ってみると、表情豊かであることに驚く。この硬い飴を一定の角度で切っていくことはなかなか難しく、一個一個の角度が違ってしまうので金太郎の表情も色々となるのがとても楽しい。

 そんなわけで金太郎飴は日本が世界に誇る文化遺産と思っていたが、最近こんなものをもらった。

papabubble

 本店はスペインにあるというパパバブレのキャンデー。東京の中野に店があるらしい。図柄は単純で断然金太郎飴に軍配が上がるが、なぜか写真写りは良い。それにこの飴は切った状態で売っているので金太郎飴のように自分で切る楽しみは無いが、それでも味はドロップに似ていて、バラエティに富んでいるのがなかなか面白い。

 金太郎飴本舗では「切っても切っても民主糖」も売っているようだ。ジョークとしては出来すぎの感もあるが、この際、記念に鳩山バージョンを買っておこうかと思っている。将来レアものとして値が上がるという読みだが、、、、、、



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