多数決は、選挙や役員を選ぶ際には必ず使われる。いわば、民主主義の揺るぎない原則とも言える。一方で、多数派に従わざる負えない、半強制主義とも言える。
つまり、一番公平な方法で、異なる意見をまとめるに最良の方法だと今までずっと信じられてきた。
しかし、これには大きな落とし穴が隠されてる。
どういう事かと言うと、”一番に抱かれたい男は一番抱かれたくない男である”という両極端の矛盾が起きてしまうからだ。
これは、多数決で決める際に、”手順”を無視するとこんな矛盾が起こりうるからだ。
つまり、複数の候補がある場合、十分に話し合い、お互いに納得した形で決めれればこれほど理想的はないんですが。どうしても話し合いで合意できない場合のみ、最終手段として多数決に持ち込めば、誰もが納得する筈だが。これにも限界がある。
今年の参院選挙の結果も、国民の半分は納得し、半分は不満だと思う。結局、今の選挙制度では一番投票したくない政党(=一番投票した政党)が多数決で選ばれる傾向にあったからだ。
エレベータ物語
そこで笑えないようなお話です。
8階建てのアパートで、エレベーターの修復費が議論となった。普段エレベーターを使わない1階の住民は負担を拒んだが、8階の住民は均等割を主張した。
1階の住民と8階の住民の意見は真っ二つに別れ、最終的に多数決で決める事になった。
しかし、過半数ではあんまりに酷過ぎるので、全住人の7/8が賛成案に従う事になった。
一見理想的に思えたが、腹を立てた8階の住民の提案と、できれば負担したくない他の住民(2階から7階)の思惑が合致し、最終的には、”1階の住民だけが負担する”という全く矛盾した案に7/8が賛成したという。全く笑えない話だ。
そこには、どんなトリックが使われたのか?
1階の住民が負担を拒むのは当然の理屈であり、何らおかしい所は何もない。
しかし、8階の住民の均等割の主張は都合が良すぎる。
エレベータ使用の割合で負担をするのが一番の理想だが、それでは8階の住民は一番不利である。そこで、8階の住民は逆手をとり、”1階の住民に全てを負担させる”という奇想天外な案(策謀)を思いつく。
まさに、”善と悪は表裏一体(=同じ)”という逆転の発想だ。
8階の住民は、”1階の住民に全てを負担させる”という案(悪意)を、2階から7階の住民に伝え、どっちつかずのこの中間層の意向を一瞬にして悪意に変えたのだ。
たとえ悪意であっても、自分たちに負担は一切掛からない。悪意といっても必要悪なのだ。中間層の住民(2階から7階)はそう考えた。つまり、”負担を拒む1階の住民こそが悪い”のだと、みなす様になった。
しかし、1階の住民だけは自らの正義に酔いしれてる。正義が負ける筈がないと。
結果、少数の正義は多数の悪意に敗れ去る。つまり、悪貨は良貨を見事に駆逐したのだ。
多数決という数の論理
つまり、多数決という数の論理では、悪も善も全く関係ない。全て数が支配する世界なら、窮屈で困難な”善”よりも、安易で居心地のいい”悪”の方が常に有利なのだ。
善意同士で競い合えば、多数決という数の論理は非常に有効に働くが、単に悪意と競わせた場合、善意(正義)が敗れ去るのは目に見えてる。選挙も全く同じだ。
しかし、正義に重さ(比重)を付加すると、話は全く変わってくる。モノに重さがある様に、数字にも票にも人格にも重さがある。
そこで、”1階の住民が負担を拒む”正義の票には善意度2を、”1階の住民に全てを負担させる悪意の”票には善意度0(本当は−10でもいいが)を付加する。
そうすれば、1階の住民の圧倒的勝利となる。仮に、正義の票を善意度0.00001にしても、結果は同じ。善と悪とを正確に判断すれば、善が悪に負ける事はないのだが。
しかし、悪意の票にほんの少しでも評価を与えると、結果は逆転する可能性がある。つまり、多数決の論理は悪が勝つ様に出来てるのだ。
これこそが、多数決の矛盾であろうか。
守るべきは善意という弱者
そう言えば、「A Few Good Men」(1992)という映画を思い出した。そう、守るべきは多数決という規律ではなく、善意という弱者なのだ。多数決の矛盾と盲点を突いた、いい映画だったですな。
つまり、何の話し合いも理解もなく、いきなり政党を選べと言われたら、どうしようもない悪の政党を選ぶのは目に見えてる。
最も単純な”足し算の論理”で出来た政界の世襲派閥なんかは、その典型だろう。
故に、多数決の結果が常に正義とは限らない。多数決になった時こそ、多数派は悪に転じ、票を稼ぐ。故に、被害者や被災者という少数派は何時も取り残される運命にある。
つまり、単純な数の論理(加法)だけで全てを推し進めようとすると大きな悲劇が待ってる。それは歴史と戦争が証明してる。
数学ですら数の論理だけでは、一歩も先へは進めない。数論に解析学や幾何学や代数学が融合した事で、現代数学は大きく飛躍した。
同じ様に、多数決も手順と段階を踏み、良識と善意を融合させれば、非常に有効な解決策となろう。
戦争も薬物投与も引き算の領域ですね。
我らサピエンスは、足し算社会から割り算社会への拡張が必要な時期かも知れません。
コメント有難うです。
未だに民主主義を支配してます。
富を分配するという割り算が
今の民主主義には必要です。
つまり、足し算から割り算への民主主義の開放です。とても簡単な事みたいですが、強欲は足し算の世界で、慈悲や善意は割り算の世界です。
こういう基本的な事が今のごく一部の富裕層には解ってないんですよ。
早速、小泉進次郎のバカがヤッてくれましたな(笑)。NYの国連で世界中が注目する中、”環境問題はセクシーに”ですって。
ケッケのケーって感じでした。私が思ってた以上の馬鹿野郎でした。結局、ただの目立ち屋だったんですね。tokoさんに座布団3枚ってとこかな。
別に見抜いてる訳じゃないけど、ここまで当たると笑いが止まらない?
善意にも重みがあるように、悪意にも程度というものがあると思う。多数決にしちゃうとそこら辺がごっちゃになるんだ。
それに何をしようが何を喋ろうが、目立てば票が稼げる。アイドルが官僚になるのも、バカが総理になるのも、単純な数の理論だよね。
転んださんは全てを見抜いてるよ。