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先日、キャベツの大玉が99円と珍しく安かったので買ってみたが、案の定、中身が腐っていた。
腐ったキャベツほどタチが悪いのもない。
台所一体には悪臭が広がり、全て捨てようかとも思ったが、長くキャベツを食べてないので、腐った部分とそうでない部分を分けるのに一苦労した。
実際に食ってみると、一度腐ったキャベツは勿論だが元には戻らない。腐ってない部分は食えない訳でもないが、本来のキャベツの味は全くしなかった。
故に3/4ほどは捨てたが、病気や食中毒を考えると全部捨てた方が賢明な事は明らかである。
つまり、目の前の腐ったキャベツですらそうだから、目の前の腐った祭典にも安全安心を無視して群衆は群がるのだろう。
腐った祭典にお祭りの香りがする筈もない。しかし、この腐った五輪こそが現代の全体主義だとしたら、言いすぎだろうか。
腐った感動と
キャベツは政治と同じく、芯から腐っていく。枝葉などの末端から腐ってくれれば、可視化出来るので簡単に腐った部分を排除できる。しかし、芯から腐ると全てをバラバラに解体しない限り、腐った部分を可視化し、排除する事は出来ない。
オリンピックも24時間テレビも、アスリートがもたらす表面上の感動によってコーティングされてるから、腐った部分を可視化する為には、感動の仕組みを分解して知る必要がある。
何故、人は感動するのか?
因みに、感動とは” 強い感銘を受けて深く心を動かす事”とある(コトバンク)。
しかし、今回のオリンピックに”深い感銘”を受けた人がどれだけいるだろうか?
映画「タイタニック」は中身こそ、芯が腐ったキャベツ程ではなかったが、愚作には変わりなかった。しかし感動し涙し、勇気をもらった人は多かっただろう。でなければ世界中で21.9億ドルもの天文学的な売上を記録できる筈もない。
ただ、あの”お嬢様向け”の映画に感銘を受けた人は、一体どれだけいただろうか?感動はしたけど感銘はしたのかなって人が大半ではなかったろうか?
つまり、ド派手なCGに陳腐な恋愛という甘い合成シロップをコーティングしただけの腐った大作に、結果的だが我々は心を大きく動かされた訳だ。
しかし「タイタニック」を腐ったキャベツという視座で見れば、納得も行く。
プレミアという世界中を旅したド派手な宣伝で爆発的に盛り上がり、大安売りのキャベツに群がる様に大衆は飛びついた。しかし、中を割ってみるとそのタイタニックという大きなキャベツは中身から腐っていた。
つまり、腐った感動という点では、オリンピックも24時間テレビも全くの同類に思えるのだが。言いすぎだろうか?
呪われたパラリンピック
ようやく”歓迎されなかった”オリンピックが終わったと思いきや、パラリンピックがある事をすっかり忘れていた。
無償ボランティアや五輪コロナ対策に講じた最前線の現場の人たちは、海外記者の高い評価を得た。
コロナ感染による緊急事態宣言の中での無観客五輪はとても寂しかったが、現場スタッフの真摯な対応は”とても親切で美しく勤勉であった”と、最大級の讃美を贈った。
しかし彼らの忍耐が、8/24から始まる13日間の”より悲しすぎる”祭典に耐えられるのだろうか?
つまり、”呪われた”パラリンピックになるのは、火を見るより明らかな様にも思える。
失礼な言い方だが、オリンピックで全てを使い果たしたメディアや現場スタッフに、オリンピックと同等の、いや同レベルのモチベーションは残されていないと思う。
東京大会の17日間で、あれほどまでに悲しすぎる祭典を見せつけられ、(それにより引き起こされた)災害級のコロナ渦で疲労困憊の真っ只中にある我々は、更に呪われた祭典を見せつけられる羽目になる。
メディアは災害級のコロナ感染の全国的拡大と、すでに現実となっていた医療崩壊の加速を悲しく報じる。その一方で、パラリンピックがもたらす感動と勇気を仕方なく報じる。
パラリンピックは身体に障害があるアスリートが五体満足のスーパーアスリートに近いパフォーマンスを披露し、大衆を驚かせる場である。
故に、最高のパフォーマンスという点では障害は全く関係ない。
しかし、我ら大衆がとても目に出来ない、いや目を伏せたくなる傷害を乗り越え、死にもの狂いで競技する種目もある。
メディアはパラアスリートらを派手に紹介し、大衆の同情や感傷を煽り続け、大会が終われば、スポットライトが再び彼ら彼女らに向けられる事はないかもしれない。
オリンピックみたいに大衆が大喜びし、躍動するようなド派手なシーンは映し出されないかも知れない。
本物の感動や勇気という点では、パラアスリートの方が五輪アスリートよりも上だと思う。しかし、こうした本物の感動も、日本列島に蔓延した最大級のコロナ渦に潰される事も明らかであろう。
結局は悲しいかな、呪われたパラリンピックに成り下がるのは避けられない気がする。
最後に
オリパラとコロナパンデミックを天秤にかける筈もないが、傷害を克服してパフォーマンスを披露する場と、救える筈の命を確実に救う場とを比較した場合、どちらが重要なのかは明らかだ。
IOCも日本政府も組織委もそれに都知事も、”オリンピックとコロナ感染は無関係だ”と主張するが、肝心の証拠は殆ど明らかにしない。それに、感染数のグラフを見れば、五輪開催がコロナパンデミックの引き金を引いたのは火を見るより明らかだ。
日本全国の新規コロナ感染者が3日続けて2万5千を超えた。東京都を中心に、各都道府県で感染数の記録が次々と塗り替えられる。
そんなパンデミックと言える中での”呪われた”パラリンピックに、我らは何に期待しろというのか?
それは、同情か憐れみか?それとも憤りか怒りか?
こんなにも悲しいオリパラリンピックなら、最初からない方がどれだけ幸せだったろうか?
まさにその通りになりました。多くの欧米メディアも同じ様な論調で五輪中止を叫んでました。
BBCが予想する様に、東京都は実際には少なくとも1万~2万を優に超えるでしょう。
検査数を見れば明らかですが、日本は5~10万と英国の1/20~1/10以下、フランスの1/4~1/8以下と歴然です。
それに本当の数を報告すれば、五輪開催がコロナパンデミックの原因である事は一目瞭然ですから、公表出来ない部分もあると思います。
言われるようにそれこそ明らかなんですね。
第1波と第2波は大人し目で、第3波と第4波は共に第2波の5倍ほど上昇しました。そして第5波は五輪開催に歩を合わせるかの如く一気に爆発した感じです。
変異株はいえ、世界を見てもこれほどまでに上昇した国はないです。
しかし政府はこの現実を認めようとはしません。
開催ありきという前提で強引に進められたオリパラですが、”現代版全体主義”というのは言い得て妙です。
それに小池都知事はパラ児童観戦者を13万人規模にする予定だとか。
これじゃパラ児童(爆発)感染に繋がりますよね。
パラリンピックに反対する声はオリンピックン反対する声ほどに多くはなさそうですが、どうしても私には無謀だとしか思えません。
未だに戦時の全体主義が抜けきれない日本人の哀れさなんでしょうか??
パラ特集やってるけど
正直
見てて気持ちいいもんじゃない
差別発言になろうけど
身体が不自由なら
アタマを鍛えろよって思う
でもそこまでして
肉体の極限をアピールしたい
飽くことない人間の欲望
これもパラリンピックの欲望ってとこか
非情な言い方ですが、”もう十分やろ”っていいたいですね。
パラアスリートには悪いんですが、医療の末端の現場を最優先してほしいです。
この極東の小さな島国は、もう単純に、外圧に呑まれているんでしょうね。
復興の始まりが前世紀の東京オリンピックなら、衰退の始まりが今世紀の東京オリンピックなのでしょう。
日本は来世紀、東京オリンピックなんか望めない、国家すら存続していないかもしれません。
骨だけの魚が、極東の海を泳いでいるだけ。
日本は頭から腐っていきました。
そして、フクシマ復興もコロナ対策も五輪開催も頭から腐ってます。
”インフラ五輪”と言われた1964年東京オリンピックも今から思うと、とても怪しいものだったんですかね。
全く今の日本政府は、首から上がない腐った背骨だけの生き物ですよね。
コメント有難うございます。
パラリン会長開会式のでスピーチの受けが良かったらしいが、ライターが書いた原稿を読んでるだけで感動も何もないはずだけど。
アルコールや食事はなかったとされるけど、いまどき誰がそんなもん信じろって言うの。
不要不急のパーティーに飽きずに参加し続ける小池や丸川らは、安物のオナホールみたいな白塗りの顔で、グロテスクな笑顔を振りまくのだろうな。
アウシュビッツのブタ箱に入れるべき人種はこいつらだろうに。
強のブログでも書いたんですが、多くの国民の心を逆撫でするような世界規模の大会はそれがたとえ障害者のスポーツでも賛成できませんね。
でもNHKはしつこくパラリンピックを特集してます。多分殆どの若者は見ないと思うんですが、私達古いTV世代はそれでも見ちゃうんですよね。
開催されなければ、そんな矛盾も生じないんですが・・・
でもまたまた腐ったキャベツを食わされる身になるとは、これこそが本当の悲劇です。