象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

『長いお別れ』に見るチャンドラーの狂気と美学と皮肉と、その1です。

2018年02月13日 13時55分12秒 | 読書

 "博識である上、ひねった特異の言い回し"を得意とするチャンドラーの、この長編傑作は、推理小説の範疇を超えてますね。この作品のキーは、まさに人との絶妙な触れ合いでしょうか。近すぎず離れすぎず、絶妙な距離感での勝負が命運を分けますね。

 "キザで嫌味なスタイル"と"英国贔屓のアメリカに対する味わいの濃い文明批評と社会批判"が重なり合う。これこそが、訳者の清水氏を大いに刺激し、悩ませてる所もとても新鮮で興味深いです。


 流石、清水俊二氏の含蓄豊富な語彙力が物を言い、チャンドラーの魅力を、我々凡人が共感出来る所までに、最大限にまで引き上げてくれます。
 チャンドラーは、この時代の自由気まま過ぎるアメリカを、鋭く冷たく批判する一方、この豊か過ぎる大国で、慢性的に発生する組織的犯罪に、寛容な面も見せてますね。

 主人公で私立探偵のマーロウは、とても紳士的とは言えません。言う事は下衆っぽいし、結構荒っぽい行動に出たりも。愚直な思いやりと実直なクレバーさと、硬派で無謀とも思える強かさを持ってして、この国の得体の知れない深い闇の世界に、敢えて首を突っ込んでいく。
 それだけ、チャンドラーには、この超大国アメリカが魅惑的に、エレガントに、悩ましく、俗っぽく映るのでしょう。


 訳す方も、これ程の傑作を相手にするには、それに見合う知筆の資産と卓越した解析力が必要な筈。下手に訳すれば、大衆がいきり立つような、キザっぽく安直な探偵物語に成り下がる。まさに、清水氏の基本に忠実で、実直な性格と高質な知性と硬質な教養が、この大作をガチッと受け止めてますね。

 作家なら誰しもが、この『長いお別れ』を翻訳してみたいと思う筈です。しかし、訳者を選ぶ傑作であるのも、また事実。
 読者からすれば、余計な装飾で濁らせる事なく、チャンドラーの実直で純朴な描写に、ただひたすら酔っていたいと願うだけですが。誰とは言わないし、某人気作家には悪いが、アンタの手番じゃない。でも、カバーは洒落てマンな。


 この作品には、3人のエレガントな令嬢が登場します。ともに容姿端麗で、それぞれにアデっぽく、強く深い個性を持ってますが。安っぽいハードボイルドに登場しがちな、判で押したような美女と異なり、それぞれに特異の生き様を持つ所が憎い。

 マーロウは彼女たちの魅力に惹かれつつも、所詮は"50ドルの淫売女"と揶揄しつつ、この国の悪と富と権力と俗社会を、痛烈にこき下ろすんですね。マーロウの正義と狂気がここにても健在です。

 誰もが彼に憧れ、推理小説やハードボイルドを描こうとした。が、あまりにもモノが違いすぎる。そういう私も、チャンドラーといえば、『可愛い女』に代表される探偵小説の大家くらいに思ってた。
 それが大きな誤りだと解り、とても嬉しくなった。彼の本は誰もが気楽に読めるが、誰しもが十全に理解できるものではないと思う。読む事と理解する事は別物なのだ。


 《あとがき》がとても短くアッサリとしてて、余分な贅肉を削ぎ落とし、研ぎ澄まされた彫像を眺めてるみたいで、清水氏の崇高な知の芳香を漂わせる。
 まるで、濃厚なメインディッシュを堪能した後の、洗練されたデザートみたいで、読み心地がスッキリです。

 大体において、大作の解説となれば、主観的に感傷的に、長々と理屈っぽく、余韻に浸ってるものが目立つが。"サヨナラを言うのは、僅かの間死ぬ事"とあるように、この作品に"僅かに酔う"だけで、簡潔に且つ濃密に纏め上げ、"短いお別れ"としてアッサリと締め括る。全く、"愚直な程、簡潔に"を地で行く模範解説だ。

 正義も狂気も感動も悦楽も官能も、全て簡潔でスマートだから、様になるってもんですな。
 全く、清水氏自身も、最後の最後まで、マーロウになりきってるのが憎い。翻訳者を酔わせる程の傑作でもある。

 滑稽だが、そういう私もこのブログを書いてて、マーロウに浸り切ってるのだ。この作品は展開やあらすじを追うのではなく、一つ一つの会話や場の雰囲気に、どっぷり浸かる小説だ。お酒が飲めない人には少し酷かも知れないかな。

 タイトルを少し変えてます。その1と付け加えただけですが(5/6)。



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