ブログを再開して、不思議と疲れるのが”いいね”ボタンである。最近は殆ど読む事なく、”いいね”を押す事が多くなってきた。
因みに、私がいいねを押すのは毎日5、6個ほどだろうか。それでもストレスになる(悲)。故に、もらう”いいね”も当然だが少ない(悲)。
多分、皆さんも同じようなもんだろう?が、慣れてくるとそれすら辛くなる。勿論、最後まで読んで押す場合もあるが、そこまでの体力がない。最後にはイイネェ〜を押すのが苦痛になり、イヤダネェ〜となる(笑)。
かと言って、全く無視出来ないのもこの”いいね”である。少し腹が立つけど、全くないとこれまた虚しい。
もし、欧米のサイトで”いいね”ボタンがあったら、彼らは一体どんな反応を示すだろうか?
実は、私と同じ様に考えてる人が海外には多くいる。
以下、”いいね機能って必要?”から一部抜粋です。
いいねが精神健康に悪影響を与えるとして、いいね機能をなくそうとする動きもある。
いいねの数を必要以上に気にしたり、生活の全てをSNSに書き込まないと気が済まない人の事を、海外ではソーシャルメディアFOMO(=Fear of missing out)。
つまり、”取り残されるのが不安になる”症候群?とでも呼ぶのか。
SNSが脳や精神に与える影響としては、SNSでいいねやポジティブな反応をもらう度にドーパミン(快楽ホルモン)が分泌されるそうだ。
これは酒を飲んだ時と同じ様な現象で、中毒化するらしく、SNSで一旦いいねをもらうともっと沢山のいいねがほしくなる。つまり、良い気分になる為に作動する一種の脳内サイクル。
BBCが2017年に発表した調査によると、1日2時間以上SNSを使用してる人は、”社会から孤立してる”と感じる傾向があるそうだ。
特に完璧主義の若い女性の場合、SNSに依存しすぎると逆に不安感に煽られ、人と比較し、自分の人生は惨めだと感じ、鬱を助長する事も指摘されてる。
自尊心が低い人ほど、投稿に対しての反応がないと自分が否定された気持ちになりがちになるそうだ。
SNSは短期的には精神の高揚を生み出してくれるが、その後、急速に落ち込んでしまう。自尊心が低い事自体は病気ではないが、鬱を誘発する要素ではある。
そんな中インスタグラム社は、いいね機能を非表示にする予定である事を発表した。既にオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、日本、ブラジル、アイルランド、イタリアでは、”いいね非表示”のテストが開始されてる。
いいねを非表示にする事で、ユーザーをいいねのプレッシャーから解放する事が目的だ。
元々、(意図的でないにしろ)中毒症状を引き起こす為に設けられた”いいね機能”だが、精神健康に悪影響を及ぼしてしまう事が多くの研究で明らかになってる。
ストレスなく、プレッシャーなく、中毒になる事なく、SNSを利用できる様な時代に向かっていると期待したいですね。
以上、SLOWNETからでした。
最後に〜”いいね”は誰がためにある
あればプレッシャーに中毒になるし、かと言ってなければ虚しい。晩酌ほどには都合のいいもんでもないが、”いいね”をなくしてみて、SNSがどう変わるかを試すのもアリだろうか。
私にコメントを贈る人の殆どは、Gooユーザーやフォロワー以外の人達である。勿論、全く知らない人から非難されるよりは、(ネット上とは言え)知ってる人から批判された方がずっと楽だ。
Gooブログにはポジ的なボタンしかない。それも、”いいね”、”応援”、”続き希望”、”役に立った”の4つで、どれも均一的で並列的な評価だ。日本人らしいと言えばそれまでだが、これじゃ、やる気は出ない。
ブログとは、大半を占める”自分日誌”を除き、コラムやジャーナルやルポルタージュの要素を少なからず含む。
それもプロではなく、アマチュアの視点から眺めたものだ。そういった記事に対し、評価が均一&画一なのも少し拍子抜けする。
自分とは全くの異なる(同意できない)意見でも、コラムやジャーナルとしてみれば高評価だったり、自分と同意見でも、ルポルタージュとしてみれば低評価だったり、人の評価って、いいね(同意)やコメント(お世辞)だけでは表せないものでもある。
せめて、星の数でランク評価したり、同意出来るor出来ないというものを用意したら面白いと思う。
イイネをなくそうとする動きが主流となる中で、そういった細かい評価ボタンを用意するのも、慢性化したプレッシャーや稚弱な中毒症を防ぐ、大きな要素となるような気もするのだが。
追記〜”いいね”に群れる日本人
しかし哀しいかな、今やイイネはSNS上での立派な礼儀作法になりつつある。その上、ブログもイイねを誘う陳腐で差し障りない様な記事になるのだろうか。逆に、本音を言おうものなら、誹謗中傷で炎上するか訴えられる危険性がある。
でも、この”いいね”という媚を売る稚弱な性癖は、日本古来の伝統的気質でもあり、これが”取り残されるのが不安になる”という強迫性障害を生むんだから、自業自得なのかもしれない。
以上、寄せられたコメントから追記しました。
私は以前にnogoodのボタンも設置すべきだと書いた事があります
全文読まないでイイネを押す方も多いと思いますが訃報にイイネを押す方も時々おりましてね
これは押すには注意せねば失礼になると思い全て読んでから押すことにしております
ご主張のようにイイネの意味と役割を見直す必要があるかもしれませんね。
日本では、同意できない”=SoBad”になるんでしょうが、欧米では同意できなくとも”SoGood”となる事もある訳で。
そうした”いいね”の多種多様化も必要かもしれませんね。
「それはよかったね」という気持ちで押すイイネか、「それはいい考えだ」という気持ちで押すイイネでは全然意味合いが異なってくる。なかには、「羨ましい」という羨望の気持ちで押すイイネもあると思う。これなどは、イイネというよりコンチクショーという気持ちだらう。
これらを全部イイネにするから、受け取った側はこれはどういうイイネかとしばし考える。そして疲れる。
それよりもっと疲れるのが、イイネをもらったら、お返しをしないといけないこと。全然いいと思えない記事にもイイネを押していると自分が詐欺師になったような自己嫌悪に陥る。
でもこれが繊細な日本人の特性には合ってんですね。だからここまでSNSが繁殖した。
多分、イイネがなくなったら日本にSNSはなくなると思う。逆に、本音を言えば誹謗中傷にとられる。
しかし哀しいかな、今やイイネはSNS上での立派な礼儀作法になりましたね。
日本人って陰湿な生き物ですよね。
イイね繋がりで群れあったり
イイねの数だけでランク付けしたり
強迫性障害といえばそれまでだけど、逆にこのイイねがSNSを腐らすかもしれないね。
農耕民族って権力に群れるか、”いいね”に群れるか、なんですかね。
これだけは日本人のひ弱なメンタリティからくる陰気性だからどうしようもない。
でもこの”いいね”という媚を売る稚弱な性癖が強迫性障害を生むんだから、自業自得なんだけど。
コメントとても参考になります。
イイねボタンはメンバーじゃないと受け付けないのだろう?身内だけで群がって何かいいことでもあるんだろうか?
転んだサン言うように媚を売る農耕民族の伝統が受け継がれてるのでしょうね。
それに笑わせるのが、イイねが最も多く押されてる記事が、続き希望も役立ったも応援も全てイイねの数と同じってのは?それも上位にランクされたそれらの数が皆同じ。何か裏で操作でもしてるのだろうか?
こんな事してたら身内だけで、誰も寄り付かなくなると思うけど。
言い忘れたけど、追記してくれてありがとう。
インチキと言えばそれまでなんだけど
1000個のイイネを貰う記事でもガキの絵日記みたいなのが大半だし、一桁のイイネしかもらわなくともプラチナの輝きを放つ記事もある。
でも、インチキだからネット社会が成り立つわけで、哀しいけどそれが真実。
貴重なコメント有り難うです。