93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

難行苦行の旅行記

2024-03-05 18:09:55 | 読書

女性旅行作家イザベラ(英国)と日本人通訳の(伊東鶴吉)東北から北海道までの旅行記

イザベラの希望で日本人も歩いたことのない道をと望む。

文学作品としての評価は別として、私も知らない東北の貧しい村々に驚かされた。

時は文明開化華やかな明治初め、江戸から東京になり、特に横浜は西洋館が並ぶ街。

これらは誰もが歴史の一貫として知っています。

ところがイザベラたちは道なき道を行くのです。宿場宿場の「駅逓」で馬を乗り継ぐ。

馬子つきで三頭借りる。二頭に二人が乗り、一頭は荷物用。「駅逓」が交通手段。

雨の日はびしょぬれになり、蚤や蚊にも悩まされる。男女混浴にも驚く。

通訳伊東は立ち寄る宿場町の貧しさをイザベラに見せたくない。

整った表街道を勧めるがイザベラは聞く耳持たない。

通訳伊東は侍として矜持もあり葛藤する。旅行記にはこの貧しさ書かないでと頼む。

最初は全幅の信頼を置いていたわけではないイザベラ、

次第に信用して彼にお金を預けるようになる。また、治安の良さにも驚く。

当時すでに長崎、上海間に電信ケーブルが敷かれていたほど進んでいた。

この時代になぜ探検冒険のような旅をと尋ねる伊東、

達成感を得たいからと答えるイザベラ。

通訳伊東の父親は榎本軍の一員として函館戦争に参加、戦死したらしい。

伊東にはその真相を調べたい。イザベラの好意もあり突き止められた。

北海道は、もう旅の終り、二人は信頼の絆で固く結ばれていた。

もちろんこの旅行記は『日本奥地紀行』の邦題で出版された。

どのように描かれているか読んでみたい。

通訳の草分け的存在の伊東は第一人者となり高名な人の通訳も。

高齢になって再来日したイザベラは伊東と再会を果たし、喜び合った。

私の知らない日本が描かれていて、とても面白かった。

+++++++++++++++++++++++++

タンゴ好きの私を知っている妹が誘ってくれました。

昼間なので行くことができました。女性歌手はアルゼンチン生まれ

アルゼンチンタンゴの名にもあるように「本場」から来た人らしい。

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8 コメント

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おはようございます。 (ふくちゃん)
2024-03-09 08:03:38
良いお時間ですねタンゴですか!社会人になりたての頃ダンスホールが流行っていました先輩に数回連れて行っていただきました(#^^#)
外国の方が真の日本を探したいと思われたのでしょうね、私達は見て見ぬふりをしてしまいそうですが真実は心に沁みます心も動きます。上辺だけではダメですね。
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>ふくちゃん (Rei)
2024-03-09 10:04:17
そうなんですよ、当時は社交ダンスが盛んでした。
父の友人が(満州帰り)ダンス教師で
縁あってダンスレッスン場開きに踊りました。
相手は昨年亡くなりましたのブログに書くつもりです。
この旅行記を読んで『日本奥地紀行』和訳がありますので
読んでみるつもりです。掃除しないで本ばかり読んでいます。
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タンゴ (ryo)
2024-03-09 14:10:24
私もタンゴは大好きです。
照葉樹二期を愛読してくださる女性で
タンゴを歌われる方がおられます。
情熱的なタンゴは踊りも大好きです。
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>ryoさん (Rei)
2024-03-09 17:27:10
戦後の混乱期、引き揚げて我が家に居候していた父の友人がダンスレッスン所を開きました。
こけら落としに幼馴染の彼(大学生)と私(女学生)がフオックストロット踊りました。
子供ですからタンゴは無理だったのでしょう。
父は苦々しく思っていましたが、友人ですから仕方ないと。
社交ダンスブームに乗りその友人はまもなくいなくなりました80年も昔のことです。
彼は去年亡くなりました。
90年余も生きていればいろいろなことがありました。
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旅行記 (kei)
2024-03-09 21:17:09
旅行作家で達成感を得たいとは言え、かなり勇気と覚悟が要りそうな旅ですね。
『日本奥地紀行』、どなたかが資料で挙げられていたのだったか、
記憶はあいまいですが、ただ見かけたという気だけががしています。
通訳の草分け的人物と、当時の様子がいろいろ知れる旅行記のようですね。

Reiさんのタンゴのお話、こちらもいろいろありそうですね。
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>Keiさん (Rei)
2024-03-11 18:24:33
はい、なかなか面白いでした。
旅行記ですが歴史小説的部分もあり、
知らない東北の貧しさを知りました。
地理的に近くでもあり、女工哀史などは
「野麦峠」ほかいろいろ読みましたが・・・・
東北の農村を知ることができました。

私の年代では(戦中派?)どなたもそれぞれ
多少はありましょうが
筆が立てばですが「一代記」が書けそうです。
新田次郎夫人の藤原ていさんの「流れる星は生きている」のように。
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奥地紀行 (nko)
2024-03-11 20:33:31
明治初期でも山間僻地の暮らしは貧しく、悲惨で
外国人には見せたくなかったのでしょう。
通弁を雇い駅逓を利用しての旅行は、アフリカや
南米の未開発地を探検する文明人の好奇心と似て
いますね。
江戸の初期にみちのくからえぞちまで、岩屋や軒下を宿に旅した、円空が見た貧しい風景が見たくなりました。
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>nkoさん (Rei)
2024-03-12 09:21:46
確かにおっしゃる通りです、
アフリカ大陸の未開地の原住民族に関心示したり。
円空さんの時代はさらに遡るわけですから、
東北にも行かれた円空さん、ご苦労もあったでしょう
イザベラは見るところはよく見ていると思います。
治安の良さに感心し、チップを受け取らないなど。
又人の純朴さ誠実さなどにもふれています。
当時も大きな町はそれなりに進んでいましたが
一歩外れれば貧しく、後れていました。
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