私は5年間、田舎の消防団に所属していた。
特に、年明けの出初式は苦痛以外の何物でもなかった。
寒い上に、役員たちのスピーチを延々と聞かされ、身体は凍りつき、心は疲弊しきった苦い記憶がある。
”私事ではありますが・・・”で始まるバカ臭い演説は、今でも私の脳裏に刻み込まれている。全く”私事”を省けば、数分で終わるスピーチにである。
政治家は演説が大好きだ。ヒトラーもチャーチルも独裁者というより演説家であった。
まるで自分が上級市民で、それを聞いてる群衆は下級だと言わんばかりの態度である。
深夜に、IOC会長のスピーチが流れていた。
それは、ド田舎の消防の出初式と全く同じ次元ものだった。
この男は、何かを延々と喋り続けていた。
その何かは、私には殆ど理解できなかった。
まるで、無能なスピーチライターが慌てて書き殴った原稿を、必死で読み上げてるようだった。しかし背中には、追い詰められた男のある種の悲壮感が滲み出ていた。
スピーチというより、壊れたスピーカーから流れる雑音みたいで、不愉快以外の何物でもなかった。こういうノイズを不協和音というのだろうか?
3密に成り下がった入場行進
開会式は最初から見る気はなかった。
しかし、金曜のそれもゴールデンタイムというのに、それに見合う番組すらなかったので、仕方なくチャンネルを合わせた。
運良く、各国選手の入場行進が始まったばかりだった。
最初こそ3密を避けるが如く、選手間に一定の距離が保たれていた。しかし、慣れてくると選手同士でイチャついたりハグしたりと、コロナ渦に苦悩する日本人をあざ笑うかの様な展開に成り下がっていく。
当然の事ではあるが、”安全・安心”の大会というのは最初から無理難題だった。
何だか思った以上に、アホらしくなってきた。10分ほど、その無機質で無味乾燥な開会式を眺めてただろうか。そしてチャンネルを切った。
判りきってる事だが、オリンピックの開会式には、IOCの存在や五輪憲章と同様に、何の意義も意味もない。
今まで何度かオリンピックの開会式を見てきたが、心躍ることは一度もなかった。というのも、そこに降り立つアスリートたちもIOCの奴隷に過ぎないからだ。
開会式の2日前に競技は始まってたが、アスリートたちのモチベーションが予想以上に落ち込んでいた事実に、憐れみと同情と驚きを感じていた。
が故に、開会式だけは見ようと、ほんの少しの期待がなかったと言えば嘘になる。
しかし、そのほんの少しの期待すら裏切られた。
勿論、こうなる事は最初から分かり切っていた事ではあるが・・・
ケチがついたスピーチ
4年に1度のオリンピアードは単なる世界選手権ではなく、世界の祭典なのだ。が故に無観客で成立する筈がないし、誰もいないお祭りなんて、それはお祭りとは呼べる筈もない。
逆に、無観客でお祭りをヤれっての事自体が無理である。
しかし、開会式が無事に終わってさえくれれば、誰も文句もケチもつける事は出来なかった筈だ。
”カラフルではあるが、妙に落ち着いたセレモニーが独特なパンデミックの中でのオリンピックにふさわしい雰囲気を醸し出した”(AP通信)や”非常に控えめなセレモニー”(英ガーディアン誌)と、海外メディアには意外にも好評な報道もあった。
確かに、連日の追い詰められた状況の中での精一杯の演出だったろう。それだけでも凄い事だ。
しかしこれまた予想通りだが、IOC会長のバッハが全てを台無しにした。
与えられた4分半のスピーチを大きくオーバーし、13分間も喋り続けた。
唯でさえ、コロナ感染対策で入場行進に余分な時間を取られたというのに、最悪日付が変わるギリギリ(11時51分)に終了という、全く配慮を欠く無様を晒したのだ。
橋本(組織委)の無学で無能な6分間のスピーチも含め、(予定の9分を超え)20分近くもグダを聞かされたアスリート達は、消防の出初式の団員たちと同様に、深い失意と絶望に浸ったに違いない。事実、ゴロ寝する選手たちも目立ったほどだ。
しかし、これこそがオリンピックの実像であり、隠された身代金なのだ。
思うに、開会式にはIOCや組織委のスピーチは全くの不要である。
オリンピックはIOCや政府や組織委の所有物じゃない。アスリートと彼ら彼女らを応援する庶民のものだ。
せめて、僅か13秒の天皇陛下のスピーチだけにすべきだった。バッハも橋本も最初からお呼びじゃなかった。この二人は折角の”哀しい祭典”を全て台無しにしたのだから。
無用だった聖火リレー
無用だったのは、スピーチだけじゃなかった。
その後に行われた聖火リレーも、無駄という点では全く引けを取らなかった。
共に3つの金メダルを獲得した野村忠宏と吉田沙保里の2人で始まった聖火リレーだったが、哀しいかなチッポケで憐れな小人に見えた。
闘病中の長嶋さんも登場したが、正直残酷な感じがした。松井と王さんだけで良かったかなとも思う。
最後は大阪なおみさんだったが、ピンクのトレッドヘアは何を意味したのか?
ガダルカナルタカが言ってた様に、ホンダ製のロボット”ASIMO”でも良かった。いやそっちの方が”ロボット大国ニッポン”でずっとも盛り上がったかもしれない。
結局、160億円もの大金を掛けて意気込んだ開会式だったが、質素で控えめな演出は新鮮味をもたらし、口うるさい海外の評価も高かった様に思えた。
それなら最初から”お金を掛けない質素な”開会式というコンセプトで望んだ方が、ずっと上手く行ったかもしれない。
今から思えば、コロナ渦の影響により1年に延期を決めた時点で、”コンパクト五輪”に再シフトし、予算を大きく絞ってた方が感染対策もスムーズに行えたかもしれない。
何でもそうだが、大風呂敷を広げすぎると、取り返しのつかない事になる。
全ては”足りない”くらいが丁度いい。
開会式のダイジェスト版を少し見ただけだが、オリンピックは隣組の世話と同じで、ない方がストレスが堪らない。同じ様に、普通の生活をする上で大きな混乱も騒動も起こさないという点では、ない方が必然なのかなと、少なくとも開会式においては強くそう確信した。
クーベルタンの呪いは、2021年の東京で完遂したのだろうか?それとも、まだまだその呪いは届かないのだろうか?
IOC会長のバッハ会長の演説が13分もあったのですか~
多分うとうと眠ってしまって見ていなかった、良かった!
スピーチが長いのは頭が悪い証拠です、
言いたいことを一言にまとめられないなんて~
長嶋さん、何故出てきたのでしょうか?
哀れしかなかったです、
160億円もかかった舞台装置無駄使いしかないですね。
長嶋さんは可愛そだったですね。バトンが手間取ってたら、日付は明日になってました。
カネはない・支持もない・感動もない
何もないオリンピックに終わりそうですが
でもバッハ会長は少し可哀相だったですね。あんな貧相な表情は初めて見ました。
コメント有り難うです。
”完全な失敗に見える”と予見し、実際にその通りになりました。
”国民の熱意は敵意に変わり、1964年の続編を作るのは当初から難しかった”と書いてます。
結局、オモテナシは内向的で外人を警戒する日本像を浮き彫りにしたとも揶揄してます。
ここまで見事に予見されると
日本人としては何も言えませんね。
まさに昨日の開会式は実質上の無条件降伏でした。
結果的に見て、菅政権の賭けは見事裏目に出ました。コロナ対策と五輪の安全安心対策の両方を追いかけ、両方とも失いました。
結局、エビデンスを示そうとしない政府の曖昧なコロナ対策が国民の自粛放棄を生んだとも言えます。
これに対し、政府は高圧的な態度で臨み、逆に国民の反発を買いました。
水際対策が穴だらけなままオリンピックに突入した以上、東京大会が失敗作に終わるのは目に見えてましたね。
その上、菅首相は選挙のことしか考えてません。五輪開催も有観客も全ては選挙のためです。
開催すれば全ては上手く行くだろうと、一発大逆転を狙ったんですが、危機的状況での大博打はほとんどが失敗に終わりますね。
まさにそのものです。
地上波はオリンピック一色ですが、何だかスプリングトレーニングを見てるみたいで、気持ちが盛り上がりません。
これでコロナ感染が爆発したら最悪ですよね。
今やオリンピックはNBCやIOCの独占所有物に成り下がり、更に票集めの単なる道具になってます。
そんな腐った現実を知ってて、アスリート達は必死にメダルを追いかける。
これ程の不幸が何処にあろうか??
コメントありがとうです。
まあ、気をつかってネガティブ論評を避けるとしたら、こう評するしかなかったんでしょうね。
煎じ詰めれば、「地味だった」「退屈だった」
バッハにしてみれば、「一世一代の歴史に残るスピーチ」をしたかったんでしょうね。
しかし、それが裏目に出てしまった。
ウケてやろうとか、感動させてやろうとかの下心があると物事は失敗するんですよね。
そしてチュニジアの選手も。
これがあるからオリンピックは続くんですよね。どんな時代でも悪は蔓延るし、そんな中で救世主も現れる。
但し、IOCや日本政府や組織委が足を引っ張りすぎますよね。
アスリートによるアスリートの為の祭典をつくるのが理想なんですが・・・
コメント有り難うです。