象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

神様に愛された、才気溢れる者の死

2018年01月13日 08時07分23秒 | 独り言&愚痴
 バルザックもゾラもモーパッサンも、過去の才気に恵まれた偉人達の死は、非常に呆気ないものだった。もう少し彼らに見合った死に方ってものがって。

 まるで、神様から"もう十分でしょ、貴方だけを特別扱いする訳にもいかないのです"とのお告げみたいだ。世の中はそういう意味では全く平等に出来てる。

 俺の親父も兄も早死で、その上、苦しみ抜いた死に方だった。若くして死ぬんだから、もっと楽に、あんなに苦しめず死なせては、と神を憎んだ。それ以来、僕はずっと無神論主義である。

 でも、その考えも少し変わろうとしてる。それは、あるブログ友の母親の死だ。全く、羨ましい程の死に方なのだ。正直、嫉妬も覚えた。何でこうも違うのかと。

 でも、神様は存在した。女神は死者に、死ぬ間際の者に、優しく滑稽な微笑みを投げ掛けたのだ、"もう十分でしょう"と。
 愛して止まない曾孫の幼くも華麗なるピアノを堪能し、ホテルでの美味しい食事を娘と孫一家と共にご馳走になった後に、永眠したのだから。まさに、最後の晩餐を絵に描いた様な光景が目に浮かぶ。

 これ程の贅沢な死に方が何処にあろう。やはり、神様は存在する。いや、そう思いたい。


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