昨日もコールガールのバックナンバーを読んで下さった方、ホントに有難うです。2日続けてなので、嬉しいです。
特にね、自分の美貌に自信のある若い娘に読んで欲しいんですよ。売春の甘い蜜と危険な罠、悦楽と崩落がこの本には十全に収められてますから。それにどんなコメントでもお受けしますよ。できる範囲内ですけど。
"東電OL"なんて単なる結果なんです。でもこの本は、半学術的なルポルタージュなんですよ、そういう事で。
さてと、本題に入ります。最初はいつも通り、レヴューからです。
タイトルのとおり、”遺伝に支配される動物的人間の極致を描いた問題作”との触れ込みで、ルーゴンマッカール双書中、もっとも”陰惨な作品”との呼び声も高い作品です。
時代背景としては、第9巻の『ナナ』と同じく、普仏戦争勃発時の、熱狂的雰囲気に包まれた結末が特徴的で、第19巻『壊滅』の前編とも位置づけられると。嗚呼、『壊滅』もホントに感動的だったですね。
"パリ全体に悪夢を見させる凶暴なドラマ"ともあるが、そこまで暴力的でも無骨でもない。むしろ、ロマンチックでメルヘンチックにも映る。
確かに、登場人物は野蛮で破壊的なキャラがメインだし、殺人が殺人を呼び覚ます展開が中核をなす。
それ以上に、蒸気機関車の凝りに凝った描写は実に荘厳で、極上の味わいをもたらしてくれる。全くこれだけで、鉄道マニアにはグーの音も出ないだろう。
この物語の最後は機関士と助手が喧嘩して転落し、制御を失った暴走列車と化す所で呆気なく終わる。大量虐殺へと向かう肉弾兵を詰め込んだ鉄の塊が、終点のル•アーブル駅へ突っ込み、大量の死者を出す所で幕を降ろしても面白かった。タイトルのエンディングとしては、より理想的ではなかったか。
解説にもある様に、この作品は"発作的な殺人"がメインのテーマではある。主人公のジャックは生まれながらの殺人狂か?発作的な殺人は防げるのか?理性で殺しは出来ないのか?
彼は最後まで悩み抜くが、答えは全てノーである。それに、ジャックは自ら殺人を犯す事で、破滅に向かったのか?その答えもノーであろう。彼は破滅という列車に乗せられただけで、ある意味犠牲者の一人でもある。
この作品には、メインテーマの”発作的殺人”と”理性的殺人”が入り交じる。フロール娘の大胆な列車転覆計画も、ルーボー夫妻の衝動に近い裁判長殺害も、ミザールの計画的な妻毒殺も後者である。これら理性的殺人の方がずっと野蛮で破壊的な行為であり、現代の法律でも後者の方が刑は重い。
そんな中、主人公ジャックの発作的殺人は清々しくも瑞々しく映る。まるで崇高な殺人と言おうか。
ただ、もう一つのテーマである"エロスと殺人"の方がずっと生々しく興味深い。女に欲望を抱くと突然、凶暴になるというジャックの先天性疾患は、健康的な男なら誰でも持ち合わせる、特異の感情ではないか。まさに、エロチシズムの神秘と脅威。
"恐怖の扉が性の暗い深淵に向かって開かれた時、愛は死にまで分け入り、総てを破壊する"事で、ジャックの発作は愛人の殺害という形で達成される。つまり、エロチシズムの負の極地は死に至るのか。
そして、3つ目のテーマでもある"鉄道"。この時代の先頭を疾駆する、文明の進歩の象徴としての鉄道。
物語の舞台であるパリ=ル•アーブル間の227キロは1847年に開通する。蒸気機関による初の旅客列車の登場から、僅か15年後の事だ。そして、その33年後に、ゾラはこの作品を発表してる。
メダンにあるゾラの実家は、現在もその鉄道が走ってるというから、彼はいつも列車の音を聞きながら執筆したであろうと、訳者は振り返る。まさに、”蒸気鉄道創世記の鉄道物語”でもある。
お陰で、ゾラの鉄道に対する思いは半端なく、巷の鉄道マニアが惚れ込む以上に、ジャックは自らが操縦するラ•リゾン号を恋人の様に愛し、労るシーンには流石に胸が熱くなる。
単なる鉄の塊にも魂が宿るという"アニミズム"的手法はゾラの最も得意とする所だが、ル•アーブルを足元とし、パリという頭部を幹線という背骨で繋ぎ、殺人の舞台となるルーアンやバランタンを心臓部と位置付けする辺りも、実に計算され尽くしてる。まさしく、脈々と生きた生命を育む鉄道路線なのだ。
このアニミズムと対を成すのが、"マシニズム"(機械主義)であり、マシニズムの塊である列車に生の魂が宿り、生身の人間に残酷なまでのマシニズムの本能が宿る。この人間のおぞましい本性と欲望とによって、最後には列車も制御を見失った暴走する鉄の塊となる。
この作品は、殺人と鉄道の2つを中核に据えるから、”残酷で凶暴な無骨の物語”と捉えがちだが、意外にも優雅で繊細で、メルヘンチックな側面も匂わせる。全く心憎いゾラのトリックでもある。
それに、如何に人間の情が柔和で脆く、一つ間違えると制御不能なブラックボックスと化す所に、不安定で盲目な獣性を嗅ぎ取ってしまう。
貴方の周りにもいるだろうか、鉄みたいに凝り固まった制御不能な人間が。普段は気立ての優しい女性も、一つ機嫌を損なうと大理石みたいに冷めて固くなり、一度火が付けば、狂った様に燃え盛る凶暴な女を。
まさに、蒸気機関車と女は似たもの同士である。
つまり、これは、"獣人"という制御を失った何処にでも存在する、ごく普通の人間の物語でもあるんですな。
ゾラのこういったメルヘンチックでロマンチックな側面は、バルザックのそれとは非常に対照的でもありますね。
だから、ゾラとバルザックはやめられないのです。
共感できますね。
早速、お褒め頂いて有難うです。
実はこの『獣人』のレヴューは、アマゾンでは全くアクセスがなく、編集し直しコチラの方でブログにしました。
愛というのは、突き詰めれば、死へ向かわせた方が、尊く美しく見えるんですかね。ただ、”負の極地”いや、ホントは極値にしたかったんですが。
フローラという女性が追い詰められ、蒸気機関車に正面衝突して自殺するシーンがあるんですが。とても綺麗に思えた程です。とにかくこの作品は、タイトルとは正反対の、潔く美しい純度100%の物語です。
読んでみたいけれど、今の私には、その根気がないです。
私は、こちらの記事で紹介されたものを間接的に味わわせていただくようにします。
ご心配ご無用です。あらすじ編を立てますので、暇がある時に、ゆっくりと見てくださいませ。
特に、ゾラやバルザックの小説は、登場人物が多く、多岐に渡ってるので、読む前に、登場人物とそれらのキャラらと、大まかな展開を知っておく必要があります。じゃないと、私でもキツイです。
それに比べると、日本の小説はそのまま入れるので、楽は楽ですが、繊細すぎて私には少しキツイかな。
個人的には”パリの胃袋”も同じような豪快な絵画調のスケールの大きい作品で大好きなんですが。”パリの胃袋”が柔なら、”獣人”は剛でしょうか。でも、転んださんが言ってられるように、この作品は非常にナイーブでセンシティブで、それでいてロマンチックですね。こういった繊細さは日本人には無理ですかね。繊細なる暴力の連続ですもの。もう表紙を見ただけでぞくぞくしてきます。
全くですね。この表紙に飛びついたパリっ子も多かった事でしょう。ゾラの小説が絵画そのものですもんね。表紙を観ただけで、この小説の力の入り方が、半端ない事が伺い知れます。