お気に入りのフォロワーが紹介する本=「世界の危険思想」(丸山ゴンザレス著)が、とても興味深く映った。
結局、奴らの頭の中は単純だ。金がほしいから人を殺すし、儲ける為になら何でもする。つまり、色々考えてたら人など殺せない。
確かに・・言われてみればそうである。
安い金で殺人を引き受ける者も問題だが、頭に来たからという理由だけで人殺しを依頼する者も単純だ。
犯人が多いと取り調べが厄介になるので、逮捕前に犯人を打ち殺す警官に、被害者が半身不随で生き残ると賠償が高くつくので死ぬまで車で轢くドライバー。
結局、暴力と悪は至極単純に出来ている。
以下でも述べるが、暴力を人類史から眺めた心理学者の本がベストセラーになったらしいが、暴力の根源が単純な思考から来るという視点で言えば、人類が暴力を克服するのは、どんな屁理屈を並べても無理な様に思えてくる。
そこで今日は、暴力について書きたいと思います。
人類は暴力を克服できるのか。考古学、社会学、犯罪心理学など様々な分野の研究者たちが”暴力とは何か”という根源的テーマに迫り、変革への道を探る。
現代社会、日々のニュースには暴力が溢れている。しかし、心理学者は”それでも統計的には私たちは今、人類誕生以来最も平和な時代に生きている”と語る。
つまり、暴力行為は何世紀にも渡り、減少し続けているという。果たして人類は暴力を克服する事ができるのか・・・
NHKBSでは「悪魔の誘惑と戦う」というサブタイトルで紹介されていたが、これはスティーブン・ピンカー著の「暴力の人類史」を元にしたドキュメンタリー番組である。
そのピンカー氏は人類史における暴力を以下の様に語る。
”1948年に国連は「世界人権宣言」を発表したが、この<人権>という概念は世界に大きな変化をもたらした。これは奴隷制や何百万人もの命を奪う<戦争を許さない>事を意味するからだ。
世界大戦について研究していた頃と比べると、暴力に関する議論そのものが進化してきた。が、今ニュースをつければ、暴力が世の中に溢れてると私たちは感じる。
(心理学的観点から言えば)私達は印象的記憶に基づいて身の危険を判断する。例えば、テロ事件の報道に触れると世界中でテロが急増してると思いこみ、日々のニュースを見て暴力が実際以上に溢れてると思いこむ。
過去の方が酷かったとて、現在の社会が完璧という訳ではない。むしろその逆で、暴力を減らすメカニズムが判れば、今後の犯罪を更に減らす事ができる。
歴史の中で暴力が減少してきた事に気づくと世界が変わって見える。人は歴史を通して人間の善良な意志が内なる悪魔に対して優位になってきたのだ。
つまり、人類は正しい事をしてきた・・”
アメリカから見た暴力史
ピンカー氏の研究から、人間に宿る”天使と悪魔の戦い”が私たちの歴史を突き動かしてきた事が分かる。つまり、世界中で紛争が決して無くならない今、暴力と向き合う姿勢が問われている。
「暴力の人類史(下)」では、”人は賢くなればなるほど暴力に係らなくなる。それは暴力によって引き起こされるリベンジとの得失を考える推論能力が高くなるからだ。つまり教育は暴力を無くし、紛争を平和的に解決する為の手段になる”とある。
しかし、教育だけで人は賢くなれるのか?賢くなったからとて暴力が減るという保証はあるのか?それに、偏った教育により全体主義という集団暴力に傾倒するのもまた事実である。事実、ソマリアの子供らは読み書きこそ出来ないが、銃や手榴弾やロケットランチャーの扱い方は知っている。これも暴力という名の教育である。
それに原爆という途方もない暴力は、賢い人が計画し作ったではないか。それでも、賢くなれば暴力は減少するのか?
そのピンカー氏だが、民主主義や基本的人権を高く評価するが、あまりにも”おめでたなアメリカ中心主義的”であるし、暴力の定義が曖昧すぎる様に思える。そもそも、心理学者に統計というものが理解できるのだろうか。
ただ、NHKで放映されてた分にはユニークにも思えた。攻撃本能が脳内の視床下部に存在し、同時にそこには、情緒や倫理を扱う領野も存在する。故に、”人の脳には天使(暴力)と悪魔(平和)が同時に存在する”と・・・ここまでは良かったが、見入ってる内にある種の欺瞞や偽善を感じたのも事実である。
勿論、レビューや書評を少し読んだだけでの評価だが、上下巻で1400頁というハードカバーで着飾った流行本をバカ正直に読む気は更々ないし、そこまで暴力的でも平和でもない。
ピンカー氏は前著「人間の本性を考える」にて、”あらゆる暴力は環境要因による”という通念に反し、人間には生得的な設計特性として”暴力的なものが予め備わってる”と指摘する(所までは良かったが)。「暴力の人類史」(2015)では更に発展させ、人類の歴史の傾向として、その”暴力性が減少している”と主張する。
以下、「おめでたいアメリカ人・・・」を参考に主観を混ぜてまとめます。
心理学・脳科学・歴史学・人類学を総動員し、人間の暴力を抑制する要因に斬り込み、まとめ上げてゆく様は流石とも言えるが、肝心の暴力の定義がどうも生ぬるい。
というのも、経済学から人類を定義した「殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?」(ボブ・シーブライト著、2014)から導き出される結論に重ね合うからだ。しかし、”殺人ザル”と人間では暴力の動機も定義も異なる。
一方で、広大なスケールで人類史を通観し、暴力性を生み出す”悪魔”とそれを回避する”天使”に例え、人間の本性に迫る「暴力の人類史」が面白くない訳がない。
しかし、物事を善と悪の両極端に分ける傾向は、”おめでたなアメリカ人”とも言えるし、ご都合主義に特化したストーリーテラー風の長編物にはウンザリと言えなくもない。
それに、本書の”暴力は減少している”との大胆な仮説だがその根拠が脆弱すぎる。
こうした仮説の曖昧さが剥き出しになったまま、暴力死の”数”にばかり着目し、暴力の中の”量”や”質”には殆ど触れてはいない。
つまり、統計の表面だけを見て数的な分析は出来ても、肝心の(統計学や数学では重要とされる)定量的分析が成されていない。もっと言えば、暴力死の数だけで見て”暴力の減少”を説いてるだけの(分厚い本ではあるが)薄っぺらな論調である。
ユダヤ人が見た暴力史
ピンカー氏のトリックは、暴力の範囲や定義を自分の都合に応じ、伸び縮みさせ、”暴力は減少している”との仮説に帰着させる所にある。
ユダヤ人らしい狡猾な知性と言えばそれまでだが・・
では実際に暴力は減っているのか?
答えは(アメリカ寄りで言えばだが)減ってるとしたいであろうし、”アメリカが世界のリーダーになってから戦争も暴力も減った”と結論づけたい著者の本音も見え隠れする。
勿論、ピンカーの主張の様に、民主社会によって抑制され、個人レベルでも抑制してる部分もあるが、その多くは形を変えて離れた所に移動してるだけである。
その典型がドローン兵器であり、遠く離れた場所から攻撃する事で自軍の犠牲を減らす事が出来る。著者はこれを”人類の脱暴力化の表れ”と呼ぶ。全くおめでたい(アメリカ贔屓の)ユダヤ人ではある。
著者の持論として、”途上国は何千年に渡り、部族戦争や内戦、帝国主義戦争や植民地戦争を行ってきた。一部の貧困国で戦争が続いたとしても、富裕国と貧民国の間で戦争が起る世界に比べればマシである”という。
しかし、アメリカは(言う事を聞かない)貧困国を悪玉にし戦争を仕掛け、暴力を肥大化させてきた。そうした暴力の火種は未だに地下深くで燻り続けている。
所詮は、”自分ん家が燃えてないからマシだ”というアメリカ自己中的な考え方から来るのだろう。が、そのアメリカは(途上国では到底製造できない)武器や兵器を渡し、現地の資源や労働力を搾取してきた。
お陰でどんな貧しい国も、より残虐で大規模な蛮行や暴力が当り前の様に行える時代になった。
こうした自らに都合のいい暴力を世界中に拡散してきたアメリカに罪はないのか?それでも暴力は減ったと言い切れるのか?
対人だけでなく、インフラを破壊するのも暴力だ。兵士を殺すより、その背後にあるインフラや社会基盤を破壊する。国家そのものを骨抜きにし、そこに住む人々を暴力の驚異により従属させ根絶やしにする。
核兵器の一次目的はそこにあるし、日本もその被害国の一つである。
つまり、武器の歴史が”遠くの的(国)を破壊する”事にあるならば、それら暴力の定義(度合い)には、失われた人命に加え、使われた武器の破壊力や弾丸の数や難民の数に、破壊・汚染されたインフラや社会も加える必要がある。
ここら辺の統計学的な検証を無視し、単に兵士の死者数が減ってるから、民主主義的に暴力が許されないから”暴力は減ってる”というのは、”見たいものだけしか見ない”アメリカの自己中的理想主義、いや大国の無邪気さと無神経さを描いただけの”おめでたいアメリカ人”とも言える。
ピンカーは上巻の最後で”<20世紀は歴史上、最も血なまぐさい世紀>だとは到底言えない。まずは、このドグマ(教義)を排する事が戦争の歴史的変動を理解する為の最初の一歩となる”と結論づけている。
以上、、<私が知らないスゴ本>からでした。
最後に〜統計を履き違えた知的バカ?
ピンカーの最後の結論には、全くの大笑いである。
20世紀に行われた2つの世界大戦は(事実上は)アメリカが引き起こしたものと言える。それを過去に責任転嫁する哲学かぶれしたユダヤ人とも言えなくもない。
事実、本書をを批判してるのは「身銭を切れ」のナシーム・タレブや「希望の歴史」のルドガー・ブレグマンだが。特にブレグマンは”統計的なデータの扱いを間違えてる”と指摘。タレブに至っては、”データかの裏付けも無いまま使用してる<知的バカ>”と容赦が無い。
スティーヴン・ピンカーという人だが、肩書はハーバード大学の心理学教授で、2004年にタイム誌の”世界で最も影響力のある100人”に選ばれた。
心理学の世界的権威が、これまでの知見を総動員し、壮大なスケールで大胆な仮説を提示する”未来の希望の書”とべた褒めだが、そもそも心理学という曖昧な領域で正確な仮説を立てれるのだろうか?それに心理学の立場で統計を理解できるのだろうか?
もっと言えば、心理学者から見た”暴力の歴史”とは、単に統計学を無視したご都合な自己満足の偽善の著とも言える。
一方で、レビューの評価は平均して4.5/5とバカ高いが、どこをどう読めばこんな評価になるのだろう。
小児性愛者のビル・ゲイツが”永遠の一冊”と評価した時点で、どれだけのレベルかをすぐに理解出来たが、正直読まないで大正解だった。
村上龍や村上春樹の上下巻の分厚いハードカバーもそうだが、宣伝が大げさなものほど外れが多いのは、世界共通みたいである。
そういう意味では、超低評価の辛口なレビューに感謝である。
投稿で紹介していらっしゃる本について、
どちらも読んでおりませんので、
書評はできかねますが、
人類は暴力を克服できないと思っています。
草食動物が草という命を、
肉食動物が餌という命を奪うのは、
種と自らの命をつなぐ為ですが、
人類は貪欲に「豊かさ」を求めて、
自分達が生きる為以上に、他を殺す。
共食いも厭わない生きものです。
また発達した頭脳は、時折制御しきれなくなる「感情」を宿し、
誰しも心に「鬼」を飼うようになりました。
暴れ出した鬼をなだめるのは容易ではありません。
鬼が暴力を生み、暴力を鎮める為に鬼の暴力が行使され歴史を紡いできました。
よわったものです。
貴兄の今投稿のお陰で、色々と考えさせてもらいました。
ありがとうございます。
では、また。
私も同感です。
”暴力は脳内に既に存在する”に関しては至極同意できますが、”暴力は減っている”に関しては偽善もいい所で、単にウケを狙ったユダヤ人特有の商魂逞しいハッタリに思えます。
それに20世紀に起きた2つの世界大戦やそれ以降の朝鮮戦争やベトナム戦争それに2つの湾岸戦争ら、アメリカが仕掛けた人類史上最悪の暴力を無視せよとは、如何にも傲慢すぎます。
昨今のベストセラーを謳う分厚いハードカバーってこんなモンなんですかね。
多くの分厚いベストセラーは高価な為に図書館で借りるんですが、ブログを書いてる内に読む気が全く失せました。
こういうインチキ本も珍しいですよね。
むしろ、最初に紹介した「世界の危険思想」の方がずっと暴力を等身大に捉えてると思います。
こちらこそ色々と勉強になります。
では・・・
こういうのがいるんだよな。
世界のベストセラーの多くをユダヤ人作家が創出してるけど、こうした薄っぺらな偽善本もそれなりに存在する。
転んだくんが指摘してたように、心理学者に統計学は重荷過ぎたのかな。
そのまま心理学的な視点で暴力を語ればよかったものの、それだけではボリュームがないので、付け焼き刃的に様々な分野の学問を総動員するから余計に嘘っぽくなる。
我々大衆はこうした長編本の中に羅列する専門用語群にとても弱い。
逆を言えば、派手に着飾ったハードカバーで著名な専門家の言葉や論調を載せればそれだけでベストセラーになる。
でも、この本を額面上の値段(4,620円×2=9,240円)で買った人って、どんな人種なんだろう。
すぐに飛びつきそうな人種でしょうか。
彼のハードカバーはデザインが秀脱してますから、大衆は余計に群がる。
今回の「人類の暴力史」なんて、村上春樹のユダヤ人作家バージョンです。
売れない訳がない。
出版の世界も売れてナンボですから、今や中身はどうでもいい。
上下巻のハードカバーというだけでスッカリ騙される。
飾りじゃないのよ♫じゃないですが、読むのは引けますよね。
単純が故に世界中でも蔓延するし
どんな時代も暴力と性犯罪はなくならない。
心理学や統計学を持ち出さなくても、暴力や性の単純性は明らかだし、人類が消滅しない限り暴力がなくなることはない。
そんな単純な性と暴力は結びつきやすく、凶悪化しやすい。
暴力と戦争の関係もそこまでは単純じゃないけど同じようなもんで
ただそんだけのことなのに
わざわざ統計を持ち出すこともないだろうに
確かにピンカー氏の暴力論は楽観的ですし、アメリカ中心的ですよね。
肉食動物は暴力をふるいますが、それはあくまで腹を満たすため。
お腹がふくれれば必要以上に暴力をふるいません。
ところが人間は……。
お腹がいっぱいになっても、生活が豊かになっても、もっともっとと欲しがって他者に暴力をふるいます。
人間は本能がぶっ壊れている存在なんですよね……。
それを抑制するために、法律や道徳や宗教を作っていますが……。
「殺人ザルは・・」とほぼ同じ原理ですが、同じ共食いでも戦争となると人間のほうがずっと凶暴いや狂暴です。
種の本質や生物としての本能で見ても殺人ザルと同等で、そんな生き物が高度な文化や文明を築き上げても戦争で全てを壊してしまう。
まさに殺人ザルよりもタチが悪い。
こういうのは心理学や経済学を持ち出さなくても明らかなのに、暴力や性は出版の世界でもお金になるんですかね。
つまり、人類は他の動物に比べ、非常に暴力的にできている。
この事は心理学や統計学を持ち出すまでもなく明らかな事ですが、ピンカーはアメリカの暴力を正当化してる様に思えます。
丸山ゴンザレスさんの「世界の危険思想」の方がずっと暴力の本質をシンプルに暴いている。
凶悪犯から眺めた暴力の方が説得力があるし、こうした暴力を抑えるには(暴力を内蔵しない)AIの力を借りる必要があるかもです。