象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

『鞠打つ猫の店』 まさに、バルザックがペンで描く風俗画の凄み。 

2018年02月12日 13時50分46秒 | バルザック&ゾラ

 バルザックの『知られざる傑作』には、知られざる隠れた名作も数多く存在する。今日は、この本の中に収められてる『鞠打つ猫の店』です。"捨てられ女"ではなく、"引き裂かれた女"の悲劇です。全く、バルザックの底力を見せ付けられた気がします。

 ヒロインであるラシャ商家の娘オギュスティーヌは"窓辺の美女"として、彼女に一目惚れした若い画家に描かれ、サロンに出品される。その絵は"額縁の美女"に昇華し、若い有能な画家は名声を得て、挙句は娘に求婚する。彼女はブルジョアの家庭から貴族でもある画家の館に移され、最後には夫でもある画家の手で絵を引き裂かれ、"引き裂かれ女"として悲劇的な破局を迎えると。

 これ以上の解説を誰が望もうか。私市保彦氏の解説には、何時も感心させられる。因みに、翻訳は澤田肇氏である。

 私が思うに、この物語は"移動"こそが隠しキーになってると思う。世間知らずの堅実な娘が商家から画家へ嫁ぐ(第一の移動)。
 新妻の肉体の新鮮味にも飽き、貴族でもある夫のテオドールはカリリアーノ公爵夫人に認められ、愛人となる(第二の移動)。

 そして、妻の肖像画は愛人の画廊に飾られ(第三の移動)。そして、最後にはこの絵画のモデルとなった妻の元に送り返され(第四の移動)。 最後に、逆上した夫の手で切り裂かれ、永遠に葬られる(第五の移動)。

 つまり、この"移動"こそが対立を葛藤を破滅を破壊を生むのだ。事実、民族の大移動は、新たな文化と社会システムを創造し、構築した。歴史はそれを忠実に物語ってる。

 その中で金儲けと倹約に生きる堅実な商人(ブルジョア)と芸術に放蕩にうつつを抜かし、美と情熱に生きる画家貴族との対立と葛藤。これこそ、この作品の大きなテーマでもある。  

 それに、ヒロインの父親が経営する"鞠打つ猫の店"をラシャ商の船に例え、活発に満ちた商家の営みの情景を、バルザック独特の風俗画家の視線でじっくりと描く。
 衣料商の内情に詳しい、バルザックの描写がデッサン風である事も実に興味深い。まさに解説にもあるように、この作品はまさに、バルザックの"ペンで描かれた風俗画なのだ。

 古風な伝統を守る商家で育てられたオギュスティーヌ嬢は画家の邸に移される事で、不慣れな土地に移植された花が萎れていく様に生気を失っていく。
 一方で、娘の姉ヴィルジニーは孤児で番頭のルバと結婚する。この現実を共に歩み、堅実な生活を築く様と、平行に且つ対照的に描かれており、ヒロインの悲劇は、鮮やかな程に一層際立つ。
 妻は夫を取り戻そうと、愛人である公爵夫人を訪ねるが、自分の肖像画がこの館に持ち出されてるのを見せつけられ、一気に破局が襲う。そして、僅か27歳の生涯を閉じるのだが。
 
 ここで描かれる、慎ましくも控えめな商家の娘と、貴族で余裕と品位に溢れた公爵夫人との対面は、この物語の圧巻でもあり、最大の落とし所でもある。若妻は全てを投げ打ってでも、夫との復縁を願ったし、公爵夫人は天才画家の凋落を楽しんでいたのだ。それだけに、ヒロインの打ちひしがれた姿は見るに耐えない。

 バルザックは、この相容れない2つの世界を、物語のあらゆる細部に至るまで描き尽くす。読者はその筆致を必死で追いかける羽目になる。最後は追いかけるのが辛くなる。

 一見、娘の悲劇ばかりが目立つが、愛人に絵画共々捨てられる、画家の狂気に走る様もしっかりと描いてる。結局、天才の強烈な魂の高揚に、純粋無垢な無学で無知な小娘が耐えられる筈もない。また慎ましくも控えめな、小娘の麗しい愛情を、狂気と裏合わせの虚栄心に塗れた怪物が理解出来る筈もない。日常から逸脱する狂気の世界と夢想と独創を、際限なく膨らませた、破壊的な最後を迎える天才の悲劇。これこそが、もう一つのテーマでもあろうか。



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