大ファンという訳でもないが、ブルース・リーという人物と生き様には不思議と興味を覚える。勿論、ヒーローや格闘家としても魅力的だし、一人の人間としても多少は奇怪だが、魅惑的だ。それを証明するかの様に、彼に関しては様々なルポルタージュが登場した。
私も何冊か読んだが、当時は不可解な死も手伝ってか、赤裸々にブルースを悪く書く記事が目立った様に思う。お陰で彼の虜になった。
もしブルースリーが今の様に神格化されてたら、そこまで興味を持つ事はなかったろう。つまり、ブルースリーとて、ヒーローやレジェンドである前に、一人の人間であるべきなのだ。
昨年、出版されたマシュー・ポリー著の「ブルースリー伝」(写真)だが、本文2段組のA5判で590頁の重厚な本で、表紙の原題は「Bruce Lee A LIFE」。この圧倒的な情報量を誇り、6000円近くもする”平成のブルースリー伝”は、コアなファンなら誰もが手にしたくなる一冊だろうか。
しかしだ。ブルースの死因は”脳浮腫ではなく熱中症だった”のフレーズに一気に酔いが覚めた。
以下、過去に読んだ記憶を紐解いて、ブルース・リーの生き様を主観を交え、振り返る事にします。多少の食い違いはあるかもですが、悪しからずです。
脳浮腫とブルース・リー
ブルースリーが32歳の若さで急逝した当時は、彼を毛嫌う香港メディアの悪騒ぎもあってか、様々な陰謀説や殺害説が巷を賑わした。娼婦やマフィアや日本人空手家から殺されたという俗説も悪くはないが、少なくともアヘンの常用で死んだとなるよりかは、イメージ的にはマシだろうか。
しかし、ブルースリーは”脳浮腫”という持病?を抱えてたのも事実である。
因みに、脳浮腫とは関節に水が溜まる様に、脳にある衝撃を継続的に受ける事で脳内に水が溜まる病気で、最悪の場合、頭蓋内圧が高くなり、生命を司る脳幹を圧迫し、死に至るとされる。
事実、劇団の子役で鳴らすリー少年は小さい頃から有名人で人気もあり、それにヤンチャで腕白で、アヘンの臭いが充満する香港のスラム街では、”チンピラヤクザ”とも呼ばれてた。
お陰で、相手に大怪我させる事も自分が怪我する事もしばしばだったという。故に小さい頃から、慢性的に頭蓋や脳にダメージを受ける事が多く、脳浮腫の病巣を作ってたとされる。
ブルースが死んだ時は、死体解剖をリンダ夫人が渋った為に、正確な死因の報告が遅れてしまう。しかし、香港の超一流の医者が死因を間違える筈もない。
後に、愛人のベティ・ティンペイが与えたピリン系の頭痛薬(エクアジェシック)が引き金となり、脳浮腫を悪化させて死んだ、という正式な報告がなされた。
事実、検視官も”エクアジェシックによって起きた2次性の脳浮腫”と公式に発表した。
よって、死因は紛れもなく脳浮腫(脳水腫)で、これは間違いない真実だ。つまり、本で書いてある様な”熱中症”なんかじゃない事は明らかだろう。
クレイジードラゴン
しかし、ここからがやばい話となる。このベティちゃんが与えた頭痛薬が死因の引き金となった為に、当時ポルノ女優であった彼女が疑われた。実はブルースが死んだ時、この愛人のマンションに一緒にいたのだから。
勿論、リンダ夫人もこのポルノ女優との不倫関係は知ってはいた。しかし、メディアの総口撃に苦しみ、悲しみと絶望に明け暮れる女を憐れんでか、リンダ夫人は助け舟を出し、自宅で死んだ事にした。
だが、最初に通報したのがブルースの上司であり、映画会社の社長であるレイモンド・チョウで、当然辻褄が合わない。
結局、愛人のマンションで死んだのか?チョウ社長の邸宅で死んだのか?それともリンダ夫人のいる自宅で死んだのか?騒ぎは一段と大きくなる。
脳浮腫により、過剰な水分が脳内に溜まった事で、ブルースの脳サイズは13%も増大していた。確かに、「燃えよドラゴン」(1973)の頭の大きさと「ドラゴンへの道」(1972)では、髪型もあるが、明らかにサイズが違う。
つまり、「燃えよドラゴン」の撮影に入ってから、脳浮腫が悪化したのは明らかである。しかし、この脳浮腫が原因で癲癇や頭痛を起こし始めるのは、「ドラゴンへの道」の頃に既に始まっていた。
元々短気で喧嘩っ早いブルースは、監督を殴ったり蹴りつけたりするのは日常茶飯事だったから、癲癇や引きつけを起こしても、周りは”いつものクレイジードラゴンだ”と嘲笑した。
お陰で、ほぼ毎日の様に香港紙の第一面は、ブルース一色だったのだ。
しかし、「ドラゴンへの道」の撮影中にトイレの中で倒れ込み、意識を失った時は、大騒動だった。
その後、「燃えよドラゴン」の撮影終了後、再び昏睡状態に陥り、その時は奇跡的に助かるも、ブルースは渡米し、緊急入院する。
しかし、脳は手が付けられない程に腐っており、医者は気休めに”君の肉体は18歳だ”と励ました。当時の写真で見るとわかるが、病み上がりの肉体は痩せこけ、ボロボロの状態であった。
医者からはリンダ夫人だけに、”悪性の脳浮腫だ”と伝えられ、”今度倒れた時は脳を切開しないと確実に死ぬ”と警告された。
俺はドラゴンではなくなる
ブルースもこれには薄々気付いてはいた。「燃えよドラゴン」の撮影中、”あと数日したら、俺はドラゴンではなくなる”と漏らし、共演者を”驚かせた。
しかし、何故、脳浮腫が急に悪化したのか?
ブルースは、米西海岸のロングビーチにいた頃、モーニングというトレーニングの最中に背骨を痛めてしまい、一時寝たきりになる。
その時に処方されたのが鎮痛剤だ。つまりマリファナの一種だろうか。
その数年後、香港に戻り、「ドラゴン危機一髪」(1971)の撮影中に、ムエタイの元王者からケンカを売られ、デスマッチを制するものの、勝負が決まった後に背後から蹴りを食らい、持病の腰痛を悪化させてしまう。
その後、映画が大ヒットし、過酷なスケジュールに見舞われると、鎮痛剤として使ってた大麻の引用が頻繁になる。
お陰で、腰痛や頭痛や癲癇を起こす度に毒性の強いハシシを飲用する様になった。
ブルースは元々、酒もタバコもやらない真面目人間だから、ハシシを吸引じゃなく、ご飯にかけて食べてたという。
勿論、ブルースは父親のアヘン吸引の習慣を通じ、薬物の危険性と中毒性は知ってはいたが、異常なまでの多忙なスケジュールがそれを許さなかった。
しかし、シャブ漬けの肉体は、精神だけじゃなく脳までも腐らす。当然、脳浮腫も悪性になる。やがてアレルギー性のショック症状を頻繁に示す様になり、喧嘩やトラブルは日常茶飯事になった。
一方で、リンダ夫人も家庭にトラブルを巻き込まない限り、ブルースを咎める事はなかった。
女遊びも派手になり、一晩で3人の有名女優と寝たという噂まで流れた。その3人とは、共演者のマリア・イーとノラ・ミヤオ、それに愛人のベティであったとされる。
しかし、そんな自暴自棄の状況の中でブルースは、ハードなトレーニングだけは毎日の様に、超多忙なスケジュールの合間を縫っては続けていた。
ある要人が集まる壮大なパーティでは、トレーニング服のままで現れ、会場となった超高級ホテルは、その出来事が歴史となった。
「燃えよドラゴン」の成功を確信し、ポルノ女優で愛人のベティを、撮影を中断してた「死亡遊戯」(1978)のヒロイン役に抜擢しようと、愛人宅のマンションを訪れた時の出来事であった。
ブルースは頭が痛いからと、ベッドに横になる。女は頭痛薬のエクアジェシックを与え、彼は死ぬ様に眠りについた。
もしこの時、愛人がブルースの”脳浮腫”の事を知ってたら、頭痛薬を与える事なく、病院に電話し、すぐさま脳の切開が行われてたであろうか。
しかし、命は助かっても、ドラゴンは蘇らなかったであろう。
最後に〜日本が大好きだった
ブルースリーの母親は、事業家の愛人の子でイギリス人とユダヤ系オランダ人と中国人の血を受けていた。これは、香港が欧米列強に苦しめられた”複雑”な歴史を物語る。と同時に、ブルースの複雑な生き様とも重なる。
そんな彼も日本が大好きだった。普段は飲めないお酒も、すき焼きを食べながら日本酒をグビグビ呑んだ。
”正宗”の名刀を前にして、”とても欲しいんだけど、今は金が無いから買えない”と落ち込んだ。
ブルースには、リンダ夫人と付き合う前に日系人でエイミー・サンボという恋人がいた。結婚したかったが、しつこすぎて断られた(悲)。
彼が生み出したジークンドー(截拳道)は、中国古来から伝わる武術ではなく、日本の”武道”である。クンフーをベースにしてるとされるが、実は日本の空手道や柔道や跆拳道が基盤となってる事は、あまり知られてはいない。事実、マス大山などの膨大な量の空手の本を研究し、拳を鍛えた。しかし、拳で石を叩き割りながら、”こんな事しても無駄なんだよね”と苦笑いした。
私はよく思うのだが、ブルースが香港ではなくて日本に来て、映画を作ってたらと思う。彼は映画上での格闘スタイルを、大ファンだった座頭市から取り込んだ。また、千葉真一のファンだった事もあまり知られてはいない。
つまり香港は、彼にとってタフで複雑すぎた。香港ではヤクザの息子を失明させた?として、毎日の様にヤクザと警察に追われた。
心配した母親が、リー少年をアメリカに送りやった。
「燃えよドラゴン」のジム・ケリーの言葉だが、”NYのティーンエイジャーもタフだが、香港のガキはそれ以上だ”と、香港のスラム街に目を丸くする。
もし、ブルースリーが”熱中症”で死んでくれら、いやこの死に方こそが”ドラゴンに相応しい”のかもしれない。
喧嘩が強いといても、170センチの小さい身体です。たかが知れてます。勝ったり負けたりの連続だったんでしょうか。
将来は映画の制作に関わりたいと思ってたようですが、上手くは行かなかったと思います。逆に早く死んで、ブルースリーの為には良かったかもです。
シャブ中や喧嘩っ早い
という印象しかないけど
ユダヤ人の血を引いてるだけあって
結構頭良かったんだな
香港のタフなスラム街では
腕白なリー少年も最初の頃は
フルボコにヤラれたんだろうね
色んな事があって大きくなるんだよな
でもブルースリーの生き様は
タフすぎたし複雑すぎたって言いたいんだよね
最後は、干乾びた胸にシリコンを入れて膨らましてたらしいですね。筋肉弛緩剤なども試してたとか。それでも肉体の衰弱は容赦なかったんですね。
そういう私はスクリーン上のブルースリーよりも、荒んだ私生活で追い詰められ、自暴自棄になりかけた彼の方が大好きです。でも香港は彼にとって狭すぎて、暑すぎましたかね。
コメントどうも有り難うです。
ブルース・リー、今や伝説のアクションスターですね。少年時代に観た「ドラゴンへの道」でチャックノリスと演じたタイマン決闘シーンには痺れました。
また「燃えよドラゴン」ファーストシーン、総合格闘技を思わせる乱取りでの、痛々しいまでに痩せさらばえた姿は目を覆いたくなりました。のちに最後に撮影されたと聞き、死期迫る中でのアクションだったのかと思い、胸が詰まったものです。
主演作に映る、熱気渦巻く混沌の70年代香港の様子は、今やブルース・リーの勇姿と合わせ「貴重な記録」と言えるかもしれません。