南部氏と蒲生氏に関して
もう一つの情報が入ってきた。
前回、南部重直の母が蒲生氏郷の妹とあったが、氏郷の妹に小倉行春の室とあった。(wikipedia)
蒲生賢秀の息であった氏郷。
氏郷の母は、後藤賢豊の妹であったそうだ。
小倉実隆と兄弟でもあった父賢秀。
まだまだ知らないことがありそうなので、調べてみようと思う。
九里浄椿は、小倉実隆の父という説もある小倉実澄のもとで文化的なことを学びつつ、共に暮らしていた時期があるという本もある。
小倉氏
1506年に実澄は歿している。
行春は小倉西家の秀実の息となっているであるようだ。(行春の娘は蒲生賢秀の室である。)
雑談なのですが、光行って、系譜に歌人と有り、どっかで見たなあと思ったのですが、新古今和歌集雑歌上に
源光行
心ある人のみ秋の月を見ばなにをうき身のおもひでにせむ
と言うのを思い出しました。
いよいよ冬到来ですね🥶
((〃´д`〃))風邪など引かないよう十分御注意下さい😃
コメントありがとうございます!
源光行(源氏物語の研究者)・土岐光行・甲斐源氏の南部光行が同時代に生きていていたようです。
和歌の光行は、源氏物語の研究の他に平家物語の創作に関わったのでは、とも言われているようですね。
鴨長明とは知り合いだったのでは、と思われます。
人生の中ごろから関東に暮らしていたのかもしれません。鎌倉幕府の政治にも顔を出しています。
さて、富木常忍は源光行の五男という噂もあり、
どの人物が合うのだろうか?と調べているところです。
文官でもあった常忍なので、源氏物語の光行様かもしれないですし、近江の蒲生氏ともつながりのある南部光行様だったかもしれず、また、富木という名からも土岐氏の光行様であったかもしれない・・・・という、事になっております。
何か、ヒントなどございましたら、ご教示くださいませ!!