前回”2の5”では、素数定理の仕組みと歴史を大まかに説明しました。
まず、素数の第二の謎である”素数の逆数和の発散の度合い”がどれ程のものか?オイラー積を使う事で簡単な漸化式"1/2+1/3+1/5+1/7+・・・=loglog∞"をオイラーは発見しました(1737年)。
しかしガウスは、このオイラーとは違う方法、つまり経験的観察から”素数密度が1/logxに近似できる”と推測し、素数定理”π(x)~x/logx”と予想した(1792年)。
そしてガウスは、対数積分”Li(x)=∫(2,x)dt/logt”を使い、”π(x)~Li(x)”と表示すれば、より精確な素数定理が得られました。
このガウスの”素数予想”は、ディリクレを経由し、リーマンに受け継がれ、リーマンが確立したゼータ関数を使い、非常に高度な手法で”誤差項付きの素数定理(明示公式)”を生み出し、リーマン予想が深く絡んだ素数の謎の解明に繋がります。
勿論、弱いリーマン予想である”ゼータが Re(s)=1上に零点を持たない”というそれだけ事から素数定理を導いたアダマールとプーサンの驚異の偉業でもあるんですが。リーマンの素数公式(明示公式)の正当性を証明したのはフォン•マンゴルドであり、ここにて初めて、素数定理という言葉が使われました。
そういう意味では、オイラーやガウスやリーマンの偉業をアダマールやマンゴルドが必死で受け継いだ結果とも言えます。
但し、スティルチェスの”弱いリーマン予想”の証明や、ガウス予想に関するチェビシェフの初等的な評価式がなければ、アダマールもマンゴルドもお手上げであった筈ですが。
因みに、スティルチェスやチェビシェフに関しては後でたっぷりと述べますので、ご心配なくです。
素数の占める割合が0%である事の意味
さて、この素数定理の原点に戻り、素数の個数の無限大が”ある程度大きな無限大である事を”既に示したんですが(”2の3”参照)、素数の個数が無限大だとはいえ、”全体に比べるとまだまだ小さい”事を示します。
前回”2の5”では、素数の逆数の和の発散の速度が極めて遅い”loglog∞”事を述べましたが。今日は、自然数の内で”素数の占める割合が0%”である事を検証します。
まず、自然数の全体からなる偶数全体の集合と奇数全体の集合を例に取ります。
これらは全て1/2の割合で出ますから、自然数全体の中で50%を占める。例えば、”5で割って1余る”自然数の集合は、20%を占めますね。
こういった確率や割合や%という概念は、場合の数が有限の時に、(その場合の数)/(全体の場合の数)で定義されるから、場合の数が無限の時の定義は必ずしも自明ではない。
しかし、小さい方からの極限値を考え、lim(x→∞)(x以下のその場合の数)/(x以下の全体の場合の数)が存在すれば、無限でも割合の概念を定義できる。
つまり、”偶数が自然数の50%を占める”とは、100以下では50個が偶数、1000以下では500個が偶数と極限に大きくしていけば、”偶数の割合が50%に収束する”事を意味する。
故にここでは、自然数xの中で”素数が占める割合が0%”である事、つまり、lim(x→∞)(x以下の素数の数)/x=0について考えます。”0%は非存在を意味するものではなく、0%に収束する”事に注意です。
素数以外の”べき乗数”や”平方数”の割合が0%という事は比較的容易に解りますね。それは元同士の間隔が単調に増加するからです。
そこで、例えば2のべき乗”2ⁿ”ですが。1,2,4,8,16,32,64,128,256,・・・の集合が全自然数の1%以上を占めるか否かを先ず考えます。
まず、1%とは100個に1個の割合を意味するが、128から先は隣り合う元と100以上開くので、2のべき乗の割合は1%に満たない。そしてそれ以降はもっと広がり、平均が1%に達する事はありえない。
次に1%を0.1%、0.01%と小さくしても、その分大きな自然数を考えれば同じ事が起きるので、結局どんな正の%に対しても、元の占める割合はそれより小さくなる。これは2べきだけでなく、他のべき乗数や平方数も同様ですね。
かなり理屈っぽいですが、この様に、元同士の間隔が単調増加する数列は”正の%”を占める事ができず、占める割合は0%となる事が解る。こうして、”0%”という数学的概念を理解出来ますね。この0%という概念はランダウの記号Oでも登場しますから、理解して損はないです。
つまり、私達が日常当り前だと思ってる事には、数学的な理屈がきちんとした定義で成り立ってんですね。
しかし、素数に関しては非常に難しい。素数の場合、数が小さい程に豊富に存在し、大きくなる程に占める割合が少なくなるという事は、実際にユークリッドの素数列(”2の2”参照)を求めてみれば、大まかには解るんですが。
Vanden Eydenによるオイラーの定理の証明(1980)では実際に、比較的小さな素数が豊富に存在する事が判ってます。
細かく見れば、隣り合う元同士の間隔は不規則に変化し、大きな数では素数は珍しい存在だが、近い数どうしで立て続けに素数が出現する事も永遠に起き続ける事も予想されてる。
実際に、差が2の素数列の組(双子素数)は無数に存在すると言われ、差が246以下の素数の組は無数に存在する事が証明されてる。
仮にその様な近い数同士の素数の組が頻繁に存在すれば、全体として素数の割合はかなり増える筈。故に自然数の全体で見た時、素数の割合が本当に0%なのかは不明である。
故に、これから証明する”素数が0%である事”は自明でない事実であると。
前置きが相当長くなりましたが、素数の謎はとても深く複雑に入り組んでるので、こういった初等的な考察というのがとても重要になるんですね。
”素数が0%である”事の証明、その1
ここで、”x以下の素数の個数”π(x)と置き、ランダウの記号Oを用いれば、以下の条件を満たします。
f(x)=O(g(x))、(x→∞)⇔lim(x→∞)f(x)/g(x)=0、
故に”素数が0%である”は、π(x)=O(x)ー①と書け、ランダウの記号(0に近い誤差項)を使って①を証明します。
まずは、その為の準備です。
2つの整数は正の(最大)公約数を1のみ持つ時、”互いに素”と言います。共に割り切る正の整数が1のみといったが判り易いですかね。以下(a,b)=1と簡易表示します。
そこで、”n以下の自然数のうちnと互いに素なるものの個数”をφ(n)とし、オイラーの関数と呼びます。
すると、φ(1)=φ(2)=1(1のみ)、φ(3)=2(1,2)、φ(4)=2(1,3)、φ(5)=4(1,2,3,4)、φ(6)=2(1,5)、、、となります。互いに素と素数とは、別モンという事に注意します。
一般に素数pに対し、φ(p)=p−1であり、素数べきpʲ(j≥1)に対し、φ(pʲ)=pʲ−pʲ⁻¹=pʲ(1−1/p)ー②と、拡張できます。
これは、pʲが素因数としてpのみを持ち、1からpʲまでの整数のうち、pʲと共通の約数を持つ整数はpの倍数の数のみで、pʲ/p=pʲ⁻¹個存在する事から判りますが。少しややこしいですかね。
一方、互いに素なn,mに対し、オイラー関数は(互いに素な数の積に関して)”乗法的”なので、φ(n)φ(m)=φ(nm)が成り立つ。
故に、素因数分解された自然数n=p₁^j₁•••pᵣ^jᵣに対し、φ(n)=φ(p₁^j₁•••pᵣ^jᵣ)=φ(p₁^j₁)•••φ(pᵣ^jᵣ)。
ここで②より、φ(p₁^j₁)•••φ(pᵣ^jᵣ)=p₁^j₁*(1−1/p₁)•••pᵣ^jᵣ*(1−1/pᵣ)=∏ᵢ[1,r]pᵢ^jᵢ*(1−1/pᵢ)=(p₁^j₁•••pᵣ^jᵣ)∏ᵢ[1,r](1−1/pᵢ)=n∏ᵢ[1,r](1−1/pᵢ)となる。
よって、φ(n)=n∏ᵢ[1,r](1−1/pᵢ)ー③と表せます。また、素因数pがnを割り切る記号である”p|n”を用い、φ(n)=n∏(p|n)(1−1/p)とも表せます。
”素数が0%である”事の証明、その2
下準備を終えた所で、”素数が0%である”π(x)=O(x)ー①の証明に掛ります。
先ず任意の自然数kを1つ固定。するとx以下の素数は、以下のどちらか一方の性質を持つ。
(A) k以下であるか、
(B) kと互いに素であるか、
つまり、k以上の自然数でkと公約数(>1)を持つものは素数ではない。それ以外のものを全て数え上げれば、全ての素数を数え上げる事が出来る。故にπ(x)に関し、まず次の不等式が成り立つ。
π(x)≤k+#{n≤x|(n,k)=1}、xは自然数。
因みに#は個数を表し、(n,k)=1とは、nとkが互いに素でした。
ここで、xをkで割った式をx=qk+r(0≤r<k)と置けば、π(x)≤k+qφ(k)+r=k+[x/k]φ(k)+r。
[x/k]はx/kを越えない最大整数より1/x[x/k]≤1/k。故に、π(x)/x≤(k+r)/x+φ(k)/k。ここら辺は少し抽象的ですが、辛抱です。
よって、lim(x→∞)sup(π(x)/x)≤φ(k)/kー④が、任意の自然数kに対して成り立つ。但し、supとは上限という意味です。
そこで、kとして最初のr個の素数の積、k=p₁p₂•••pᵣを選ぶと、③よりφ(k)=(p₁p₂•••pᵣ)∏ⱼ[1,r](1−1/pⱼ)=∏ⱼ[1,r](pⱼ−1)ー⑤。
故に④⑤より、lim(x→∞)sup(π(x)/x)≤∏ⱼ[1,r](1−1/pⱼ)ー⑥が成り立つ。
ここで、lim(x→∞)∏(1−1/p)=0(Vanden Eyndenの別証明)より、⑥の右辺の極限は0になり、左辺も0になる。
故にlim(x→∞)sup(π(x)/x)=0から、①のπ(x)=O(x)〜0が示せ、”素数が0%である”事が証明できました。
思い切り抽象的で、書いてる本人も頭混乱してます。とにかく、大まかな流れを掴む事が重要ですかね。
因みに、∏ₚ(1−1/p)=0は、Vanden Eyndenの素数の逆数の和が発散する事の別証明の過程で得た”∏ₚ(1+1/p)=∞”から、ζ(2)=∏ₚ(1−1/p²)⁻¹=∏ₚ(1−1/p)⁻¹(1+1/p)⁻¹=π²/6より導き出せますね。
”Vanden Eyndenの別証明”を詳しく知りたい方は、「素数とゼータ関数」のp11を参考です。
最後に
素数の個数が無限大と言えど、自然数全体に比べたら”0%に近い無限大”という事を、オイラー関数φとランダウ記号Oを使い、自明な形で証明したんですが。
これは、x→∞の時、素数が非常に少なくなる事を意味するんですが、その度合いが凡そ”1/logx”位の少なさというのが素数定理の本質なんですね。
そこで次回”2の7”は、”粗い素数定理”であるn番目の素数の大きさについて述べていこうかと思います。
以上長々と書いてきましたが、”誰が読むかいこんなモン”的ブログになってしまい、書いてて思わず苦笑する私めですが。これからも”リーマン”ブログをどうぞ宜しくです。
ゼータもリーマン予想も、全てはこの素数定理から始まったということ。何だか読んでて感度すら覚えます。
無限大が0%に結び付き、挙げ句はlogという対数関数まで登場するんです。この素数定理というのは、当時の数学者から見れば夢のような存在だったんですよ。
とにかく素数の謎はハマるほどに闇ですね。それしか言えません。これからも宜しくです。