ブログ友の記事に、”大正時代の毒婦、伊藤野枝”というのがあった。恥ずかしながら私は、この日本が生んだ”毒女”の事を知らなかった。
しかし、彼女ほど評価と評判が極端にかけ離れてる人も珍しい。評判は最悪でも、評価は最高の典型だったのだ。
今日紹介する伊藤野枝は、日本の婦人解放運動家で無政府主義者でもあり、作家と翻訳家と編集者をも兼ねる”スーパーな才女”なのである。
それでいて異性関係も多角関係を謳歌し、豪傑並みのバイタリティーを発揮する。勿論、生い立ちも波乱万丈であり、生き様も奇怪そのものだ。それでいて男女を問わず惹きつける強烈な魅力を持つ、この毒女の正体とは?
以下、mc_hippoサンの「伊藤野枝にまつわる逸話6つ」他諸々のサイトを巡り、もろ主観を交えての紹介です。
伊藤野枝という女
彼女の生き様を眺めてるだけで、男の私はグイグイと惹き込まれそうになる。地場と引力が強すぎて、彼女を取り巻く空間が歪む程であったろうか。こういう女性の魅力は半端ない。殆どの男なら騙されるであろう。
奔放不埒でありながら、婦人開放の現代的精神を先取りする。ウーマンリブの結婚制度否定を50年も早く提起し、人工妊娠中絶や売買春や貞操など、今日でも問題となっている課題を題材とし、多くの評論や小説や翻訳を発表した。
当時抑制されてた、女性の知と性と精神を開放し、多くの女性に強い影響を与えた。
”毒女”の異名を持つ伊藤野枝(1895-1923)は、福岡の糸島郡今宿村に生まれた。実家は海産物問屋を営んでたが、インフラの激変により村自体が廃れ、彼女が生まれた頃は家も没落し、貧しい少女時代を過ごした。
因みに、この地区で生まれた知人がいるが、”極悪の集まり”というイメージしかない。
お陰で、親戚の家を転々とし、中学(尋常小学校)卒業後は地元の郵便局で働いた。進学を夢見てた彼女は貧しさや苦悩の鬱憤を学業に集中する事で発散した。詩や短歌を投稿し、気を紛らすも上京の夢は諦めきれず、叔父に頼って猛勉強し、上野の高等女学校に進学する。そこでも作文の成績は群を抜いてた。
”アナキスト”大杉栄との運命の出会い
卒業後は親との約束通り、地元に戻り決められた人と結婚するも、僅か8日後に出奔し、再び上京。その後、女学校時代の憧れの恩師である辻潤の内妻となるも、アナキズム運動の中心人物である大杉栄を4角関係の末(大杉には内妻と愛人がいた)、力ずくで?もぎ取り、5人の子をもうけた。貧乏な上、官憲に追われながらも、大杉との生活は充実し、次々と共著を執筆する。
大杉栄との接点は、無政府主義者エマ•ゴールドマン(米)の「婦人解放の悲劇」を彼女が翻訳し、それを大杉が評価した事にある。
それに、自身の従姉妹と不倫関係に陥った辻潤の堕落と、その辻への不満があった。彼女には辻との間に2人の子供がいたが、全てを放り出し、大杉との性と生活に溺れていく。彼女にとっての恋愛は、”友情の上に性交渉がのっかっただけ”だったのかも知れないが、恋愛とはそうあるべきもんだろう。
因みに伊藤野枝は、男を魅了する様な美貌ではない。眼光は猛禽類みたいに鋭く、色も浅黒く服装も薄汚い。明らかに恋愛には不向きな風貌だ。
では彼女の魅力とは?
それは、超人的な努力の末に勝ち得た知性と、大杉や辻などの文人をも唸らせる文才、それにむき出しの野心と行動力だった。
事実男という生き物は、完成された脆い美しさよりも、未完成の危うくも逞しい暴力的な女の性と剥き出しの知性に強く惹き付けられる。それに外観の野生的な不器用さが相まって、強烈な地場と引力と奇怪な魅惑を醸し出した。
思想家としての伊藤野枝
”大正の毒女”と酷評されたこの伊藤野枝も、婦人開放運動家や思想家として非常に高い評価を得ており、かの瀬戸内寂聴さんもベストセラー著書の「美は乱調にあり」や「諧調は偽りなり」で彼女を非常に高く評価してる。
瀬戸内さんも憧れる程の伊藤野枝だが、彼女を支え育てた人物こそが、彼女が上京するチャンスを与えた叔父の代準介である。実は彼も右翼団体「玄洋社」に参加する活動家だったのだ。
伊藤野枝の才能と知性を見抜き、彼女の波乱の人生において幾度も手を差し伸べた代準介とは?
代準介が生きた時代は、最後にも述べるが、まさに右派や左派との激突が全国的に起こっていた時代だった。その夢を代準介は伊藤野枝に託したのだろうか。つまり習俗からの解放を訴え、共に自由を夢見た2人だった。
伊藤野枝は、権力に真っ向から勝負した運動家でもあり、思想家でもあり、革命家でもあった。
”社会は、個性を持った一人一人が自らの生きる力を最大限に生かしつつ、助け合っていくべきだ”と、彼女は言い続けた。
彼女の、鬱屈した精神と無邪気な反骨の魂は、複雑な生い立ちの中で育まれ、特に親戚の家にたらい回しにされた苦い記憶は、彼女を無政府主義や女性解放運動に突き進む、強いきっかけとなった。
一方で、彼女はよく勉強が出来た。文才に長け、野性味あふれる彼女の魅力はやがて、文壇をも支配していく。 不倫に不倫を重ね、女として堕落を重ねる度に、権力への反発と自由への渇望は凄まじいオーラとなり、彼女の煮え滾る情熱と奇怪な性を支えた。
女性の貞操や堕胎や廃娼論争など、当時の女性活動家でもタブーの領域に挑んでいった彼女も結局は、その卓越した知性を隠れ箕にし、愛する大杉と共に”やりたい事をやっただけ”なのかもしれない。
悲しいかな、天才ほど堕落する
天才の自由とは、庶民の自由とは次元が全く異なる。彼女にとってごく普通の我儘な行動でも、国家からすれば造反であり、知識人から見れば革命なのだ。
確かに、社会倫理を遥かに超絶した2人の生活には理解し難いかもだが、”やりたい事”をやった天才たちを悪と決めつけるのは、これこそが一種の常識に隠れた危険性、いや悪なのかもしれない。
”考える事を止める時、凡庸は悪に変わる”が当り前の今の時代であれば、伊藤野枝は卓越した歴史上の偉大なる政治家になってたかもしれない。女性初の総理大臣にまで登り詰めたとしても大袈裟ではない。
人の評価と評判の相矛盾する2つの要素を考える時、何時もの事だがこういった不条理が決まった様に起きてしまう。”バカほど出世する”じゃないが、天才ほど堕落するという矛盾。
伊藤野枝は虐殺される瞬間何を思ったか?自らの才能を無駄にし、寂れた田舎女で一生を終える事に人生の破壊を感じたのか?
それとも愛する男との波乱と矛盾と情熱に満ちた短い生涯を人生の王道と感じて微笑んだのか?
最後に
「海の歌う日―大杉栄•伊藤野枝へ」は、伊藤野枝の四女の娘ルイズが書いた本だが。その中に、”大杉栄は内務大臣の後藤新平から金を得た”という裏話がある。
これには、右翼の大物と言われた頭山満、そして政界の黒幕といわれた杉山茂丸の存在がある。頭山も杉山も野枝と同じ福岡の出身であり、伊藤野江の親せき筋が頭山である。当時は右と左が極端に対立した時代だったが、実際に紙一重の関係だった。
つまり、大杉栄と伊藤野枝が憲兵に虐殺されたという事実の中に、陸軍上層部と政界の奇妙な対立の構図が見事に曝け出されてる。
勿論、2人が単に軍部と政治の板挟みになったと言うつもりはない。ただ当時の国内の混乱した状況を考えると、無能な独裁者が天才を処刑したと思えなくもない。
混乱や動乱の時代、何時の世も犠牲になるのは、インテリ層だ。時代を先取りし過ぎるが故、やり玉に挙げられ、大衆の敵になり、軍部や政界の標的にされる。
大杉も野江も薄々感じてたに違いない。”私達はすぐに殺される、それも不条理で歪んだ権力に”と。
歪んだ時代に生きた伊藤野枝は純粋な女性だった筈。しかし時代が混乱し、歪んだ指導部の腐敗と荒んだ世論は、彼女を悪女にする事で解決を図ろうとした。結果、伊藤野枝の”毒女伝説”だけが残る形となる。
結局、歪んだ権力に真っ直ぐ立ち向かった生き様がもたらした悲劇であり、一瞬に燃え尽きた暁光いや僥倖でもあったのだろうか。
何だか書いてる内に、すっかり伊藤野枝にゾッコンになってしもた。イカン、イカン、彼女に付き合ってたら、幾ら命があっても足らんだろうな。
ですから女子が中学を卒業して女学校へというのは、正確な情報とは思えません。
その為だけに、わざわざコメント?
昔は4-4-5で、今は6-3-3って事かな。
でもドイツのキムナジウム(中等教育)は20年(10〜19)ですね。
執筆と運動に明け暮れ、思う存分に性を謳歌したんだね。女性なら誰だってこういう生き方してみたいと思うよ。絶対。
でも愛人の大杉栄は右翼だったんだよね。それが伊藤野枝と出会い左翼になったのかな。権力に抗うという点では、右翼も左翼も同じようなもんよね。
それに政界と軍部は繋がったり対立したりしてたから。本当に混乱の時代を全うに生き抜いた女だったのよ。
何だか泣きたくなってきた。
ではバイバイ👋
Hoo嬢も才女系だから、余計に惹かれるんでしょうな。時代が違ってたら彼女の運命も全く別物になってたでしょうに。惜しいことですね。
毒を吐く危険な女と
みなされたんだろうな
歪んだ権力と真っ直ぐな知力
僕の荒んだ心にも
彼女の毒を吐いてほしいよ
との真っ向勝負だったんですよ。
しかし権力は歪むけど折れない。
一方、天賦の才能は歪まないが折れてしまう。
故に、何時の世も才能は権力に牛耳られるんですよね。悔しい話です。