常識はずれの天才
をとりまく支援者の優しい心とエルデシュ自身の純粋で真摯な生き方。
邦題の通り、エルデシュは類いまれな天才であり、自宅を持たずに友人の家を泊まり歩く異端で放浪の数学者であった。また奇行も多く、表紙にはコミカルなイラストに加え、”宇宙一おかしな男”のコピーが添えられてる。
しかし、本書は変人を追いかけたゴシップ集ではない。想像を絶する”常識はずれ”のエピソードが沢山紹介されてるが、それが本書の目的ではない。
原題は”The man who loved only numbers”(数学だけを愛した男)であり、1日19時間も数学の研究に打ちこみ、83歳で亡くなる瞬間まで研究を続け、オイラーに次ぐ1475本もの論文(その多くは共書である)を書いた奇才エルデシュと数学の関わり合いを紹介する(尚美学園大学教授 戸川 隼人)。
どこにも所属せず、定住地を持たず、古びたブリーフケースには替えの下着とノートのみ。世界中を放浪しながら、数学の問題を解き続けた伝説の数学者ポール•エルデシュ。
悩める奇才ゲーデルを励まし、アインシュタインを感服させたエルデシュの唯一のライバルは、美しい証明を独り占めする”神さま”だけ。子供のコーヒーと、何よりも数学をひたすら愛し、史上最高の数学者にして宇宙一の奇人。数学の世界をかくも面白くした天才の類稀なる人生を追う(ブックレビュー社)。
大論争〜奇人か?天才か?
正直エルデシュと言っても、セルバーグと共に独立して、素数定理を初等的な方法で証明したという事くらいしか知らなかった。
因みにセルバーグは、エルデシュのアイデアを利用し、初等的証明の完成を仄めかす。一方エルデシはュは、共同で発表するつもりだったが、セルバーグは一人で証明の論文を発表してしまう。
頭にきたエルデシュも、負けじと素数定理の証明の簡略化に繋げた(少し訂正です)。
勿論、大論争を引き起こし、先取権で揉めた後、結局この素数定理の初等的証明は、ハンガリーでは”エルデシュ=セルバーグの証明”と呼ばれ、それ以外の国では”セルバーグの証明”と呼ばれる。
結婚もいず子供もいなく、その上、変人で放浪者でシャブ中で大酒呑み。
タイム誌が、彼を”変わり者中の変わり者”と評した様に、奇怪なイメージしか思いつかなかった。
そのエルデシュも、”数学は社会活動である”との信念を持ち、他の数学者と共同論文を書くという目的の為だけに巡回生活を営んでたとされる。
彼の人柄を知るにつれ、ラマヌジャンと同様に、ここに来てエルデシュの評価はぐんぐんと鰻上りだ。
果たして、”放蕩の奇才”エルデシュがガウスやオイラーやリーマンを超える日が来るのだろうか?奇才が天才を超えるという事があるのだろうか?
不幸な生い立ち
エルデシュは、1913年にオーストリア•ハンガリー帝国のブダペストで生まれたが、大人まで成長したのは彼一人だった。
2人の姉は彼が生まれる前に、3歳と5歳で猩紅熱により死亡。両親はユダヤ人で、数学教師だったので、早くから数学の魅力に浸った。
父親がシベリアに投獄され、母親が家計を支えた為に、両親が家に残していた数学の教科書を読んで独学した。
因みに4歳までに、年齢だけで生まれてからの秒数(n×24×60×60)を一瞬で暗算できた。
家族の大半は、ホロコーストによりブダペストで死亡した。母は隠れて生き延びたが、エルデシュはアメリカに在住し、プリンストン高等研究所で働いた。
エルデシュは物を殆ど所有しなかった。故に、持ち物はスーツケース1つに収まった。賞やその他の収入は、必要な人々や価値ある目的の為に寄付された。残ったお金は、”エルデシュの問題”を証明した人の賞金とした。
彼は、多量の飲酒とドラッグを服用していた。1日19時間を数学の研究に費やせたのは、アンフェタミンを常用したせいだとされる。
1934年、21歳で故郷のブダペスト大学で数学博士号を取得し、客員講師となる為にマンチェスター(英)に転居する。
1938年、彼は米プリンストン大学にて、アメリカで最初の地位が与えられたが。エルデシュはこの時から、大学から大学へと放蕩の旅に出る様になる。晩年の数十年間で、彼は少なくとも15の名誉博士号を取得した(Wikiより)。
エルデシュ数
エルデシュの数学のスタイルは、”理論の開発”というよりは”問題の解決”である。
彼は生涯に511人の研究者と共同研究を行ったが、友人たちは敬意と軽いユーモアを込めて”エルデシュ数”を作った。
エルデシュ数とは、共著論文にてエルデシュとどれだけ近いかを表す。
つまり、彼と直接共同研究した者はエルデシュ数1となり、エルデシュ数nの者と共同研究した者はエルデシュ数n+1を持つ。
故に、エルデシュ数1の数学者は511人で、約20万人の数学者にエルデシュ数が割り当てられ、世界の活発な数学者の90%が8より小さいエルデシュ数を持つとされる。
例えば、エルデシュ数を持つ数学者全体のエルデシュ数の中央値は5で、フィールズ賞受賞者のエルデシュ数の中央値は3である。2015年現在、約1万人の数学者が2以下のエルデシュ数を持つ(Wiki)。
偉大なる奇才、そして20世紀最大の天才
「放浪の天才数学者エルデシュ」は、アインシュタインと並ぶ20世紀の天才とされ、奇才&鬼才とされるエルデシュの、風変わりな愛すべき伝記でもある。
クルマのナンバーやトランプのカード、電話番号などの数を見て、ある数字の組み合わせを一瞬にして弾き出す様な脳みその構造が、多くの偉大な数学者にはある。
数字に美しい風景を見出せば、数学にて見事なスケッチが描け、数に美しい音を聴き出せば、数学で可憐な音楽を奏でる事が出来る。
これも数学にハマるとはこういう事なのかもしれない
エルデシュも含め、偉大な数学者の多くは、”サヴァン症候群”(自閉症の一種)だとされるが、音や数字に感じるものが常人のそれを遥かに超越してるだけだ。
それを奇人と呼べば、偉大な数学者はみな変人である。
数学とは、数という人間が発明した仕組みの中に規則性を発見する科学である。数はあくまで人間が発明したものであるが故に、その規則性や素性は人間が生み出せる筈である。
しかし、素数ですら全てが解明されてる訳ではない。故に、数学は人間か作った科学ではあるが、自然を奏でる美しい科学でもある。
ガウスの言葉に”数学は科学の女王であり、数論は数学の女王である”また”数論の法則は目に見えて現れるものだが、その証明は宇宙の闇に深く横たわってる”とある様に、数学は神学や哲学に近いのかもしれない。
同じ様に、エルデシュも神に近い存在なのかもしれない。
ルース=アーロンペア
また、”ルース=アーロンペア”を巡るエピソードも面白い。
ルース=アーロンペアとは、ベーブルースの本塁打記録714本とハンクアーロンが放った715本との間に、特異な規則性がある事をカール•ポメランスが発見し、エルデシュは彼と共同で論文を執筆した。
その論文が元になり、エルデシュとハンクアーロンには、名誉学位が与えられた。
その授与式の際、エルデシュとアーロンは同じ野球ボールにサインをした。だからアーロンは、エルデシュ数1を持つ初の野球選手というエピソードだ。
因みに、”ルース=アーロンペア”の特異性とは、2つの連続した自然数のそれぞれの素因数の和が互いに等しくなる組の事で、20000 以下では僅か26組しか存在しない。
実際に、714=2×3×7×17、715=5×11×13で、 2+3+7+17=5+11+13=29となり、上の条件を満たす。
同時に、714×715=17#=2×3×5×7×11×13×17=510510 となる。p#は、2からpまでの素数の総乗で素数階乗と呼ぶ。
この様な性質をも併せ持つルース=アーロンペアは更に少なく、20000以下では僅かに(5,6)と(714,715)の2組だけである。
最後に〜愛すべきエルデシュの生涯
エルディシュが好きなのは、数学だけではなかった。イプシロンと自ら名付けた子供たちも好きだったし、大学生になるまで一緒に寝てたとされる母親をずっと愛していた。
恵まれない障害者や貧困者には出来る限りの救いの手を差し伸べ、”エルデシュ問題”を解いた子どもたちにはお小遣いを与えた。
彼は、数学同様に人間らしさも卓越していたのだ。
上でも述べたが、エルデシュと直接、或いは間接的に共著した相手には、エルデシュ数nが与えられる。これはエルデシュが世界中の数学者に大きな影響を与え続け得る、”現代の数学の巨人”という事の証明でもある。
彼は数学を愛したが、数学を通じて人との交流をとても大切にした数学者でもあった。
理想の数学者の鏡とは、エルデシュの事を言うのであろうか。
できるだけ、中立の視点で書いたつもりですが、どうしてもエルデシュ寄りになりますね。
でもエルデシュの言うように、数学は一人では限界があります。故にこれからはチームとして進めていく必要があると思う。
でもセルバーグの気持ちも解るけどね。
コメント度々ありがとうです。
そして今、リーマン予想も確率論的解釈で捉えれらるようになりました。
当時、エルデシュがそうしようとした様に、素数のデタラメさを逆から捉える事で、リーマン予想の反例を導く事が可能になるとされます。
しかし、リーマンの鏡の向こうを眺めてたのは、リーマン本人とエルデシュだけじゃんなかったんですね。
もちろん、セルバーグも漠然とではありますが、そういう事には気付いてたんですよ。
当時リーマン予想は、ゼータ関数の風景を描写するであろう幾何学に、多くの数学者が心を奪われてました。つまり、素数そのものではなく、ゼロ点だけに目を光らせてました。
しかしエルデシュはその裏を突いたんですよね。
一方でセルバーグは、エルデシュのそのまた裏を突いたとも言えますね。
転んだサンがセルバーグを卑怯者と呼びたがるのも肯けます。
こちらこそ、度重なるコメント返し、失礼します。
セルバーグとエルデシュは、丁度プサンとアダマールの関係に似てますね。
一番難しい所をエルデシュにさせときながら、自分は一番おいしい所をもっていく。
セルバーグの言い分の判らなくないが、共同で発表してたら、エルデシュは放浪の旅を続ける事はなかったか?
しかし話はより複雑なんですね。ディリクレの素数定理は、ある意味リーマン予想を生み出したきっかけとされます。ゼータ関数を素数の謎に巧妙に使った最初の人です。
しかしそのディリクレの定理を初等的に証明したのはセルバーグでした(1946)。
一方でエルデシュは”ベルトランの仮説”を初等的に証明し、それを拡張すれば、素数が無限にある事に、セルバーグと同じく気付いてました。
つまり、N〜2Nの間に素数があれば、N→∞とすれば、N〜1.01Nの間にも素数が存在する。これを拡張すれば、素数は無限に存在しますね。
ただ、ベルトランの仮説を証明するには、ディリクレの定理を証明したセルバーグの初期の公式(漸近式)が必要だったんですね。
友人のトゥーロンはこれを”数論の恐ろしき応用”と語ってます。
故に、エルデシュがセルバーグの素数定理の初等的証明を顛末を聞いた時、別に驚かなかったんです(1949)。そして共同で発表しようと申し出たんですよね。
いくらセルバーグの公式が起点になってるとは言え、エルデシュの洞察は凄いものがありました。セルバーグはそれに気付いてたんでしょうね。エルデシュの名を伏せ、エルデシュのアイデアを無視した論文を発表しました。それでめでたくフィールズ賞です(1950)。
しかしその”卑怯者”?セルバーグも後に、”2059年の200周年を迎える時もリーマン予想は未解決のままかもしれない。でも不可能だとも思わない。だが、人間の脳ではついていけないくらい複雑である”とも述べてます。
長すぎたコメント返しで、悪しからずです。
大まかな流れをたどると
まずセルバーグが漸近公式を証明します。その後、エルデシュがその漸近公式を使い、ベルトラン予想を初等的に証明し、一般化します(1933年頃)。
一方でセルバーグは、ベルトラン予想の初等的証明がなされれば、素数定理も初等的に証明できると睨んでました。故に、セルバーグはエルデシュのアイデアを使って、念願の素数定理の初等的証明にこぎつけます(1947年)。
この時、エルデシュは共同で素数定理を証明しようと持ちかけますが、セルバーグはこれを断り、エルデシュのアイデアを回避した証明を発表し(1949年)、見事フィールズ賞を独り占めします。
同年、怒り狂ったエルデシュは、独立して素数定理を証明します。
論争のきっかけですが、両者ともセルバーグの公式が起点になってるので、セルバーグに軍配が上がった形となりますが。
当時は驚きの発見とされたこの証明も、予想されたほどに前進したものではなかった。つまりリーマン予想はそのずっと先を行ってたんですね。
以前残したコメントに付け加えます。
感心!感心!です。
定理の再証明こそが、純粋数学者の真の理念かもしれません。”証明は難しい”から”証明はエレガントに”の時代へですかね。
素数定理の証明は、整数→実数→複素数の世界へと転移していきますが、最後には初等的証明へと舞い戻り、ずっとシンプルになりました。
フィールズ賞をとったセルバーグも凄いですが、エルデシュはもっと凄かったということでしょうか。
新しいエレガントな証明を見つ出す
天才なんだろう
素数定理の定義って
N番目の素数の数のことだから
勿論答えは整数だよね
でも近似式は
対数関数の逆数を積分したもの
つまり、ものすごく半端な実数が
この近似式の答えってことだ
アダマールは複素数の解析を使い
複雑だがシンプルな証明にこぎ着けた
しかし、素数定理には複素数は含まれない
そこで、ハーディは複素数を使わないで
証明ができないものかと問題提起した
その27年後
エルデシュとセルバーグが対数の性質を利用し、複素数を使わずにエレガントな証明にこぎ着けた
以降、素数定理の新しいシンプルな証明が
色々と発見されるようになった
定理の再証明って
数学者が今まで歩いてきた道を整備し
もっと明るい道を見つけ出す
不可欠な行為かもしれんね
私もこの名言が素晴らしいと思います。
関数の極は転換期だし、複素積分に拡張すれば、もっと豊かな人生が歩めますね。
コメント有り難うです。
byクロネッカー
「数学の本質は自由にあり」 byカントール
「数学の本質は表記でなく概念にある」 byガウス
「数学者とは生まれるものでなければならない」
byポアンカレ
「数学と音楽は全然似てないよ。だって数学は美しいじゃないか」 byクライン
しかし、僕が一番好きな言葉はこれだな。
「時間を積分したものが人生であり、時間を微分したものが今である」 by某数学者
エルデシュは無神論主義者でしたが、本人が神様だったんでしょうか。
嫌味でややこしいだけの数式の塊は、”ランダウの挙動値”として切り離し、解析的に処分しましょうって事ですかね。
とは言っても、数式や関数の羅列になるんですよね・・・(悲)
事実、ディリクレは”偉大な数学者とは盲目的な計算を素晴らしいアイデアに置き換える人の事である”と語ってます。
数学は前進してこその学問です。ややこしい&取っ掛かり難いのままでは、単なる難しいだけの変り者の大人の玩具ですよね。
コメントとても参考になります。
ややこしく複雑な計算をエレガントにやるから、偉大な数学者なの
黒板にダラダラと嫌味な数式を書きなぐるアホ数学者は1位の極と同じで何処かへ消し去るべきだわ👋👋
ディリクレがそうであった様に、美しくエレガントな証明は数学を学ぶ者にとって非常に大きな支えとなる。
ガウスの様に、結果だけを美しくシンプルに着飾る事は簡単だが、その地下に潜る泥沼化した証明をエレガントに呈示するのは誰にでも出来る事じゃない。
フェルマー自ら解いてたとされるフェルマーの大定理のn=3の時の証明には、オイラーは結構苦労したとされる。
その意味では問題解決屋としては、エルディシュはオイラーやガウスに優る最高の数学者と言える。
勿論、新たな難題を発見&予見するという能力も数学者には重要だが、難題を解決する過程で多くの発見や概念が生まれる事もあるから、どっちが凄いとか一口では言えないが。
エルデシュの問題解決能力はセルバーグを遥かに超えていたという事ですか。
素数定理の初等的な証明ですが、エルデシュもセルバーグもランダウの不等式から始めたとされます。
多分、エルデシュはランダウの不等式からそのままダイレクトに証明に繋げたんでしょうか。
一方、先を越されたと思ったセルバーグはランダウの不等式を自らの漸化式(セルバーグの不等式)に置き換え、オリジナルなやり方で証明しました。
セルバーグの論文だけを見れば、セルバーグだけが評価されるのは当然ですかね。
手柄を独り占めする数学者はセルバーグだけではありません。数学の巨人ガウスもその一人でした。
一方で、ディリクレやヤコビやリーマンは、継承を美徳とし、様々な数学者の論文や発見を自らの研究に活かしました。
数学者といえども人間です。豊かな人格や幅広い温かい心も必要ですね。
但し、大学1年生と言いましたが、高校の時にルジャンドルの定理(階乗が持つ素因数pのべき数の公式)を用いた初等的な証明を既に与えてたとされてます。
以上、訂正と追記でした。
わずか3歳で3桁どうしの掛け算ができたとか、
大学1年の時には、n~2nに必ず素数が存在するというチェビシェフの定理をずっとエレガントなやり方で証明し、ハンガリーの数学界を席巻します。
素数定理の初等的証明ですが、セルバーグは単独の名義で論文を書き、フィールズ賞を受賞します。
でも最初に解いたのはエルデシュでしょうか。それで流石のセルバーグも頭にきて、単独名義の論文にした?
もしその論文の中にエルデシュの名前が一言でもあったら、もっと早く世界に認められてたでしょう。
でもエルデシュは共同研究を通じ、沢山の数学者を育ててきました。それだけでも偉大ですね。