コールガールブログのバックナンバーを読んで下さった方、ホント有難うです。少しでも人気が出ると嬉しいです。
さてと、本題に入ります。
ランキングほど競争意欲を駆り立てるものもないし、これほど当てにならない?のもない、いや、アテになるか。ブログも小説と同じで、タイトル(題)とカバー(写真)で殆ど勝負が決まると。
ランキングなんて所詮、弄くれる数字だろうと高を括ってる貴方。しかし、その数字に人は翻弄されるのです。偉大なイチローだって、スタイルを変えてでも、この数字に拘り続けたんです。数字とはそれがどんなにインチキであれ、偉大なのだ。
スマホカメラの性能が向上し、プロ顔負けの写真がリアルタイムで万人が楽しめる様になった。写真さえ貼れば、誰かが読んでくれる。これもSNSの大きな恩恵であろうか。供給が需要を産む典型です。
普段は音無し目の私のブログも、僅か一日だけではあるが、”高橋大輔”で大当りした。”羽生結弦”で安易にウケを狙ったつもりが、”高橋”でツィート受けした。これは、単に単語のみでヒットした典型の例だ。
事実、検索ロボットは常に、ネット上に溢れる単語を探し回り、有用性に重みを付け、順位付けしてる。この検索ロボットもアクセ数に大きく影響を及ぼす。
そういう事を知ってたから、別に驚きはなかったが。ツィートで褒められ、ツィート経由でアクセスが増えると、やはり嬉しいもんではある。お歳暮と同じですな。
アクセスを増やす為には、ツィートやフェイスブックで仲間を増やす以外にも、邪道?だが、”連打アルゴリズム”という奥の手があるらしい。不特定多数のサーバーを経由し、アクセスを稼ぎ出すやり方か。
プログラ厶に詳しい人なら、お手の物だろうが。事実、やった事ある又は、やってる人もいるだろうか。他人のサーバーを利用する?訳だから、違法とも言えるが。
でも、このやり方を悪いと、決め付ける訳にもいかない。SNSを世界中の隅々にまで増殖させるには、こういった”必要悪”もある意味必要なのだ。ポルノサイトがネットの撹拌と動画圧縮に大きく貢献した様に。でも、違法だから決して許さんか。
ブログは読んでもらって、初めてブログになり得る。読んで貰えないブログは、どんなに素晴らしいものでも風化する。その為には、需要以上に”手段”も必要なのだ。
そういう私も自分のブログが、不特定多数の人達に読んでもらえれば、それに越したことはない。誹謗中傷や揶揄したコメントが届くかもだが、それはそれで勉強になる。コメントの応酬もブログの醍醐味である。
しかし、所詮、この”連打アルゴリズム”もより多くの人に読んで頂く為の、平和ボンボン的手段に過ぎないのか。全くの大人のSNS上のお遊びなのか。
勿論、自分の指で連打するコツコツ的努力型の正直な人種が、ランクトップの座を維持するのも可能?だが。
しかし、正攻法?の、この”自前連打”に関しては、運営側も対策を講じてほしいもんだ。自分で自分のブログを確認する度に、アカウントされては堪らない。
ま、そこまでにしてとも思うが。人間の執着と欲望は、一旦火がつくと暴走する。アクセ数がほしいが故に、度を超えてしまう。
読んでもらう為の好意的ブログから、読ませる為の作為的ブログに傾倒し、ブログそのものが空洞化する。挙げ句には、それらブログ群も、無用な情報のゴミ溜めと化す。
故に、大局的な視点で見なくとも、ネットの恩恵で世界中に広まったSNS全体が、スカスカになるのは時間の問題か。事実、既に空洞化してる訳だが。でもこのネット空洞化に関しては、20年以上も前から危惧されてた事なんです。
余興から脱して、本論に入ります。
”インターネットは、理想の楽園という幻想で満たされた、空っぽの洞窟なのだ”と、『インターネットは空っぽの洞窟』(1995)の著者クリフォード•ストールは語ってましたね。
彼は、”ネットが21世紀のあらゆる難題を解決に導く万能薬になり得るどころか、使い方を誤ると人間の知的生産活動に取り返しのつかない弊害をもたらしかねない”と、警告しました。
確かに、ネットにより、情報と知識は拡散した。しかし、その拡散した情報と知識は、所詮”薄く広く”であり、それだけで知力を生み出すとは思えない。知識とは、深く重く掘り下げ、細かく解析する事で、初めて有用な知力となり得ると。
逆に、無意味で無用で浅薄な知識や情報のゴミが大量発生し、真に有用で価値のある知識や情報を、それら大量のゴミの中から探し出す事は、困難だろうとも。
一方、ネットにより、大衆は物知り顔で、器用で、狡賢くなったが。自然や人間に対する洞察力や理解が深まったかは、実に怪しいと。事実、昨今のブログを見てると、そう思わなくもない。
これらネット上にあるのは、人間の孤独が生み出した、貧相で知弱で浅薄な仮想の洞窟があるのみで、そこから真の知識と知力が生まれる筈もない。”図書館、書籍などが今後もなくなる事はない”と、著者が言うのも当然だ。
本当の”知”というものは、書物を読んで書いて噛み砕き、情報を細かく解析&計算して得られるもんだ。ネット上に溢れる断片的な情報を寄せ集めても、情報のゴミにしかならないし。ゴミは所詮ゴミに過ぎない。
レイクロックは、”成功はゴミ箱の中に”と語るが、”ゴミ箱を漁る”という行為と意欲こそが、成功に繋がるのだ。
著者のクリフォードも”断片的な知識を寄せ集めても教育にはならない。データだけでは意味をなさない。創造的に考え、データや知識を文脈上で理解し、いろんな人と交流できる環境が必要だ”と語ってる。”学習にはこういう環境的な条件の方が、ずっと必要じゃないのか。だから大学はなくならない”と。
それに、”ネットは、わかりきった解答や数値、学術論文で満足できる人たちの情報空間だ”とも揶揄してる。事実、本当に価値あるものは、”診断書付き”の書物として紹介されてるからだ。
検索ロボットについても、それが広く浅く検索した結果なのか、狭く深く検索した結果なのかわからないから、信憑性や有効性に疑問が残るとも語る。
ネットにばかり頼っていると、デジタル的な概念でしか思考できなくなる恐れがあると筆者は言ってるが、モロ当たってると思う。
丁か半かといった両極で安直なな議論に成り下がるのも、SNSの大きな致命傷だろう。情報や智識がペラペラなほどその傾向は強くなる。故に、知能までもカスカスになる。これを”知のデジタル化”と言うのか。
”メールは熟考より反射神経。その上メールには、言葉に重みがないし、僕らも言葉を軽々しく扱う”とも語る。SMSをしばし使う私にとっては耳が痛いが。事実そうである。
此れは、ツィートやブログにも、ピタリと当てはまる。反射的言葉のやり取りで、血の通った、いや”知の通った”コミニュケが成り立つ筈もない。
つまり、”ネットが空っぽの洞窟”から”情報のゴミ溜め”となるのも時間の問題か。
庶民の一番の娯楽でもあるSNSが衰退する原因は、結局、ネットで得た浅薄な知とスカスカな情報と、同じくネットで得た孤独で貧相な虚栄心なのかも知れない。
そういったカスカスの仮想空間がバブルの様に無限に膨らみ、最後には弾けるのか。まさに、ネットがネットを潰すとは皮肉なもんだ。
早速ですが、連打アルゴリズムの件ですが。たとえ運営側が策を講じたとしても、あっさりと掻い潜られるでしょうか。でも、言われてる様に自前連打禁止や連打制限くらいはやらんとね。連打がボクシングの世界だけで十分な様な。
それに、転んださんはマイネ王でしたよね。マイネ王は連打の数が制限されたと聞きますが、効果はどれ程のものでしょうか。
クリフォード•ストールといえば、『かっこうはコンピュータに卵を産む』という著書も有名ですねこの本により、ハッカーの存在がネット犯罪の衝撃が世界中に広まった訳ですが。現役のプログラマーからすると、多少酷なレヴューもある様ですが、同時としては衝撃的でした。
事実、一つ一つメールを開いてチェックしてた時代ですから。ネットそのものに嫌気がさしてたのも理解できます。
しかし、結局は彼が言う様にネットやSNSの空洞化は避けられないでしょうし、地道に質の高いブログやコラム、それにコメントの応酬をするしか、他に策はないようにも思えます。その点、転んださんはどう思います?
マイネ王ですが。連打制限になっても、確か100が上限になったかな。ナイスの数でランクが決まるのですが。全く幼稚なもので、大半の人がそのランクの意味を知らない。私もその一人ですが。
でも、最初の頃は必死で自前連打して、僅か数日でマスターになったりと、そういうご苦労な輩もいましたね。親父に多いんですが、自分のスレに恐ろしい程のコメントを送る。お陰でコメントの数もナイスの数も半端ない。
でも、流石に運営側も親父系ナイス連打にブチ切れ、制限を課した訳ですが。アンマリ効果は思ったほどはね。
マイネ王は、お年寄りが多いので(笑)、どうしても昭和の貧相な虚栄心が、頭をもたげるというか。恥弱で酷な競争社会で生きてきた弊害が、こうしたSNSの世界でも老害をきたすと。
そう言えば、Gooブログも上位ランクは、中年以上の年輩ばかりのような気も(笑)。つまり、ネットもSNSもこういった老害がスカスカにしちまうんですかね。認知症もネットにまで及ぶ時代なんですね。
ま、高齢化社会とSNSの弊害については、再びブログを立てようかと。
確かに若者は、忙し過ぎて時間がない。体力があり過ぎてネットなんかも片手間の暇潰しにしかならないのでしょう。ブログよりもツィートやフェイスブックが主流ですもの。
このままブログの高齢化が進めば、どうなるんですかね。百歳を超えた超人気ブロガ―の登場も在り得るのでしょうか。怖い様で見てみたいようで。まさに、転んださんの言う様に、摩訶不思議の世界です。
さて、皆が皆、年配ばかりとは限らないでしょうが。私も中年族の一人として、老害の一因を提供してるのですが(悲)。アクセ数は少ないので、そこまで害は与えてないかと。
でも、考えように依っては、高齢者の暇潰しにも貢献してる訳で、お金も掛らないし、勿論、多少の通信料は掛りますが。正直、ツィーターとかもやってみたいんですが。流石に、若者たちのスピードと反射について行けない。
意外にも、この摩訶不思議な”親父系の喋り場”であるブログが、高齢化社会の諸々の問題を解決してくれるカモです。安直で稚弱なランク争いがなければ、ですが。
ブログの高齢化とは面白い。でも、若者が群がるツィーターやフェイスブックの方が空洞化する傾向にあるかも知れません。彼らは薄く軽く広くが信条ですから。
勿論、転んださんの言う様に老害もあるでしょうが。重く深く狭くの高齢化ブログは、スカスカの心配はないようにも思えますが。故意のアクセス数水増しアルゴリズムが繁殖すると、ブログも二極化し、メジャー崩壊のシナリオみたいに、消滅するかもしれませんね。
人気のブログか、中身で勝負のブログか。薄利多売か少数精鋭か。ブログ崩壊のシナリオも、転んださんに予測してもらいましょうか?
アクセ数増加アルゴリズムが、ブログを崩壊させる事については、異論はないですが。アクセスの多い人気のブログは、それなりにブログの世界では貢献してる訳で。
でも、ブログの二極化と空洞化がエスカレートすれば、崩壊の序章となるでしょうか。ただ、死滅に至る為には、高齢者ではなく、若者の無関心が不可欠だと。
ただ、若者にはアクセ数なんて無関心ですし、自己満足が全てなので、ブログは消滅しても、浅く広く軽く系のSNSそのものが死滅する事はないような気もしますが。でも、メジャー崩壊のシナリオの様に、先は全くの不透明ですね。答えになってませんが。
このブログに関しては、二度目のコメントです。
クリフォード•ストール流にいえば、カッコウは馬鹿の上に卵を産み落とすのかな。
”判断する軸を投票や売上にばかり置いてしまうと、バカな人に合わせていくらでも堕落する”とあるコラムにありましたが。全くの言い得て妙ですね。
99のお馬鹿なブログと1つの確かなブログですか。検索というのは、どうしても大半のブロガーの知性に合わせるから、お馬鹿なブログに吸い寄せられる。ランキングもその影響を強く受けます。
でも、高い知性が全て社会にいい影響を与えるという筈もなく、かといって、馬鹿が全てに悪影響を及ぼすとも限らない。
スンナリ出世したバカを見て、大衆は嫉妬しつつ優越を感じる。イケイケ実業家やプロスポーツ選手や芸能人やアイドル系政治家なんかは、その出世した馬鹿の典型ですかね。
馬鹿を駆逐するのか、高度な知性を排除するのか。奴隷制度は前者であるし、アウシュビッツやポル・ポトは後者です。
それでもバカはなくならないし、治らない。また、高度な知性による弊害も数多く存在する。ここら辺は不特定多数の多種多様な知性に期待するしかないのでしょうか。
ネット上にも、薄っぺらなコピー系思考の専門家馬鹿が多く繁殖しますね。知能が低くても、ネットの世界では、裸の王様なのです。知性も奥行と同時に横広がりも必要なんでしょうかね。
カッコウは馬鹿の上に卵を産み落とすとは、全くの言い得て妙ですね。でも、生きてみないと、馬鹿がいいのか?悪いのか?
検索ロボットもその馬鹿に合わせ、衰弱していくのでしょうか。ネットも多種多様な知性に期待するしかないのでしょうか。
検索アルゴリズムも、深く知性の奥に入り込める様になれば、信憑性も高くなり、ネットも高度に深く機能する様になる筈ですが。まだまだ、時間が掛かるでしょう。
ランキングもブログの質や難易度に比重を付けた新たなアルゴリズムを開発する必要がありそうな。今のままでは、検索もアクセスもアホに群がり、ネットもアホに駆逐されるのかな。
サッカーの世界も、選手のプレーやパフォーマンスに質と難易度という比重を付け、評価してるようですね。