昨日の続きだが、何だかあれだけ背を向けてたのに、今やセルバーグにゾッコンなのである。オイラーにも似た詩人の風格が彼にはある。詩人としての美学が彼にはある。
詩人の美学とはとても脆く尊いものである。数学者に短命が多いのも、数学の持つ潔い本質と美しすぎる美が原因かも知れない。
オイラーのゼータも美しく尊く脆いものであった筈だが、リーマンが支え確立した。複数の世界まで拡張した事で、絶対の領域にまで昇華した。
1956年、リーマンの死後ちょうど90年後に、セルバーグゼータが発見された。リーマンの有名なあの論文から約100年後の事だ。北斗神拳の”一子相伝”じゃないが、このセルバーグのゼータこそが、オイラーからリーマンへと続くゼータの系統を受け継ぐ、唯一の希望のような気がする。
リーマン予想がこれほどの難問でなければ、セルバーグゼータも絶対数学も深リーマン予想も生まれてこなかった(小山氏談)。これも数々の豊かな実りを生み出したリーマン予想のお陰である。
そういう意味では、これからもリーマン予想は人類史上最大の難関不洛であり続けて欲しい。
セルバーグがリーマンにとって代わる日。この”Xデー”こそがリーマン予想が解決される日になる。
難問だから故に、色んなゼータが発見され、それらに付随する定理や定義、法則が生まれ、素粒子という物理学の世界にまで拡張しました。
もうこれだけでも、リーマン予想の価値は十二分にあります。
人類が発明したもので、これほどまでに難題で、これほどまでに色んなモノを巻き込んだ予想って、他に見たりますかね。
リーマンが今生きてたら、驚嘆するでしょうね。彼が生み出した定理や法則の殆どが、現代数学の基盤を支え、揺らし続けてんですから。
これからもっとリーマンの評価は高くなるでしょうね。
リーマン予想は解けないのではとの声も多いみたいですね。転んださんも解けないと予想されてますが。それには色んな理由があるのでしょうが。リーマン自身はどう思ってたんでしょうか。
リーマンが今生きてたら解けますかね。それとも予想した事を後悔してんですかね。
内心リーマン予想が解けなかった事に、安堵感を抱いてるかもしれないですよ。
リーマン予想が解けたからと言って、何がどうなるというもんではないですもの。寧ろ解けない方が、ずっと現代数学にはいい事かもです。
でも、リーマンの予想が素数は勿論、ゼータからカオスの領域まで巻き込む無限の世界に広がっていく様はロマンチックでもあります。