誤解のない様にだが、体罰がいい筈もない。特に頭部への体罰は死に直結する。ボクシングを囓ってた人なら解るが、頭部への打撃は本当に危険である。脳みそは豆腐みたいに柔らかく脆い。頭蓋骨に覆われてるからとて、一寸した衝撃で破壊される事がある。
個人的には、頭部への体罰(特に側頭部)は絶対に禁止すべきであり、頭部以外の体罰は極端なケースを除き、許すべきかなと。頭を殴られ続けてきた私が言うのだから、間違ってはいないと思う。やはり、頭部への暴力は犯罪に近いし、側頭部への一撃は殺人に近い。
ただ、昔ながらの体罰や暴力が日本を日本人を強くするかと言えば、やはり無理がある。知力と魂こそが、我らサピエンスを強くする鍵だと思う。
知力は魂を磨き、鍛え上げ、魂は知力を支え、昇華させる。精神論をベースにした体罰と暴力では、太平洋戦争の二の舞になるのは目に見えてる。それでも我ら古い人種は、過去の貧しくもいい時代に縋ろうとする。
千本ノックや穴バットが、根性論や精神論がそんなに懐かしいか。
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先日言った、教室の隅から隅まで生徒を殴り続けた校長先生の事を紹介したが。詳しく言うと、その校長先生は僕に似て、典型の軟弱タイプだった。
あまりに物腰が弱すぎて、若い武勇伝タイプの先生にイジメられる始末だった。でも僕はその校長先生が大好きだった。満州での思い出や人の在り方や習字など色んな事を教えてもらった。お陰で校長室に行くのが楽しみだった。
原因は、ある生徒が校長が自ら書いた習字の見本をクシャクシャにして捨ててたからだ。”これは何だね、〇〇君”が、体罰を超えた?暴力の合図だった。
殴られた生徒もすぐに立ち上がり、何事もなかったかの様に胸を張っていた。自分は当然の事をしたまでたという、堂々たる態度だった。
しかし、この行き過ぎた体罰が元で、校長先生はすぐに転校(左遷)になった。でも左遷先の中学校でも評判は良かったらしい。私は思わずホッとした。
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もう一つのケースである、”1時間殴りっ放し”の先生は、高校駅伝で有名な元監督である。これ以上は言えませんな(笑)。
この先生に関しては、生徒の皆が警戒してた。瞼が一重になったらキレるサインだと、事前に知らされていたから、その先生に刃向かう生徒は一人もいなかった。
しかし、一人だけ刃向かった生徒がいた。そう”1時間殴りっ放され”の生徒だ。彼は極真空手をやってた。身体は小さかったたが、魂が精神の次元が違った。僕の家にちょくちょく遊びに来てたのでよく知ってるが、彼もまた見た目は、典型の弱腰の優男だった。
しかし、彼には卓越した武勇伝があった。その高校で一番の番長(言い方が古いか)を呼び出し、僅か一発の上段の蹴りで”巨像”と恐れられた男の側頭部を陥没させた。それで自信がついたのか、その高校では敵無しとなった。
そこで、高校駅伝で数度全国制覇を成し遂げ、絶頂の域にあった先生と真正面からぶつかった訳だ。勿論、生徒も引かなかった。殴られる度に立ち上がった。それは1時間近く続いた。極真魂はここにても息づいてたのだ。
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で、何を言いたいのかというと、この2つのケースは、体罰とか暴力を超えてたように思う。そこには、先生と生徒の互いの譲れない、ある種の超越したプライドと魂が漲ってた様に思う。
そういう私も先日述べたが、死んだ兄には毎晩の様によく殴られた。部活では死ぬ一歩手前まで扱かれた。でも、それら暴力やシゴキを根に思う事もなく、学校や日常生活の中で平然としてられたのは、今から思うと”超越した何か”が宿ってたからだと思う。だから大事に至る事も問題になる事もなかった。
勿論、殴る側にもプライドはあるし、殴られる側も魂はある。私みたいな弱腰の男、いや親父か(笑)にも痛みはある。勿論、強面のヤクザ男も同様だ。
しかし、昨今の先生や生徒にそういった魂やプライドがあるのか?体罰を加える側に、加えられる側に、”超越した何か”があるのか?その現場のビデオを撮る生徒にプライドは魂はあるのか?
今の日本を日本人を見る度に、そういった何かを超越した魂とプライドが消滅した様に思えてならない。それは”外面外交”の安倍や”アメリカファースト”のトランプにも言えると思う。
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”戦争ブログ”では、ノモンハン事件と南下政策について書いた。ノモンハンの時の関東軍は負けはしたが、何かを超越した魂とプライドがあった。しかし、南下政策以降の大日本帝国軍には、それらが殆ど抜けてたように思う。
勿論、戦争は極限の暴力だ。しかしそこに魂やプライドがなかったら、単なる大量破壊や無差別攻撃に過ぎない。
イジメも体罰も扱きも、所詮は暴力である。しかし、そこに良心や道徳がなかったら、単なる”破壊”という名の犯罪になってしまう。
法的に有利な立場にある生徒が、非常勤という絶対的不利な先生をイジメたり、生徒が先生を虐待するってのは、当然の如く起こり得る。
昔は全くの逆で、先生が絶対的に有利だったから、生徒は辛抱するしかなかった。でも今考えると、昔の方がバランスが取れてた様にも思う。
その上、立場が強くなった生徒は、先生の体罰に対し、”民事”という切り札がある。多額の賠償請求が可能だし、先生は失職どころか多額の借金を背負い、人生そのものを棒に振る。まさにやれたらやり返すの次元では済まなくなる。
これこそ、メイウエザーが那須川に対して行った事と同じですかね。
側頭部の件ですが。そうです三半規管に関係があるんです。そこに打撃を受けると、三半規管内にあるリンパ液が漏れ、一時的に平衡感覚が取れなくなる。それが慢性化するとよくいうパンチドランカーってやつね。
体罰に関しては、早急に法的整備しないとね。今は生徒に絶対的に有利ですもん、そりゃナメた真似するわね。
今は全くその逆ですもんね。体罰が拷問になるのも当然かな。
体罰や暴力を通り越して、もう拷問イヤ水戸拷問(>_<)。どんな所で生きてるんですか。勿論、日本国内でしょうね?
でも、やっぱり体罰には賛成できません。それが当たり前の時代と今の時代って、全くの別物ですもの。でも、側頭部の打撃ってそんなに危ないんですか?三半規管か何かとの関係があるんですかね。
体罰が暴力になり拷問にまで発展したら、確実に人間は死んじゃいます。転んださんは例外中の例外ですが、これからは自分を大切にですね。自分をいたわる事は、他人をいたわる事に繋がりますから。
まるで絵に描いたような壮絶な体罰です。私も結構体罰を受けた方ですが、こんなに鮮やかで壮絶な体罰は経験ないです。
黒いビニール被せられて殴られたんですか?もう体罰というよりアルカイダ的拷問ですね。転んだサンよく生きてれましたよ。コココ怖すぎる。
リーマンブログにその執念が乗り移ってるような気がしなくもないです。