象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

時空をも歪ます文筆。バルザックとゾラ。

2018年01月14日 02時00分16秒 | バルザック&ゾラ

 バルザックの本を読む時、何時も思うのだが、"旧訳は口に苦し"というか。元々活字嫌いの私にしては相当にストレスが溜まる。その上、彼の著書は旧訳が多いから余計に。

 彼の本を読む特は、出来るだけ概要を、気に入ったフレーズを書き写しながら、自分なりに再構築するかの様に浸りきる。恐ろしく手間暇掛かる読み方だが。

 すると、不思議な事に、バルザックの万能マジックとかゾラの斬新なトリックとか、そういうものがぼんやりと拝めそうな気になるのだ。当時の作家は今の様に、ゴースト作家やレイアウターやシステマチックに整った編集部がないから、全て独力で孤軍奮闘し、描いてた筈だから。それにしても天才を超えた文筆の塊には毎度驚かされる。

 バルザックの、無尽蔵に次から次へと生み出される濃密で卓越した描写は、質朴のオランダの風景画を眺めてるかの様な錯覚に陥る。絵を描く様に筆をペンに代えて、デッサンに濃密な絵の具を落とし込む様に、寸分の狂いもなく、自らの幻想と物語と時代と社会とを絡ませながら一気に描き切る。印象派を突き抜け幻想派に至るまで、力感溢れる多彩な色彩を縦横無尽に描ききるゾラとは実に対照的でもある。

 思った事を遠慮なく、縦横無尽にかつ傍若無人に描き切るゾラ。超人的文才を惜しみもなく読者の心の闇深くに注ぎ込むバルザック。まさに、彼らの筆の鼓動というか、波動というか。彼らが書き残す一つ一つのフレーズが、時空を歪め、あたかも彼らが生きた19世紀の激動のフランスに、否応なしに私を放りこむのだ。

 ここ数年、ゾラとバルザックに出会い、自分はずっと帝政から共和制にかけ、波乱に満ちた悍ましくも魅惑的なパリに浸り続けている。今ではもう、全く抜けられないでいる。
 歴史から全てを学んでる様な幻想に浸ってるのだ。全く、自分の頭の中の時空の歪みが戻らなくなってる。でも、かと言って、何ら不満はない。むしろ、ずっと充実してる程だ。

 彼らの才能は崇拝を超える。彼らの存在は神を宗教の領域をも超える。深く彼らの作品に浸る事で、それは一層強固なものとなる。と云うのも、私も彼ら同様、分裂症系人種なのだ。よく言えば多感という事になろうが。全く、これじゃ依存症そのものだ。



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