昨年広重美術館に数回行ったときに、まさかこんな展開になると思わず(笑)興津駅から薩埵峠を超えて由比宿に入ってそのまま蒲原まで歩いたり、蒲原からバスで由比の美術館に行ったりしたのでこの区間は一応踏破したという事で、「興津」から「江尻(清水)→府中(静岡)を目指します。
本日も青春18切符でスタート、各停なので行きも帰りも時間がかかるのでちょっと早起きしてみました。長津田6:25発→横浜駅7:00発の東海道線で熱海(沼津行き)→沼津(浜松行き)に乗り換えます。休日なので客層も違うけど皆さま地元民なのか富士山探さない(笑)諦めていたけど沼津過ぎたら少しずつ見えて来て、富士川辺りでははっきり見えた!
先週歩いた辺りを復習しながら景色を見るのも楽しい(^O^)/この富士川、、歩いて渡った、って改めて感激(笑)興津駅3374歩からスタートです。「興津宿」の看板で何か集まっているのでJRの駅からハイクですか?」と聞いたら「いえ名鉄?だか中日ツアー」だったらしいけど、物欲しそうな顔していたのか(-_-;)パンフレット戴きました。家に帰って見たらビックリぽんの内容で、感激!!広重様の小さいサイズのクリアファイルとか始めてみました。
興津宿も整備されて一軒ずつに木製の燈籠の様なものがあったり、道路が広くて歩きやすい。まずは「理源寺」から龍の彫刻や字の書いてある板が好きです(*^_^*)
ところどころにミカンが売られています。今日は買おう!と決めてきたけど、まだ歩きだしたばかり、、でもこの7つの大きなミカン200円には惹かれて買いました。リュックがあるので大丈夫。今日一つか二つ食べようと思うし。「東本陣跡の公園」→「「西本陣跡」→「「一碧楼水口屋跡脇本陣」はギャラリーになっているようですが早すぎて開いてなかった。
東海道よりも一本海寄りに「展望台」とあったので行ってみました。素敵な図書館や公園があります。富士山も駿河湾も良く見えます。公園にあった健康遊歩道、、痛そう(-_-;)
「皇太子殿下(大正天皇)御海水浴跡」という碑があります。明治22年東海道線が静岡まで通ったので泳ぎにみえたそうです。この時には「清見寺(せいけんじ)」に泊まられたそうです。このお寺も家康様が徳川家康公が幼少時代に今川家の人質として駿府に在りし頃、清見寺の住職でもあった雪斎禅師に教えを受けたことは有名らしいですが、私は「清見寺トンネル」と「清見(きよみ)ミカン」しか知らなかった残念な静岡県民(笑)今回は外観だけ拝見。
「興津坐漁荘(ざぎょうそう)」の看板が沢山見えるんですが、、それって何?「西園寺公望公」の別荘だったそうです。そしてなんとここのスタッフのおじさまによると西園寺公は「朝が来た」の広岡浅子さんの作った日本女子大学の開学にも大いに協力したようです。テレビでは大隈重信公は出てきたけど、、証拠の写真が日本女子大のサイトに載っておりました。別荘は金沢の伊藤博文亭といい勝負位に立派でした。
「興津」って馴染みがないと思うけど沼津って凄いのね。お花もいい感じに沢山拝見しました。住宅の松もいい枝ぶりでゆっくり住めそうな町です。
川沿いその次は「袖師ヶ宿」これも「袖師トンネル」でしか知らなかった。踏切越えて「東光寺」
「ほそいの松」→「江尻宿」に入ります。二代将軍秀忠は、街道の両側に松の木を植えさせ、元禄16年頃には、松原の全長約360m、松の本数206本とあったそうですが、当時の細井の松原は太平洋戦争で松根油(航空機燃料)として伐採されてしまった。現在は、植樹されたものだそうです。ここまで10,524歩。