いつのころからか、初読、再読問わず読了後に年月日をその本にメモするようになった。
この「生きる」は
2013年10月29日読了とある。10年を経て再読してみるとつけた4か所の
付箋の意味が全く分からない。辛うじて1か所は初読で感動したことが
わかるだけ。他の付箋の意味は全然分からない。
10年前感動したことも、共感したことも今は変わってしまったと言うことか。
僅か10年ばかりで人はこんなに変わるのかと思うと不思議且つ情けない。
この本は優しさに溢れていて、感動し後味もよいことは今回も変わらないが
つける付箋の位置は10年前と今回の再読では違うことは間違いない。
10年後の付箋に興味は深いが、残念ながらこの世にいるかどうか?
私の場合、推敲や校正に欠かせません。
読書には使わないですね〜
必要な場所は抜粋して書き留めたりはする
のですが、最近はそれもあまりなくなりました。
読書に愛用してます。
付箋に少しメモを書いてあるのです。
例えば「紫式部日記」の付箋「若紫さんは、このあたりにお控えかな」と藤原の公任が言った項に、「若紫」と書いたり、清少納言の悪口を書いてあるページには「清少納言」とか・・・
読了しても付箋が付いたままのものが多いのですよ(笑)
机の上においてあるノート類にも付箋を貼って見やすくしてあるのですが、
こちらはインコが飛んできて食いちぎってます(笑)
10年前のもの・・・ああ~やっぱり色んな意味で変わってますね。10年は心も変わるのかな?
でも!どうか!お元気で10年後を目指されてください。
ご近所さん見てますと夢ではありません。
隣組の方100歳でお一人暮らしです(デイサービスには行かれてます)。
それにしましても、たかだか10年なのにつけた付箋の
意味が分からないなんて、少々ひどいですよね。
それ用に1冊ノートを作って書き留めるのも
いいかもしれませんね。
それがまた書いた意味が分からないことになりそうですが・・・
中身が違います。
ゆりさんはすごく細かく丁寧に書いておられます。
10年で変わるのがいいのか、変わらない方がいいのか
私にはわかりません。
が、10年後理解に苦しむような付箋では
付箋の意味がありませんね。
もう少し大きな付箋にして、貴女のように
メモするのもいいですね
10年後の私、隣組の方にあやかってがんばりましょう。
インコちゃんがお部屋を自由に飛び回っているとは
幸せなインコちゃんですね。
でも、この色は何に使ったのか思い出せないこと
が度々です。
昨日なにを食べたかも忘れてしまい、10年前のこと
など、とてもとてもです。
わたしより年上のReiさんが、情けないと嘆くことは
ないと思います。
初めての時代物が『生きる』でした、昨年の5月でした。
再読したくなる作品です。
付箋は読書においても利用します。
立ち止まってあれこれ考えるとさささと読み進まないことも多くなりますが、
読後にはつけた箇所を見返し、書き残すことも多く、あとは外すことがほとんどです。
収める器が違ってきますから、年月を経ての読後感には差異もあるでしょうね。
思いつきませんでしたが、それも又忘れそうです。
何十年も前のことを覚えているのに
10年前のことをすっかり忘れている、
脳の仕組みはどうなっているのでしょう?
最近の新聞で90代の認知症の割合の高いのをみて
空恐ろしくなりました。
Keiさん繋がりだったかもしれません。
優しい人間性のあふれた作品ですね。
多くの方が付箋利用なさっていることがわかりました。
利用の仕方はまちまちですが。
年月を経て変わらないのも如何とおもいますが、
忘れることの多いののに我ながら呆れています。
違う感想が起きます年齢や経験が変わってくると思っています。
心ふるわせて泣いた作品もこの年齢では(?)
恋をして居た時などの作品は(私の日記も含めて)今はオヤオヤと思って居ます(#^^#)
月日が経てば外観、容貌が変わるように
心や考え方も変わりますね。自然のことかも?
映画もドラマもあまりみません。
最近は動作がのろくなって、時間が足りませんので。
休息も多くなりましたし。