"コールガール"のバックナンバーを読んで下さった方有難う。フォトチャンでイラストを公開したら、急にアクセスが増えだし、それはそれで嬉しい事ですね。
前回の”その14”では、覆面捜査に引っ掛かりそうになり、危機一髪となったジャネットですが。持ち前の鋭いカンと、機転を利かし、何とか難を逃れますが。年貢の収め時と思うには、丁度いいタイミングとトラブルだった。
年齢的にも30代中盤に差し掛かり、肉体的にもキツかった。でも、アメリカの売春では結構若い女性が多いのに驚かされる。
ジャネットが所属するエージェンシーは、美人のピーチが経営するとあって、特に若い女子大生が多く、ジャネットですらベテランの部類に入るんです。彼女が才女でグラマラスでなかったら、相手にされなかったでしょうに。
私も肉体労働の経験は多々ありますし、体力にも自信があった方ですが。読むほどにコールガールが恐ろしくタフな仕事だなと痛感する。若くて神経と肉体が図太くないと、とても勤まらない仕事だと。
ジャネットもコカインがなければ、3年も続けられなかったかもです。しかし、そのコカインが彼女を心身とも急速に追い詰めていったのも、皮肉なんですが。
そろそろ潮時?
さて本題に入ります。
何故この仕事を辞めたのか?ハッキリとは解らない、でもそれでいいの。つまり、潮時って事。
若さの峠を超えた人生のある時点にて、私がまだキレイで、男たちの欲望の対象となり得る事を確認する機会を与えてくれたし、違法で不道徳でハラハラする冒険と、そこからの脱出とスリルを味わせてくれたもの。全ては考え方次第だわ。
私にとって幸運だったのは、これがずっと続けられる仕事でないと解ってたから。身体はボロボロになり、倫理観は腐敗し、大学の常勤の道は遠のき、これが本当の私の生活でないって事も。
だから、決定的なダメージを受ける事なく、この世界からスンナリと足を洗えた。
私は私なりの強さがある。ここ数年間独りきりだったし、自らの空虚をありのまま受け入れた。コールガールを辞める頃は、フルタイムで教職に付き、太極拳を習い、コカインをやめ、新しい本を書く準備をした。悔いがないといえば嘘だ。それに夜になると、ピーチからの電話を待つ哀しい自分がいる。
時の流れは早い。特に”この世界”ではね。しかし、人間の欲求は誰でも何時でも同じ。今夜もコールガールは、愉悦と興奮と希望を与え、過酷で哀れな要求を出す客を魅了する。
そういうもんなんですな、コールガールという人種は。私たち野郎が思う以上に、ずっとタフで辛抱強く、屈強なんです。
現実の人生を生きよう
しかし、今の私は性的ファンタジーを与え、魅惑の女を演じるより、現実の人生を生きる方が遥かに面白い事をようやく発見した。
今でも同じボストンに住み、結婚し、名前も変り、作家として順調に活動を続けてる。自分の時間を目一杯、仕事に費やす日々である。愛猫のスカジーも、裏庭でリスを捕まえる事に夢中である。
夫のトニーも、私の以前の仕事を知っており、折り合いをつけようと努力中だ。”あなたの友人全員が、妻が以前コールガールをしてた事を知ったら?”
”テレビコマーシャルにあったろ。訓練されたプロの手を、ご家庭で試してみませんかってヤツさ”
そんな冗談を言う夫も、娼婦に関する思い込みの神話や類型の呪縛から開放されるには、まだ多くの時間が掛かるだろう。でも彼ほど、この問題を一緒に乗り越えようと、努力してくれる人は他にいない。
経営者のピーチは今も元気にやっている。彼女も結婚し、家を買った。彼女はもう崇拝者の輝かしい輪の中にはいない。流行の先端を行く派手なクラブやレストランに通うより、頻繁にジムに通い、汗を流す。あちこちに旅をし、野外パーティーにも顔を出す。
この本で語った他の多くの人々については、何も語る事はないし、語るつもりもない。あの頃の仲間や知り合いは、私の人生と何の繋がりもないから。仕事仲間の中には、私同様に、コールガールの仕事を足がかりに、本来の自分の仕事を切り開き、家庭を持った人もいるだろう。
一方、辞め時を見失い、お金を管理できず、出口を見失ってる人も多いだろう。元々娼婦とは、そうなりがちな世界なのだ。
今でも、気分が晴れない時は、遠い過去となったスリルと冒険の日々を思い出す。そんな時、私は秘密の笑みを浮かべるのだ。
スリルとファンタジーの連続の日々
この気持ちよく解りますね。私も若い頃、ホンの一時的ですが、女を買い漁った頃がある。もう夢中で遊んだというより、若い女のふくよかな肉体を弄りまくったという方が正しいか。
とにかく、悦楽と冒険とスリルとファンタジーの連続だった。恋人同士でも味わえない様な貴重な、宝石にも似た体験の毎日だった。
ジャネットの組織同様に、殆どが20前後の若い娘ばかりで、皆グラマーだった。風俗の仕事をする前は、ディスコで一晩中踊り明かしてた様な華麗なダンサーやプレイガールばかりだった。 それに彼女たちは新鮮で洗練され、とても明るかった。あたかも仕事とセックスを同時に楽しんでるかのようだった。だから私も楽しめたのだ。勿論色んな事情があって、仕事をしてる娘もいたが、コトに及んでる間はそれを忘れ、互いに悦楽に浸った。
お金で女を買うというのは、買う男と買われる女の共同作業だと思う。快楽を提供される側と提供する側の信頼感と安心感というか。
ジャネットのこのルポルタージュを読んでつくづくそう思う。読みながら、私が昔味わったファンタジー?を思い浮かべ、独りニヤニヤしてる自分がいる。全くジャネットと同じですね(笑)。
ステレオタイプでお行儀の良い大半の日本人は、私のこのブログのイラストをエロいとか、はしたないとか、モラルに欠けるとか、思ってる人も多いだろう。しかし、このイラストには、かつて私が味わってきたファンタジーと悦楽が、凝縮され表現されている。
この本の日本語版のブックデザインを見る度に、副題を見る度に、日本は”CallGirl”後進国だなって、痛感する。
まるで、犯罪を犯してる様な感覚だ。勿論、娼婦の仕事は危険極まりない。ジャネットが言うように、簡単には抜けられないし、大半が悦楽とかファンタジーとかとは無縁な世界で、身の危険を感じながら仕事をしてるであろう。
ジャネットが買春を合法化すべきと主張するのは、"安全な買春"は女にとっても客にとっても安全で有益だからである。危険な買春は客にとっても非常に危険なのだ。逆もまた真なりであろうか。
いや悦楽で書いているから全然?^^
あ、これはどうも失礼いたしました。
私も楽しく読ませていただきました。(礼)
辛抱するのはイヤです・・
なんかこれイヤらしい意味にも
とれますね~(*^^)v
ことばって不思議ですね~(*^。^*)
象さんのこのイラスト、
もう~信じられないくらいです。
抽象的ですが、
品のある芸術にしかみえません
ついつい記事を飛ばしてしまいがちですが、
今回は、シッカリ読みました。
やっと終わったって感じです。
いつも辛抱強く読んで頂いて感謝です。
後は筆者のあとがきで締めくくります。
やはり、旧世代のタブレットではキツいですね。
壊れたん筈のスマホが生き返ったり死んだり、使えなくもないんですが、10分ほどで画面が揺れだし使い物になりません。
今回は下書きが済んでたので、何とか投稿出来たですが。やはり、新しいスマホを買うまでブログは辛抱ですね。
このイラストは、実際に外国で使われてるブックデザインです。タブレットではイラストを描けないので、仕方なく張り付けただけですよ(笑)。
でも、このカバーはいけてませんな。コールガールのカバーデザインは、実際には全部で5種類程あるんですが。網タイツを除き、パッとしないですね。
コールガールは著者のあとがきを最後に終りです。バックナンバーも宜しくです。
タブレットではやはり無理っぽなので、新しいスマホを買うまでブログは辛抱です。
出会いがあり別れがあり、そして再び出会いがある。ゼータが色んな関数と複雑に絡み合ってるように、人生も様々な人と絡み合う。そうやって人格という定義域を広げ、進化していくんですね。
ジャネットにとってコールガールという仕事は、人生の定義域を広げる解析接続に他ならなかった。
フォトCHを公開し、コールガールのバックナンバーにアクセスが集中した辺りから、スマホにトラブルが。
全く、ジャネットの呪いですかね。もう終りにしないでって、叫んでるみたいで。
人生をゼータ関数に喩え、人生の定義域を広げる為の解析接続とは、実に良く出来た言葉です。流石、paulサンならではです。