草もち姫 徒然なるままに

日暮し、PCにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

年末の築地→江戸の足あと「砂むら元八まん」ゲット

2013年12月30日 | 広重江戸百景

今年はぐるなび人気ナンバー1というおせちを注文してみた。15000円で30日に届くので、生協さんも止めてしまったし、これで細かい買い物はしないと決めた!

通常生ものはお正月に食べない我家ですが、今年は初めて「まぐろ」と「カニ」を食してみようかという話になった。

ちょうど帰宅していたあんころ姉さんとヨモギ源氏とで年末の築地に社会科見学、、私は2年前の12/28に行っているが、今年はどんなもんだろうか?

首都高速はすいすい、寒いけどいい天気なので富士山もばっちり見える。富士山の見えない場所で育った静岡県民なので毎日でも嬉しい!運転しないので写真が撮れる!

    

いよいよオリンピック効果で首都高速が改修工事に入ってくれそうだが、最近は東名→首都高速よりも安い保土ヶ谷バイパス→狩場線→首都高速を利用することが多い。ETC割引があっても550円と900円の<900円だけの違いは大きい!そして年末は東名の東京付近がなぜか混んでいる。おまけに今までずーっと工事中だった「汐留」が開通してて築地にはあっという間についてしまった。

    

しかし、、両側ものすごい人並み、交通整理にパトカーも登場している。何とか駐車場を確保。いざ、、人混みへ参らん!

    

テリー伊藤さんの実家の卵焼き屋さんは整理券を配っている(^^ゞ姉さん「T」ポーズ(笑)

    

とりあえずマグロ・カニ・酢ダコ・鮭の切り身・サバ・マグロの佃煮・などを買ってみた。とにかく恐ろしいほどの人出で長居は無用(^^ゞ

あんころ姉さんを送りながら西大島近くの広重ポイントに行ってくれることになった!!今年はもう終了と思っていたけどおまけの一か所です。富岡八幡宮じゃないよな、、

「砂町」とか「砂町商店街」とか「SUNAMO」などで有名ですが、急にARカメラが47mになった。旗がなびいていてどうやら神社のようです。降りて行ってみました。

    

    

解説よればここが本家で、門仲の富岡八幡宮は後で出来た物のようです。「砂むら元八まん」ゲットです。「広重の名所江戸百景にも描かれ、、」とあります。

    

水平線に浮かぶのは房総の山々、現在の荒川河口付近の様子で干拓地だった。右下の八幡宮は周囲の自然が厳しいことから内陸の深川に移り「富岡八幡宮」を創建するに至ったとあります。境内はそのまま残されたので「元八幡」と呼ぶそうです。確かに古さは格別です。これで96か所ゲット残りは23か所です。

    

めったに見られないような「富士塚」があります。出羽三山って言うのもあるし、とにかく富士山や出羽三山に行ってみたかった昔の人の気持ちの表れでしょう。

                  

 西葛西のインド料理を食べてみようとググりながら行ってみたが、日曜日でお休み、、突然姉さんが「びっくりどんきー」行こう!でかなり遅めの昼食になった。チゲなべ風半バーグ(笑)・おろしハンバーグ・シーハーハーサラダ、、って何?she-her-herってことですかね?

    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三保松原(みほのまつばら)、、さすがでした(*^_^*)

2013年12月30日 | お出かけ

世界遺産に認定された富士山、、の際にすったもんだの末に(笑)加えていただいた「三保松原」子供のころに一回行っているはずだが、混んでいそうだな(^^ゞ

「三保の松原」だと思っていたけど、正式には「三保松原」で「みほのまつばら」と読むらしく、日本語を勉強する外国人には迷惑かもしれない(笑)

首都圏からの年末年始のバス旅行で焼津のおさかなセンター(年明けは三島大社)→駿河湾クルーズ→三保松原というのがあって申し込みしようか?と思っていたほど。

本家で読んだ静岡新聞の朝刊にも宣伝が載っていた。

実家からの帰り、いつも立ち寄る母の古くからのお友達のお宅に寄ったら張り紙がしてあって、、「親戚のお宅に問い合わせるように」とのことで行ってみたら、、なんと(^^ゞ亡くなられていた。91歳で一人暮らし、メールも使える達者な方で、母の編み物の先生、最盛期には二人で手芸教室を主宰して二人で「野次北」とか言いながら名古屋とか大阪の勉強会にも出かけて母もとても楽しそうだった。生涯独身の、地元の教会では長老さんのおひとりでもあった敬虔なクリスチャンで、私が子供のころから、大人になって結婚しても子供達もすごく可愛がっていただいた方だったので本当に悲しかった。でも今頃は天国で母と楽しく話をしている気もした。

泣きながら車を運転して従兄のところに寄る。ここの叔母も昨年亡くなってお線香をあげてまたひとしきり淋しい気持ちになった

が、気を取り直して、何とか良い日にしたくて「焼津のおさかなセンター」か「三保の松原」に寄って帰ろうと決めた。悩んだが団子より花を取ることにした。

従兄の家は新東名の「森IC」近くなのでそこから乗ったが、今まで唯一行ったことのない「藤枝P」に寄ってみた。トイレくらいある?の予想に反して立派な施設があり、お食事どころもお土産も充実していた。なんでか「ロイヤルのスイートポテト」が買える??

                  

特に昔から高校サッカーの名門「藤枝東」のおひざ元でなんと藤枝東のレプリカユニフォームが買えるらしい(笑)そして長谷部選手の出身地なのでもう、、長谷部一色!

「サッカーエース最中」買ってしまった!!

                

三保の松原は「清水」→東名の「清水」から出て11kmだった。真っすぐ前に富士山が見える!!赤信号の度に写メを撮る!

          

「御穂神社」を右折して松並木に沿って走ります。無料の駐車場があるようだが、年末年始用の臨時駐車場も用意されているようです。観光センターもあって資料ももらえます。

    

お土産屋さんも活気があります。「安倍川もち」とか「お茶」「チリメン」などがよく売れているようです。安倍川もちの試食は必ずきな粉とあんこダブルでもらえます!!

        

まずは「羽衣の松」です。先代は引退して2代目なようです。イメージとしては一本の木だったのでこんなにたくさんの中にあるとは(^^ゞ

松林って言うからこれでいいんだけど(笑)

                      

とにかく、、海も空も青く、白い波と、富士山の雪の白さと、松原の緑と、、きりっとした景色が本当に美しいと思いました。

                                                     

どこかの陸上部がトレーニングに来ていました。同じ砂場のランニングでも富士山バックなら2割3割増しに頑張れるかも(*^_^*)

  

帰り道の「東海大学前」の文字に誘われて交差点からちょっと入って見学(笑)帰りは旧東名でも良いかな?と思ったけどかなり風が強かったのでトンネルの多い新東名を選択

「足柄」SAに寄って、お正月にも使えそうなものをいくつか仕入れて帰宅しました。行き帰り渋滞なしで満足のドライブでしたが、ちょっと悲しい年末にもなりました。

          

      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亡くなる母校の姿を写真に残しておきたい

2013年12月30日 | 日記

私や安東氏、京姫、千姫、オレンジパパ、T氏の母校でもある静岡県立二俣高等学校今年11月でちょうど開校100周年なのだが、残念なことに過疎化で近くの「天竜林業高校」という日本でも数少ない林業科のある高校と合併して「天竜高校」というものになる事が決まってしまった。

校舎は別の場所になるので母校は無くなってしまうのと同じだ。11月には100周年記念イベントがあって、同窓会の幹事をしていた弟や、ゲストに呼ばれるポジションの安東氏など主に地元の方が集まったらしい。

記念の石碑を作ったというのでそれも見てみようと、、もちろん校舎の中には入れないが、校舎以上に親しんだテニスコート、部室、水飲み場などを歩いてみた。

                

もう一部解体作業に入っていて、こんな看板を見たら本当に淋しい。グランドだけは残るらしいのでひょっとしたらテニスコートは残るかも?

                

徒歩3分の家に戻るついでに、ぐるっと諏訪神社まで廻ってみた。小さなころからよく遊んだ二俣川、かなりコンクリートで固められてるがたくさんの思い出がある。

          

古い街なので蔵も残っている。幼馴染のお家も残っている、お茶屋さん、床屋さんここからは自分の為の写真なので、、おがまいねぐm(__)m

                                

郷土のヒーロー世界のホンダの本田宗一郎さんは地元の二俣小学校出身なので、NPO法人の運営する「本田宗一郎ものつくり伝承館」があるが年末休みに入っていて見られなかった。また来年早々に来てみよう。

      

もちろん諏訪神社もお正月を前にして小休憩状態かな?

          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先祖が女流俳人?

2013年12月30日 | 芸術

中学か高校時代に亡き母から「れんたいおばあさまという俳人がいて浅間さん(近くの浅間神社)に句碑がある」と聞いて見に行った遠い記憶がある。ずーっと忘れていたのだけど、最近気になりだしてまさかなぁ、、と思いながらググってみた。

浜松在住の写真家さんが「松島十湖」という浜松で活躍した俳人の事を書いているブログにヒットして「二俣紛争」という記事に「蓮台」という名が登場してびっくりした。

こうなったら調べてみよう、、と本家に連絡したら「何か資料があるよ。『二俣かるた』にも入っているし」という返事が来た。「二俣かるた」分りません(^^ゞ

姪っ子に聞いたら「知ってる知ってる」と実物を出してきてくれた。なるほど「え」の札で「烏帽子蓮台は女流宗匠」となっていた。絵札は句碑の様だ。

    

お見舞いの後、久しぶりに本家に泊まって資料を見せてもらった。現在は15代目の我家の12代目の様だ。江戸時代から明治に生きて90歳と長生きしたようだ。

入院中の従兄が定年後にかなりみっちり家系のいわれなどを研究していたようで、そのノートなども持って帰ってきた。来年はいろいろこれらを調べてみたいと思っている。

    

          

翌朝、散歩がてら句碑のある浅間さんに行ってみた。寒いけど晴れ上がっていい気持ちです。と言っても本家から3分で着く、出身の高校のすぐ手間の階段を上って行くのです。

                

最近歩きなれてきたとはいえ、下から80段くらいはかなりの急な階段でした(^^ゞ最初の鳥居の向こうに句碑がありましたが、ぼろぼろで殆ど字も読めません(-"-)

    

さらに進むと階段ではなく、けもの道みたいな感じです。ふっと昨日の猿の大群を思い出して警戒しちゃう(笑)

          

浅間さんのお社です。甲斐の国の浅間神社の系列の様で、木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)が祀られているようです。

    

    

浅間さんのお祭りが年に一回あって、やはり少し余分に寄付をしているとか、句碑も年に一度はお掃除してお供物をあげていると聞き、本家って大変(^^ゞと実感。

もし今後機会があったら、所有権がだれなのか分らないけど、、 句碑の字が読める程度にしてみたい。

すぐそばに住んでいる弟は全くこの件を知らなくて、まぁ父が末男子だったので関係ないって言えばそうだけど、たまたま母が私に話してくれたので40年以上もたってこんなことになったというのも面白い限り、、来年は楽しくなりそう(*^_^*)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする