ナベツネの読売新聞は安倍晋三の後ろ楯だし、マスコミ幹部と会食を繰り返し、政権に好意的な報道をする。朝日、毎日、東京•中日新聞の左翼マスコミは安倍晋三を親の仇のごとく嫌うが、無党派層には全く届いてないと、”ほかに適当な人がいないの罪”の記事(要Click)にあったが。全くの図星である。
世界一の発行部数を誇る、読売新聞社のドンである”ナベツネ”が、NHKBSスペシャル「独占告白、渡邉恒雄~戦後政治はこうして作られた」で戦後の昭和を語った。
番組中の表現は流石に穏やかだが、人間味溢れ、才気豊かな知性は、とても腐ったヒキガエルみたいな外見からは伺い知れない(笑)。
因みに、彼は若い頃はイケメンだったというが、写真で見る限りかなり怪しい。このナベツネも最初から”昭和の腐った妖怪”だったのだろうか。
しかし、私はナベツネの事をよく知らない。読売ジャイアンツの元オーナーであるという事くらいしか知らない。
”たかが選手ごときが”っていうセリフは有名だが、庶民から言わせれば、”たかが三面記事屋の文書きが”って事になる。
ナベツネ回顧録
悲しいかな結局は、”ナベツネ回顧録”のNHK版に過ぎなかった。無能とまでは言わないが、政治家と巧みに癒着した”文書き”に過ぎなかった。
心の奥に突き刺さる92歳の叫びを聞きたかったが、単なる昭和の政治屋のお話だった
若くして鳩山一郎や大野伴睦らの信頼を得ていく過程で、中曽根氏との友情や社内での抗争、それぞれの政治家の評価などをアッケラカンと語る。
新聞記者とは単なる記事書きではなく、政治家同士を結びつけたり、政治家の世話をしたり、時には組閣人事に口を挟むなど官僚らと濃密な人間関係を構築するものだと教えられた。
東大時代の共産党細胞としての活躍と除名、アカデミズムへの参加の挫折。”二流”の読売新聞社への入社と政治部記者としての活躍と政界での暗躍。
そして、世界最多発行部数新聞の経営者と、ナベツネの昭和の躍動は複雑多岐にわたり、輝かしいものがある。
特に、吉田茂時代から90年代までの大物政治家たちとの関係は、実に生々しい。
”政治にコミットする新聞記者”である渡辺は、1950年代に番記者として自民党の重鎮•大野伴睦の信頼を勝ち得る。そして、”大野の信頼を得た新聞記者”という看板を武器に、大物政治家へと食い込み、貪欲に政界でのプレゼンスを増していく。
こうして渡邉は、政界の裏工作に暗躍しつつ、一方では記事を書いた。この様な、新聞記者としては特異な武器を持ち、”筆の政治”で政界に圧力を与え続けてきた。
渡邉が出会った保守政治家たちの貴重な証言録もユニークだ。大野伴睦、中曽根康弘、河野一郎、岸信介、田中角栄らの人物評は興味深く、派閥全盛時代の政治が”情念とカネ”で動いてたとは、率直で言い得て妙だ。
特に、当時の自民党副総裁の大野伴睦の著名で本を書き、その原稿料で部下に奢りまくり、社内に派閥をつくってく所は、実にナベツネらしい。
歪んだアカデミズム
政界裏面史と戦前戦後を共に生きた渡邉だが、番組では彼のほろ苦い人間味も鮮明に伝えている。渡邉の挫折経験は敗戦はもとより、アカデミズムへの挫折と対抗心を示し、一方で哲学観のない政治家をバカにする。
渡邉が政治記者として読売新聞の社長として大成しても、満たされない何かを抱き続けている小心者でもある。
渡邉の、これら挫折経験は彼の大きな強欲に変貌し、揺るぎない哲学の支えとなる。
生臭い政界での仕事ぶりと、”屈折したインテリ”の歪んだ雰囲気を感じさせる辺りは、これもナベツネの特異な魅力であり、腐ったキャラでもある。
最近は、”メディアの権力”が度々世間を騒がすが、メディアが権力になり得るには物事の真相深くに入り込まないと権力にはなり得ないという事を、渡邉は身を持って教えてくれる。
”本当に重要な事は内部に入らないと分からないんだよ”との、渡邉の言葉は流石だと思う。
”No.1はNo.2を徹底して嫌う、それはね嫉妬からだよ”
この言葉通り彼は、社内の敵(No.2)を次々となぎ倒し、会長までのぼりつめた。まるで戦時中に苦しめられた数万の憎きシラミどもを潰し捲ったようにだ。
”シラミを潰す快感は経験者にしか判らんよ”とは、渡邉の自慢の口癖だ。
”何ヤッてもいいんだよ!”
政治の話以外にも、戦時中の苦く辛い体験の話は非常に興味深く映る。
東大文学部哲学科在中だった渡邉は、出陣組で戦時のヒドイ目にあい、靖国神社にも”何で東条なんかが祀られてる所に参拝なんぞする必要がある?”と憤る。
その渡邉も敗戦後、大学に戻り”天皇制打倒”と書いた共産党のポスターを見て入党するが、すぐにスパイと疑われ除名される。
大学在中は挫折と苦悩の連続だったんですね。”弾がないのに勝てる訳がないじゃないか”との怒りもよーく理解できます。
インタビュアーの大越健介氏が、”ジャーナリストとして日韓国交回復など外交問題まで関与するのは如何なものか?”と質問したのに対し、”だって国交回復前なんだから何もないんだ、何やってもいいんだよ”との回答には笑ってしまった。
沖縄返還も日中国交回復も裏工作は必要悪だったのだ。結局、”義理と人情で政治も人間も動く”とのコメントもユニークだ。
”書くなって言ったって、後から情報がどんどん入ってくるんだから書かない訳にはいかない。記者とはそういうもんだ!”
新聞記者というのは内部深くに入り込み、書いて書いて書きまくるのが真の使命なのかも知れない。
つまり、”中に入らなければ真実は書けない”言い換えれば”虎穴に入らずんば真実は書けない。浅はかな憶測では真相は暴けないという事だ。
しかし、ナベツネも政界深くに入り込みすぎたが故に、メディア内や新聞社内でも大物政治家みたいに権力を振りかざす傲慢な人物になった。愛妻を看病するという意外な別の一面もあるが、彼はやはりやり過ぎたと思う。
”やり過ぎは何もやらないよりまだ悪い”の典型になった様な気もする。
最後に
勿論、彼の”激動の昭和”のやり方が今の時代通用するとは思えない。
”今の政治記者は楽だよ”と批判するが、”やり放題やったアンタの方がずっと楽だったろうよ”との反発が聞こえそうだ。
昭和の政治家は群雄割拠状態で権力の戦国時代だった。故に、ナベツネは権力と権力の隙間に入り込む事が出来ただけだ。
しかし、今の安倍政権は権力を中枢軸にガチガチに固め、メディアや検察すら支配してる。”靖国反対”のナベツネですら、安倍の前ではポチ同然だ。
つまり、”最大多数の最大読売”を地で行くような新聞社の裸の王様なのだ
結局、この腐った”昭和のウシガエル”もカネと政治の奴隷に過ぎなかった。
やっぱり、人は見かけによる。
欲どしさが
満ち溢れてる
悪い奴ほど…
泥臭い政界からキッパリと足を洗ったような表情をしてます。少し番組を見たんですが、結構遠慮して語ってたようにも思えますが。
ナベツネが生きた昭和とは、記者にとってはいい時代だったんでしょうか。
戦後日本の負の遺産を
根深く造り上げた張本人
米帝とベッタリ関係作り
似非ナショナリストを
ヤス・ツネ談合兄弟が演じ
此の国を堕落させた
言われる通り、中曽根とナベツネでこの国は大きく傾きました。二人共レーガン政権の奴隷でした。癌はロンヤスではなく、ヤスツネだったんです。
そして今、トランプのポチである安倍のポチがナベツネなんですね。
流石と思わせるコメント有難うです。
ナベアカンさんが言ってるように、コイツもアメリカの奴隷だったんですよ。TVの前では何とでも言えますもん。
それでも昭和の時代は良かったね。コメントどうもです。
戦後の混乱期はともかく、今は「番記者」というあり方の功罪のうち、「罪」が大きいような気がします。
今は、情報公開を徹底して要求し、番記者故の柵を捨てて、個人(支援者・関係企業)の利益に走る政治の怠慢を正してほしいです。
”番記者”といっても、所詮は奴隷記者ですもんね。生活の為もあるんでしょうが、それ以上に書くべき事があるでしょうに。
最近の記者上がりのコラムが非常に陳腐化してるのも肯けます。