”灯台に住みたい”で検索すると、結構引っ掛かるもんですな。
ある3Dスクリーンセーバーで映し出される灯台が、非常にノスタルジックだったので、嗚呼、こんな所で一人住みたいなと思った事がある。
映画でもよく見かけるが、欧米では廃棄された灯台を再利用し、住居に変えたり、FMスタジオにしたりと非常にユニークだ。
ジャネット•ウィンターソンの小説「灯台守の話」という本に出てくる”灯台”こそが理想の灯台であり、主人公で孤児娘のシルバーを引き取り、一緒に暮らすピューという盲目の男性こそが、私の理想の灯台守だ。
”ひとりで生きる”盲目の男ビューが、”光の世話をし、物語をつなぐ”事こそが灯台守の仕事だと、毎夜シルバーに言い聞かせる。
この本を読めば、孤児でなくとも誰だって灯台に住みたいと思うだろう。
所詮、人は孤独な生き物だ。孤児であろうが、障害者であろうが、五体満足であろうが、結局は”独りで生きる”のだ。家族や血縁なんて単なる気休めに過ぎない。
生きていく先に、何があるのかなんて見える筈もない。常に不安の中で私達は生きてるのだ。
しかし、そんな不安に満ちた暗く深い闇を、美しく照らし出す光があったら、どれだけ勇気付けられるだろうか?
孤児のシルバーに、ビューは言いたかったろうね。”お前は独りじゃない、孤独を照らし出してくれる光があるじゃないか”と。
光こそが無機質な人生に彩りを与え、深く暗い苦悩と濃密な憂鬱に輝きを与えてくれる。お盆も正月も連休もいらない。孤独を照らし出す光をあれば、それだけでいい。
そう、灯台は夜になれば、暗い闇と奇怪な深海を照らし出す光をもたらしてくれる。そう、夜になればオレは独りじゃない。光という仲間と共に人生を謳歌するのだ。
光と共に生き、幻想と妄想を繋ぎ合わせ、人生という物語を完成させる。つまり、光が挿す事で妄想は現実となり、幻想は人生となる。
私にも灯台がほしい。孤独の闇を照らし、人生を完結させる光がほしい。
実際に住んでみたらどういう気持ちになるんだろう?満月の夜みたいに、オオカミのように興奮するのかな。
週末には美女を呼んで、”嗚呼、貴方ってロマンチックだわ”って、興奮したりして。イカンイカン、誰かさんの妄想が写りそうだ(笑)。
ヒトは闇を光で照らす様になり、繁栄し、同時に衰退し始めたんですかね。
ネコ科の生き物も夜に行動する。彼らは闇の世界に生きてる。戦争も夜襲が基本ですね。
太陽が照らす世界こそが虚像であり、闇こそが実像かもです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/喜びも悲しみも幾歳月
子供心にも、灯台守の仕事は何と過酷なもんかと思いながら観ました。ロマンティックと言えばロマンティックかもしれませんが、当時はロマンティックより船の航行に必要不可欠の仕事だったから、その仕事も過酷にならざるを得なかったのでしょうね。
灯台守のお化けがいたずらをした?
今はGPSがあるので、灯台に頼るのは昔ほどではないんでしょうが、緊急の時は不可欠な存在ですかね。難破した船が灯台の光で救われたという話はよく聞きますもの。
文字化けの件ですが、最近のPCの学習機能は偶に暴走する時がありますね。夏バテなんでしょうか。