日本の戦国時代は飢餓の時でもあった。餓死するよりは奴隷になった方がまし、いや他人を奴隷に売り飛ばした方がさらにまし・・・
著者の藤本久志氏はこの本の中で、戦国の世の実相を見抜き、その本質を見事に暴いておられるが、まさに現代の日本人が読み返すべき戦国ドキュメンタリーでもある。
NHKBSでは、特に「英雄たちの選択」では、メディアを意識しすぎるせいか、戦国史の専門家自身に都合よく戦国時代を面白おかしく解説されておられる。
しかし、彼らはトップに立つ権力者や武将にばかりに注目し、勝った負けたの勢力争いの様相や”誰が最高の武将なのか?”といった娯楽的ヒーロー像に特化したありきたり論争を延々と繰り返すだけが、この書に描かれてる様な一般庶民が味わった餓死や貧困やそれに伴う苦渋には殆ど触れる事はない。
そういう私も「英雄たちの選択」は好きな番組だが、一方で、この「飢餓と戦争の戦国を行く」には、著者が飢餓や貧困に直面した当時の庶民を、戦国時代を正当に評価する他の研究者と同じ目線で推し量るある種の誠実さをも感じさせる。
例えば、戦国時代の性暴力や人身売買に始まり、奴隷として海外に売り飛ばされた日本人や、秀吉の朝鮮侵略時に日本に連れてこられた朝鮮人の存在にも触れている。
勿論、NHKBSの歴史番組みたいに娯楽に傾倒する描写が殆どなく”面白みに欠ける”という指摘もある。だが、この本は昨今のロシア-ウクライナ戦争やイスラエル-ハマス戦争の残虐性と大量破壊の矛盾をイヤと言う程知らされてきたる現代人に送るメッセージでもあるから、娯楽に特化する必要は何処にもない。
つまり、この本は我ら現代人が”もう1度読み返すべき”歴史教科書なのだ。
戦争・災害・飢饉・疫病が跋扈し、人権なんか夢のまた夢の様な時代を命からがら必死で生き延びた、圧倒的大多数の人口を形成する庶民を様々な視点や、多くの文献で問題提起的に提示してくれる。
本書では、”飢餓奴隷”や”戦争奴隷”や”人身売買”という言葉で当時の庶民の不遇さと悲惨な様が直線的に描かれ、”武士の戦争なのに、どさくさに紛れて庶民の生活基盤を蹂躙する現地調達や盗み、更に破壊・殺戮・奴隷狩りに加え、人さらいや強姦までをも繰り返した・・”とあるが、”戦争に紛れて”やりたい放題の事が当時も今も行われている事に警鐘を鳴らす。
要するに、人間の残虐性と欲望は、今も昔も全く変わっていないし、これからもそうだろう。故に、日本の歴史教科書には”戦争・飢餓”年表というのも付け加えるべきであるし、この書がそれに一番相応しいと思えるのだ。
現代で戦国時代の様な飢餓が襲ったら?
この本は飢餓がメインで戦争がテーマではない。勿論、飢餓は殺戮や紛争を生むが、その範囲が広がれば大量破壊や戦争が勃発する。そうなれば、飢餓どころの問題じゃなく、最悪は人類滅亡の危機にまで達する。
事実、著者の藤本氏も”七度の餓死に遇うとも、一度の戦いに遇うな”という諺を本書の始めに掲げている。
本書では、中世の飢餓をひきおこす災害に関する、8年を掛けて作ったとされる貴重なデータベースが搭載され、1993年の冷夏による東日本の大凶作に衝撃を受け、藤本氏はこの本を書くきっかけになったという。
従って、中世の記録や古文書に旱魃、長雨、疫病や飢饉に関わる記事を見出して年表風にした書とも言えるが、戦国の著名な武将たちも飢餓や疫病には勝てず、多くの庶民を襲った事も描かれている。
一方で、彼らには全く策がなかった訳でもない。
鎌倉幕府の時代には、で飢饉の際には本来の土地所有者に関わらず”山や河や海を利用して糧を得る事を認める”という法律があった。
現代顔負けの土地所有権の略奪が争われていた時代でも、飢えた庶民らは山で芋を掘り、川で魚を取って命を繋いだという。
また、飢饉の際には、都市部に難民が集まったという。だが、なぜ生産地が消費地より先に飢えるのだろう。そこで、著者の藤本氏は”中世の都市周辺の村々はプランテーション(大農園制度)だったのではないか”との仮説を立てた。
つまり、都市に産物を供給する事で経済が成り立ち、自給自足の村ではなく、地域ごとに決まった物を作るモノカルチャー(単一作物生産)経済になっていたのではないか。これは、70年ほど前の終戦直後は、”都市が飢えて農村に買い出しに行く”という構造だったが、全く逆である。
ただ、近世社会の成熟や農業の近代化により、農村が豊かになり、自立できる様になったが、現代社会で飢饉が起こったらどうなるのだろう?
そこで著者は、戦場での略奪の展開を予想する。例えば、応仁の乱では戦場には多くの商人が群がり、足軽が掠奪した品を買い漁っては転売して財をなしていたという。
更に、モノだけではなく、ヒトの掠奪も目を覆いたくなる。例えば、16世紀には九州の戦場で生け取りにされ、東南アジアにまで売られた日本人も多く、マニラでは治安が脅かされるのではないか?と危惧される程の大集団だったとの記録もある。
また、江戸時代初期の長崎平戸の町人別帳には”生国高麗”と記された人々が数多く見られ、文禄慶長の役で生け捕りにされた女性たちではないかと想定される。
最後に
まさに、飢餓こそが民衆を村社会を窮地に追い込み、世を混乱させ、時代は戦場と化す。
戦国時代は飢饉の時代でもあった。多くの民衆は餓死よりかは奴隷を選択し、武士は戦場で略奪品やさらった人を売り飛ばし、武将らは雇用創出の公共事業を起こした。
まさに、生き残りをかけた中世のサバイバル術だが、戦国の世に慢性化してた飢饉と内戦を、民衆は如何に生き延びたのか?
例えば、長雨や寒さによる飢饉に起因する土一揆と応仁の乱という戦乱の背景の中で、鎌倉幕府による飢饉奴隷許可の時限立法や室町幕府の公共事業による飢饉難民の雇用創出と富の再配分が施行された。
一方で、土一揆による村人や難民らの武装化に対し、自衛の権利を持つ村の傭兵らは穢多(えた)と呼ばれ差別される。更に、戦場での奴隷狩りや奴隷商人との繋がりなど、戦国の世は映画や漫画で見る世紀末そのもので、百姓も女も奴隷もみな、武器を手にして戦ったのだ。
故に、武装した農民は餓死寸前の傭兵(浪人)を雇うが、彼らもまた差別を乗り越え、協力しあい、盗賊から村を守る姿は「七人の侍」そのものである。つまり、差別する側もされる側も、捕食者も被食者も全てを賭けて飢餓と戦っていたのだ。
しかし現代においては、福島原発の大事故や能登半島の大震災の時には日本政府は災害に背を向け、すぐには動か(け)なかった。
この様な国家の無様な例を挙げ、中世の戦国時代には”地主の存在が社会保障の役割を果たしていたのでは”と巻末の解説を担当した清水克行氏は肯定的に評価している。
飢饉や天災が起こった時、政府の指示通りに右へ倣いで同じ様な構造で動いている村落は弱いとされる。つまり、地方にそれぞれの個性をもたせ、中央政府に依存しない独立した村作りが今は求められるのかもしれない。
勿論、大国であれば自給自足を徹底すれば、飢餓とは無縁かもだが、自然災害が起きれば、状況は一変する。一方で、日本の様な自給率に不安を抱える島国は、世の中が混乱すればもろにその影響を受ける。
故に、少しでも自給率を上げ、穀物輸入による備蓄を徹底し、外国依存のシステムを変換する必要がある。
本書は、東京に政治や経済や流通などの全ての機能が一極集中する日本に対する警鐘でもあり、更に、アメリカだけに依存しない日本の未来像を示唆してると言える。
つまり、歴史を読み返す事で、日本の新たな未来像を模索し構築する事は、映画や漫画の様に決してキレイ事では得られない。
歴史上の人物を追いかけ回し、英雄を美化し続けるでなく、過去と現実に起きた隠された悲惨な真実を白日(はくじつ)の下に曝け出し、等身大に見つめ直す事は、我ら日本人を窮地から救い出す最もな近道なのかもしれない。
私たち庶民が戦国時代や幕末の英雄伝説に憧れるのも無理はないのですが、現実的に見れば少しズレてるのかなとも思います。
時代というものは、ごく一部の伝説的英雄が支えるものだと我ら庶民だけでなくメディアも持ち上げますが、その陰には庶民や難民や奴隷など多くの犠牲者の存在を忘れる傾向にあります。
「7人の侍」で思い出したんですが、あの映画も決してヒーロー物語でもなく、貧困や飢えに苦しむ者同士の差別を超えた物語でもありました。
貧困や差別を乗り越えないと、混乱の世は生き延びてはいけない。
今はまさに混沌とした時代ですが、こんな時こそあらゆる垣根を超えた結束が私たち人類には必要なんでしょうか。
記事を纏めるのに苦労しました。
ただ、「7人の侍」に関連付けると、様々な側面が見えてきて、大きなヒントにはなりました。
言われる通り、”あらゆる垣根を超えた結束”というものが今の時代は必要じゃないでしょうか。
少なくとも、トランプの”アメリカ1st”やプーチンや中国共産党の”大国による支配”などは、時代や人類を冒涜してる感が強いですね。
勿論、簡単に差別や貧困がなくなる筈もないんですが、戦国時代の民衆が知恵を出し合って何とか生き延びた様に、今の時代も我ら国民が知恵を出し合う必要がありますよね。
コメントいつも有り難うです。
未だに、日本人は信長・秀吉・家康の3大将軍の亡霊に苛まれてるみたいだ。
勿論彼らは歴史上の英雄ではある。
が、庶民にとっては独裁権力に過ぎないし、今で言うなら半世紀も続いたアサド独裁政権と同質に過ぎない。
ところで転んだサンの柳川藩には一時、石田三成を生きたまま捕えたとして、家康から築後国32万国を与えられた田中吉政がいたけど
彼は優秀な武将だけでなく、柳川に掘割を作り、土木整備を充実させたり、庶民の味方でもあったと言うね。
立花宗茂も上にも脆く、弱者の立場で物事を考える庶民のヒーローでもあった。
庶民の視点で判断すれば、TVやメディアでちやほやされる織田・豊臣・徳川の3大将軍よりもずっと英雄的存在だったんだろうに。
調べて下さって感謝!感激!です。
よく言われるのが、なぜ秀吉は宗茂に13万8千石ではなく、筑後国32万国を与えなかったのか?それに宗茂は築後国の直系の末裔ですから、与えられるべきだった。
一方で家康は、宗茂が改易した時に11万国を与え、関ケ原で徳川軍についた久留米藩の有馬には21万石を与えました。
これには、宗茂の武将としての素養を恐れてとの声もありますが、秀吉には何か他に考え、いや策略があったんでしょうか。
こういう所もNHKBS「英雄たちの選択」では、論じてほしいですよね。