アジア大会のサッカーが熱い!
ラグビーワールドカップも凄い!
バレーボール最終予選も熱すぎる。
バスケットのワールドカップも思わず見入ってしまった。
かつては大の野球ファンだった私だが、シーズン末の消化試合を見てると、野球もメジャーも時代の波に乗り遅れた”斜陽のスポーツ”に、寂しいものを感じてしまう。
そんな中、日本人にとって唯一救いなのが、大谷の日本人初のメジャーHR王獲得だが、どれだけの日本人が興味を示すのだろうか?対抗馬不在が故の(1ヶ月以上も休んでの)記録に、騒ぎ立てる理由がどこにも見当たらない。
それにプレーオフが始まったというのに、アメリカは勿論、日本でも一向に盛り上がらない。
日本では阪神が15年ぶりにセリーグを制覇したというのに、巨人の2年連続Bクラスの方が話題になる。春先のWBC優勝も山川(西武)の性暴力で全てがかき消された。
そう、人間とは忘れる生き物である。
一部のプロ野球選手やジャニー喜多川の性加害発覚により、昭和の娯楽を支えてきたプロ野球やジャニーズが共に死滅しそうな勢いである。
その一方で、いち早くプロ化されたサッカーはともかく、アマチュアのままプロ野球にずっと先を越されていたラグビーやバスケットやバレーボールが、ここに来て野球を凌駕する勢いにある。
”得点力不足”は遠い過去
少し古くなるが、サッカーの国際試合(キリン杯)の日本とドイツの試合で、ドイツが2試合続けて日本の軍門に下るとは誰が予想し得たであろうか。
日本が強いのか?ドイツが弱くなっただけなのか?元々サッカーに詳しくない私には全くわからない。
でもトルコ戦を見れば、日本が強いかそうでないかくらいは判るだろう。そう思って眠い目をこすりながら見た。
日韓W杯で沢木耕太郎さんをして、”誤審がなければ優勝できた”と言わしめたトルコ(結果は3位)である。今は世界ランク41位と、日本(同20位)とは差がつけられたが、ヨーロッパの古豪である事は間違いない。
テレビで見る限り、トルコは纏まってはいた。ドイツを圧倒した日本を警戒してか、トルコの守備陣は堅固だった。事実、前半序盤は、両チームとも決定的なチャンスを作れないまま時間が経過する。
前半15分、MF伊藤敦樹がMF堂安律との素早いワンツーから左足一閃、先制点を奪うと、日本の攻撃は更に獰猛さを増し、一気に2点を追加する。
スピードと破壊力溢れる攻撃力にトルコのモチベーションが落ちたかに思えた。日本がドイツに勝ったのは、単に日本が強かったからだ。事実、屈辱の敗戦の後に監督を解任したドイツは、(エムバペ不在の)フランスだが2−1で競り勝っている。
日本優勢で試合が進むと思われた前半44分、トルコは何とか1点を奪い返し、前半を3‐1で折り返した所で私はチャンネルを切った。
ドイツ同様、これ以上トルコが惨めな思いをするのを見てられなかったからだ。
この日の日本は、ドイツ戦での先発10人を入れ替えたセカンドチームだった。それでも破壊力は群を抜き、トルコを終始圧倒した。
辛口のセルジオ越後氏は”見てて緊張感のない試合だった”とケチをつけたが、それだけ日本が強かったとも言える。
何時もはケチをつけたがる韓国メディアも”日本はアジアの領域を超えた”と日本サッカーの破壊力に脱帽した。海外メディアも”恐ろしい日本、名実ともにアジア1強で、もはや誰も無視できない”と称えた。
一方で、ドイツ戦と同じく4失点を喫したトルコだが、地元メディアは”恥を知れ”と手厳しい。事実、2002年の日韓W杯では3位の快挙を成し遂げたが、それ以降は5大会連続でW杯出場を逃すなど、停滞期の真っ只中にある。
しかし日本人からすれば、”自国を責めないで、日本が強すぎなだけ”と慰めの言葉を捧げたい気もする。
サッカーが完全に”野球を超えた”とするならば、この日がそうかもしれない。もっと言えば、”野球を超えた記念日”としてこの日を祝日にしてもいい程だ。と言えば、セルジオ氏に怒られるだろうか。
野球の国からサッカー王国へ
その道のりは、今に始まったばかりである。
そして、その流れはラグビーやバスケットにも受け継がれるであろう。やがて野球は、相撲と同じく国民の脳裏からは完全に消え去るだろう。
不必要な娯楽は姿を消し、新たな娯楽が胎動する。そうやって娯楽は大衆と共に生き延びる。野球がアイドルがいなくとも、スケベパブやキャバ嬢が死滅しても、時代は普通に流れてていく。
そう、時代は人間よりも逞しいのだ。
メジャーとプロ野球の限界と崩壊
これまでは、サッカーにいい事ばかりを書いてきたが、日本がワールドカップで優勝を狙えるチームになるには、あと何年掛かるか?いや何十年掛かるかは判らない。
日韓大会みたいに、八百長紛いの事をすれば韓国の”疑惑のベスト4”な事もありうるが、あの出来事は韓国にとっては快挙であっても、ワールドカップ史上最悪の汚点を残した事も確かである。事実、今の韓国サッカーは冬の時代に入りつつある。
一方で、日本サッカーは”ドーハの悲劇”を経て30年でやっとここまで来た。当時はワールドカップ出場は夢であったのだから、それが今やワールドカップ出場は当り前となり、本戦でも決勝トーナメント進出は最低限のノルムになった。
世界には世界のサッカー文化があるし、日本にも日本のサッカー文化がある。
ただ、今の日本の勢いをしてもベスト8が限界かもしれない。しかし、世界一の競技人口を誇るサッカーで日本はトップを目指してほしいのだ。少なくとも、(世界で)競技人口の少ない野球で世界一になっても誰も興奮しないし、記憶にすら残らない。
プロ野球はアメリカとアジアの一部(日本・台湾・韓国)と中南米の一部でしか行われてないマイナーな競技だ。アメリカの子どもたちですら、ルールさえまともに理解してはいない。
来年のパリ五輪でも開催種目から外され、世界でも知名度は低いまま。開幕前に行われる”オープン戦大賞”とも揶揄される3年に1度のWBCだが、盛り上がるのは何時も日本だけで、他のスポーツのワールドカップや世界選手権に比べ、規模もマーケットも小さい。
つまり、ヤるだけ放送するだけ無駄である。
「野球は人気がない」でも書いたが、
では野球の何処がつまらないのか?何処がダメなのか?公平を帰す為に、野球ファンの立場から検証する。
1つは、動きが少なく緩慢である事に尽きる。2つには、攻守が表と裏に分れ、ダラダラと展開する上に試合時間が長すぎる。3つ目にルールがややこしい。”三振振り逃げ”などはその典型である。4つ目に、下部リーグとの入れ替え戦がない。
更に、メジャーではボールがよく飛ぶし(これが一番アカン)、シーズンによってもバラツキがある。球場は年々狭くなり、打率1割台でも40HR以上が可能となる。
つまり、今のメジャーの質とレベルと飛び過ぎるボールなら、松井秀喜の31本は45本程に相当するだろうし、イチローだって、単打に拘る必要はなかった。更に、ステロイド疑惑のM・マクガイアやB・ボンズのHR記録も正式に認めるべきであろう。
もっと言えば、過去の本塁打の記録に5割増で計算し直す必要がある。そもそも、野球そのものが体を成さなくなる可能性もある。
それに大谷がいなかったら、メジャーはもっと冷え込んでたであろう。
追記〜大衆文化とサブカルチャー
かつて文化とされたものは、ハイカルチャー(学問・文学・伝統的美術・クラシック音楽など)であり、ブルジョアや知識人・教養人など特権階級に支持された。つまり、文化を享受するには一定の教養が必要な少数に限られ、メインカルチャー(支配者層の文化)と呼ぶ事もある。
20世紀になり、大衆文化の時代になると、ハイカルチャー的な文化観は変化し、大衆の一部はハイカルチャーを身に付けようと、例えば文学全集を応接間に並べるといった現象が見られた。第二次世界大戦後には知識人と呼ばれる人たちも、次第に大衆文化(映画やスポーツやマンガ)に注目するようになる。
1960年代には、アメリカのベトナム反戦運動や公民権運動にヒッピームーヴメントを始め、各国で既成の体制や文化に対する”反発”が起きた。これは”カウンターカルチャー”とも呼ばれたが、文化の意味付けが変化し、長続きはしなく、衰退する。
それに代わるサブカルチャーとして、かつての学生運動の様なカウンターカルチャーは諦めつつ、大衆文化への同化も拒否した若者たちの文化も台頭する。
一般には、ハイカルチャーが受け手側にある程度の素養・教養を要求するのに対し、サブカルチャーは受け手を選別しない。
更に、サブカルチャーのサブは”補う、第二の”といった意味もある。が故に、映画や漫画、アニメにタレントにアイドル、ライトノベルやポップミュージック、商業主義に走ったロックや娯楽映画などは大量生産・大量消費される商品だった為に、低く見られる傾向が強かった。
しかし、1990年代以降〜21世紀にはこうした大衆に支えられたサブカルチャーは、ハイカルチャーやメインカルチャーと同程度の影響力を持つ様になる。
一方、日本では”ハイカルチャーVSサブカルチャー”という文脈でサブカルチャーが言説されるが、欧米ではむしろ社会の支配的な文化(メインカルチャー)に対する、マイノリティの文化を指す言葉として使われる。
因みに、日本では特撮・アニメ・アイドルといった”オタク”的な趣味を指す場合に、サブカルチャーという用語が使用される事も多い。それらは80年代に一般化し、現在は大衆文化の一つとされる。
欧米の研究では、こうした日本特有のサブカルチャーはメディア文化に含まれる。
しかし、90年代に入るとサブカルチャーにも転機が訪れた。メディアミックスの名の下に漫画やアニメといったジャンルの統合が進んだ。漫画がアニメ化され、アニメが小説化され、これらのジャンルは急速に接近し、”オタク文化”と呼ばれる。
2000年代後半になり、アニメの海賊版などが動画サイトやSNSを通じて世界的に有名になり、アニメ文化と共に育った世代も成人を迎え、世界規模のOTAKU文化を生んだ。
以降、オタク文化が日本サブカルチャーの最大与党であり、サブカルチャーそのものという見方すらされている。
その一方で、インターネットの大衆的普及はオタク文化の”アンダーグランドさ”や”内輪”を薄め、2010年代にはSNSを通じた一般的で大衆的な商業コンテンツとなるが、それがサブカルチャーといえるのかは異論も多い。
以上、ウィキから一部抜粋でした。
以上の様に、娯楽という大衆文化だが、視点を変える事で色んな見方ができる。
例えば、日本のオタク文化のように、かつてはマイノリティーの内輪的な文化が、今や世界中に蔓延し、サブカルチャーそのものを指すようになった。もっと言えば、メインカルチャーをも超える文化になったと言っていい。
同じ様に、かつてはメジャーなスポーツもやがては(かつては)マイナーだったスポーツに先を越され、跡形もなく消滅するかもしれない。
そう、文化とは私達が思う以上に身勝手で柔軟なものである。文化も我々人間と同じく、生き延びる為に必死である。メジャーな文化はやがて他の文化の重荷になり、最後には淘汰される。
バカの1つ覚えみたいに、興行的に成功するだけが生き延びる要素となる筈もない。
1つの集合として考えると理解しやすいんですが、人類の全ての集合はオタクとして成立するんですよね。
文学オタク、数学オタク、風俗オタク、薬物オタク、戦争オタク、経済オタク、平和オタク・・・などなど
それに、腐ったものは時代により洗い流される筈ですが、腐敗物が多すぎると地下深くに沈殿し、”生物濃縮”状態になるんでしょうか。
自民党や政治家の汚職なんかもそうですが、時代の力だけではもはや洗い流せなくなっています。
故に、凍結剤や中和剤という強硬な手段を使ってでも腐敗をなくすべきですが、ワルほど賢くしぶとい。
本来なら、オリンピックも万博もNHKも消滅すべきですが、悪や腐敗はそうしたハコモノに群がるんでしょうか。
考えるほどに厄介な問題ですね。
ところが今は、すべての人が何らかのオタクの時代。
かつてアニメオタクはキモい目で見られていましたが、今は公然とアニメ好きを語り、コミケは大盛況。
世の中は変わるんですよね。
野球からサッカー、ラグビーへ。
ジャニーズ帝国は崩壊し、オリンピック・万博はオワコンに。
テレビも衰退していくでしょうね。
八百長事件に始まり、球団拡張によるレヴェルの低下、コカイン汚染にストライキ、更にはステロイド疑惑。そして今になり”飛ぶボール”とサイン盗みに放映権の急落。
特に、”飛びすぎるボール”による野球の質の低下は目を覆うものがあります。
ルースの時代も”飛ぶボール”(ラピッド)と呼ばれたんですが、単にボールの交換を行うようになっただけで、それ以前は同じボールで最後まで通してました。
つまり、ブヨブヨになったボールでも試合球として使ってた訳です。
日本でも”飛ぶボール”を使ってますが、メジャーほどは極端じゃない。
見てて明らかですが、飛び方が全然違いますもんね。
それと、ラグビーは惜しかったですね。
思わず興奮してしまいました。何年ぶりですかね。
サッカーもバレーもラグビーも
まるでMLBのプレーオフをあざ笑うかのように熱い熱すぎます。
特に今年のMLBは
ア東地区のボストンとヤンキースが揃ってBクラスの体たらくでしたから
メジャー全体の放映権もパッとしなかった。
スポーツが興行に傾倒しすぎるとリアルさがなくなり競技としての本質が失われます。
今のメジャーがその典型ですよ。
飛ぶボールにして、本塁打を多くし、毎試合が打ち上げ花火みたいな展開にして、冷え込んだ野球人気を復活させようと
MLB機構が考えることってそんなもんでしょうが、ファンは敏感ですよ。
大谷の二刀流も”飛ぶボール”の賜物かもです。