毎年この時期になると、私はブルーになる。ブロ友の記事で、”お盆になると、あの頃の辛かった事が次々思い出され、涙が出る”とあった。
実は、私も同じ様な経験をしてる。お盆になると必ずといっていい程、母方の親戚に呼ばれたもんだ。親父が生きてた頃は、母方を徹底的に嫌ってたから、兄も私も直ぐに行くのを止めた。
仕方なくお袋は、たった一人で祖母の家に寂しく出かけた。そのうちお袋は、私だけを誘って出掛ける様になった。
母方の親戚は皆貧乏だった。父方と比べると雲泥の差だった。父方の法事は威厳があり、静かながらも多少は豪華絢爛でもあった。
それに比べると、母方のそれは惨めなもんだった。盆というのに、ご馳走どころか何もない。本当に何もないのだ。会話すらない。
みんな暗く沈んでて、少しでも愛想笑いを浮かべようものなら、凄い眼光で睨まれる。
暗く何もない奇怪な雰囲気を耐え忍び、寂しく家に帰るのが常だった。
ド田舎で貧乏でバカで、そして暗い。これが母型の親戚の実像だ。今から思うと、奴らは単なる変質者だった。戦争が全てを破壊する様に貧乏は人格をも破壊する。
血縁とはそんなに大切なものか?
血縁関係をサイトで調べると、以下の様な見事な模範解答がある(ブリタニカ)。
”社会を形成する結合原理の一つで、地縁関係に対する親子や兄弟の関係は元より、生理学的事実より、血が繋ってるという観念的認識が重要で、それらが社会組織の基本的構成原理として機能する時、初めて社会学的意味を持つ”とある。
という事は、”社会組織として機能しなければ、血縁は社会的意味を持たない”という事になる。
つまり親戚と言えど、血が繋ってるとは言え、組織として機能しなければ、単なる観念認識に過ぎないと。 結局、血が繋がってるというのは”思い込み”でしかないのだ。
しかし、私達日本人は、いやアジアの人種は、”親戚”という血縁関係をバカみたいに重要視する。結婚すれば、嫁はその瞬間に姑の奴隷となる。今でもその傾向は根強く残ってる。昔は相当に酷かったらしいが。一応?先進国で民主主義の日本でもこの有様だ。
旦那も旦那で、結婚すれば妻は全てに従うと思ってる。家庭を守って当り前、子供を育てて当り前、料理が掃除が出来て当り前、旦那を立てて当り前。
つまり、旦那のワガママと家系の家訓に従うのが、当然だと勘違いする。
別に私は、”ウーマンリブ”の代弁者でもないが、常識的に考えると、日本の結婚制度は皇族規範と同様に、未だに閉鎖的で歪んでると思う。
勿論、欧米の”夫婦財産契約”に比べれば、ずっとまともだし穏やかだが。日本の女性は欧米の女みたいに、金に関して露骨にガツガツしてはいない。少なくとも今の所は。
語弊に聞えるかもだが、白人女の大半は、お金の為だけに結婚してる様に感じる。しかし待ってるのは、裕福な暮らしでも多額の慰謝料でもなく、飽く事ない旦那の浮気と、頭蓋骨を陥没させる程の暴力だ。金持ちほどスケベでケチで暴力的なのは、歴史が証明してる。
結婚財産契約
バルザックの「夫婦財産契約」でも書かれてる様に、フランスでは古くから”結婚=財産”という、極端な構図が成り立ってた。愛は金にならないが、結婚は確実に金になる。
事実、バルザックが自らの放蕩により作った多額の借金は彼の死後、愛人が支払った。
この様に、欧米の結婚制度はお金が主軸になるから、歪みようがない。旦那が暴力でも振るおうものなら、SEXと同じで一発幾らの世界だ。
しかし、日本の結婚制度ではお金という主軸がないから、どうしても歪んでしまう。嫁は姑の慢性的な嫌がらせを受け、旦那の浮気と暴力の間で、生涯の大半を棒に振る。
因みに、旦那の浮気と暴力を1つ1つお金に換算したら、旦那の生涯収入を軽〜く上回るだろうか。数字と浮気と暴力はウソをつかない。
日本は、旦那に有利過ぎる”無償”の夫婦契約である。伊藤野枝が反発したのも頷ける。彼女は毒女ではなく、正論を貫いた。そして、大杉栄というアナキストをこよなく愛し、共に虐殺された。でも旦那から暴力を振るわれるよりかは、幸せだったろうか。
こういった理想的な夫婦愛の物語は、日本では殆ど見られないが。普通の女性がこんな事をしようものなら、旦那からではなく世間から袋叩きに遭うだろう。”まず嫁の努めを果たせ、そして夫に尽くせ”ってね。
全く、令和の時代になっても”関白宣言”は有効なのか。
金を主軸にした欧米の夫婦財産契約がいいのか?血縁を主軸にした日本の夫婦血縁関係が理想なのか?
前述した様に、夫婦が家族が組織として機能する為には、お金よりも血縁よりも、互いの理解と情けが必要なのだが。確かに、曖昧な血縁よりも的確なお金の方が当てになりそうな気もするが。いやどちらも当てにならないか。
血縁制度は崩壊する?
私は親戚付き合いが苦手で下手だし、殆ど顔を合わせない。前述した様に、特に母方とは話もしたくないし、顔も見たくない。
特に、冠婚葬祭が厭で嫌でたまらない。幾ら親戚とはいえ、結婚式と披露宴に12時間以上も監禁するのは犯罪である。
それに、親戚付き合いは組織的に機能してんのか?前述した嫁姑の卑劣で従属的な奴隷制度は、とても社会組織とは言えないし、旦那の暴力や権威だって、単なる犯罪だろう。
半強制的な親戚付き合いも、パワハラと言えなくもない。
それでも、日本人は盆と正月と里帰りが大好きだ。早速、帰省ラッシュのニュースが飛び込んできた。高速道路30km渋滞とか聞くと、それだけでブルーになるのに、当事者は何を思うぞ。
それでも、我が日本島民は、忍耐強く渋滞を掻い潜り、何とか里帰りをする。過疎と化した故郷に何がある訳でもない。あるのは、自己満足という過去の幻想だけだ。
つまり、里帰りとはそれだけで、日本人にとっては最大の娯楽であり、贅沢なのだ。
そういう私はやはり親戚が好きになれない。親戚付き合いという名の自殺行為。
意外にも人類を滅ぼすのは、親類付き合いという名の”共食い”なのかもしれない。
そう思うのは私だけだろうか。
子供の時の怖い記憶は一生残リますね。幽霊よりも怖い親戚でした。
同じ故郷でも、自然に恵まれた所なら、胸を張れますが。私の田舎は単なる過疎です(悲)。
親戚付き合いこそがお祭りだったんだ。
葬式となると親戚だけでなく隣近所が大騒ぎで、まるで一寸したカーニバルみたいだった。
ウチは転んだサンの所ほど酷くはなかったけど、それでも色々とあったようだ。
昔は葬式が一番盛り上がりましたもの。悲しむ奴なんて誰一人いなかった。
そういう私も今から親戚の葬式に出掛けます。お陰で1週間前からブルーです。
血縁関係というのは親戚だけでなく家族にも重要視されていることが未だにあります。最近読んだ「呪術廻船」という漫画のなかにも跡取り息子を産んだ側室が嫌がらせを受けている場面がありました。この場面を見て、私は血縁関係は血筋に繋がりやすく産まれた子供にとっては迷惑以外の何物でもないと感じさせられました。
でも、人間も個体としてみれば、ある程度大きくなれば遺伝による影響は少なくなる筈なので、競馬馬みたいに血統云々騒いでも本人が可愛そうですし・・・
考えるほどにややこしいですね。
コメント有り難うです。