壮絶と怒号が飛び交う第1ラウンドが終わった。控室でじっと佇んでた長野ハルは、この試合が想像以上に壮絶な戦いになる事を予想はしてたが、興奮する事も動揺する事もなかった。大場同様に不思議と冷静でいられた。まるで大場が隣にいるような気がしたのだ。前回”その5”もClick宜しくです。
大場夫人の不安を嘲笑うかの様に娘二人は、無邪気にはしゃぎ回ってる。皮肉にも長野ハルは、娘たちの相手をするのを楽しんでるみたいだった。
”何も心配する事はないのよ、男ってリングで戦ってる時が一番幸せなんだら。全く身勝手な生き物よね、綺麗な奥さんがこんなに心配してるってのにねえ”
明暗を分けた第2ラウンド
続いて、2Rのゴングが鳴る。
冷静さを取り戻した大場は、サラテの左側を時計回りに軽快に動いた。ガードを上げ、素早いジャブをサラテの頭部に集中する。
一方サラテは、大場との距離を詰め、何時でもKO出来る体制を整えつつあった。左右の荒々しく獰猛なロングフックは、度々大場の側頭部を捉えた。
その都度、会場はどよめく。
沼田は心配そうに呟く。
”大場君、もっと脚を使った方がいいですね”
サラテ陣営は”大場を倒すのは時間の問題だ”と、楽観視する様になっていた。ジワリジワリと大場との距離を詰めるサラテのスタイルは、地球の裏側においても、全く変わりはなかった。
しかし、サラテの愛人は興奮しっぱなしであった。
”何モタモタしてんのよ、すぐに片付けなさいよ。相手はビビってるわ”
その瞬間、サラテを取り巻く空気が変わった。サラテの殺戮の眼光が光る。狙いすました電光石火の左右のロングフックをいきなり見舞うと、大場はよろけた。仕上げにお得意の左アッパーを大場の下顎に見舞う筈だった。サラテ陣営のプランは完璧だった。いやその筈だった。サラテの”お遊び”はここで終わる筈だった。
しかし、今度は大場の狂気が唸る。サラテの左アッパーを見抜き、それに合わせるかの様に左へスウェーし、狙いすました右のロングをサラテのみぞおちに突き刺す。モロに心臓を撃ち抜く見事な一撃だ。
サラテ!ダウン?
サラテの脚が止まった。減量苦でヘタってた筈の心臓を、大場は最初から狙ってたのだ。初回のいきなりのロングのテンプルはその伏線でも前兆でもあったのだ。
大場サイドのプランも完璧だった。そしてその通りになった。大場の動きには一分の隙きも狂いもなかった。
大きく”く”の字に折れたサラテに、大場は襲いかかる。狂気は殺戮に変わった。大場は打ち下ろしのロングハンドをサラテのテンプルめがけ、大きく振り下ろした。
今度はサラテがカンバスに沈む。しかし、レフェリーはカウントを取らない。
何とレフェリーは大場にバッティングの注意を与えたのだ。打ち下ろしの右がサラテの後頭部を直撃したと、レフェリーはジャッジしたのだ。
ボディと頭部にダメージを深く負ったサラテに、10秒程の休息が与えられた。
再び会場は暴徒の山と化した。
”あれはダウンだろ、ふざけんな金返せ。ボディに貰った時点で、完璧なダウンじゃないか。これだから同じ中南米のレフェリーは信用できないんだ”
実は、レフェリーは中立をとってアメリカ人に決まってたが、健康上の理由で急遽、パナマのレフェリーに変更になってたのだ。
堪らず大場陣営がレフェリーに暴言を吐く。レフェリーは大場のセコンドにも注意を与え、試合は中断する。
その間にサラテは、自陣のコーナーに腰を下ろし、休息をとる。
”セコンドもファンもここは冷静になって欲しいですね。折角のビッグマッチが勿体無いです。でも大場君はよく見てましたね”
解説の沼田も大場同様に冷静だった。
奴はホンモノだ
大場はレフェリーに促され、青のコーナーで待機した。興奮しない様にセコンド陣へ笑顔で視線を送る。
因みに、イラストでは青がサラテで赤が大場です。悪しからずです。
熱くなりすぎた桑田だが、すぐに冷静さを取り戻し、レフェリーに頭を下げた。
レフェリーも冷静さを取り戻し、大場に対する注意を取り下げた。サラテサイドが今度は苦々しく文句をつけるも、逆に注意が与えられた。
この時はまだレフェリーが採点も兼ねてたから、試合の行方の大半をレフェリーが握ってた時代なのだ。
サラテ陣営は明らかに動揺した。サラテの愛人の顔色も青ざめてた。サラテはここに来て初めて、大場というボクサーに、彼が持つ狂気に、等身大の恐怖を覚えるようになっていた。
”奴はホンモノだ。刀剣を拳に持ち替えたサムライだ。ビデオで見た大場は本当の大場ではなかった。リングに仁王立ちする狂気のオーラに包まれた男、コイツこそが大場なのか”
サラテは大場に敬意を表するかの様に、両方のグローブを合わせた。大場も笑顔でそれに応える。レフェリーが両者に冷静になるように注意を与えた。
サラテはデトロイトスタイルにガードを変えた。だらりと下げた左腕でボディーを防御し、右拳で顎を覆った。今ではハーンズに代表される様に、リーチの長いハードパンチャーがこのスタイルを好むが。当時は珍しいスタイルでもあった。
一方で大場は相変わらず、サラテの周りを時計回りに、軽快に動く。サラテの突進が止まった事で、大場のフットワークはより軽快に鮮やかになった。
大場の伸びのあるジャブは、度々サラテの頭をかすめた。
”いいぞ大場、一気にやっちまえ”
ボディーにダメージを負ったサラテは、左のロングが出せないが為に、攻撃のリズムが取れないでいる。しかし、不思議とイライラ感や動揺した素振りは見せない。
一方セコンドは、必死で何かを叫ぶ。サラテもチラリチラリとセコンドに視線を送る。
”判ってる、今は辛抱の時だろ。大場のパンチは見えてる、心配するなって”
大場も無理はしなかった。距離をとり、”万が一”に備えた。
このまま大場有利で、このラウンドが終了するかに思えたその時、サラテの殺戮が唸った。いやそのつもりだった。
満を持したサラテのいきなりの右ロングが大場を仕留める筈だった。サラテ陣営もそのつもりだった。しかし、それを見抜いてた大場は軽く左を合わせた。
大場のショートの左をカウンター気味に食らったサラテは、流石にバランスを崩し、堪らず尻もちを付く。
サラテは、微笑みながらスリップを主張したが、今度ばかりはレフェリーは誤魔化せなかった。
サラテのセコンドがレフェリーに何事か苦言を喚く。”大場の足がサラテのつま先を踏んでるじゃないか。明らかに汚いやり方だ”
会場はここでも歓声と怒号が飛び交った。
”今度こそ正真正銘のダウンじゃないか、メキシコのクソ野郎。どっちが真の王者かはこれで明らかだろうが。娼婦みたいなヤツの愛人も涙で顔がクシャクシャじゃないか、とっととメキシコのスラムへ消え失せろってんだ”
事実、サラテ自慢の愛人の顔はグチャグチャに歪んていた。怒りと悲しみと動揺に塗れた様は、ブロンドの輝きと青い瞳の魅惑は存在しなかった。そこにあるのは、育ちの悪い怪しげな醜い容貌だけであった。
レフェリーがサラテのセコンドに何か注意を促した所でゴングが鳴る。
序盤を終えて
”大場クン冷静ですね。完璧な立ち上がりです。このままで行けば、サラテ陥落も夢ではないですね。とにかく油断しない事です”
沼田は、10−8と大場有利に付けた。
大場が少し青褪めてコーナーへ戻って来た。
”やつは本物ですよ、メキシコの怪人はダテじゃない。もう少しであの殺戮の右を貰うとこだった、本当にヤバかった。やつは俺の油断を全て見抜いている、サラテの殺戮はホンモノですよ”
”でもお前のあの左は流石だった、練習した通りだ。それに体が無意識に反応してる。サラテの殺戮に怯えてない証拠さ。このまま冷静に戦えば負ける事はない、全くのプラン通りだ”
桑田は動揺する大場を鼓舞した。
一方、サラテは顔を真っ赤にしてコーナーに戻った。
”あれがダウンか?頬をかすめただけじゃないか。ラスベガスでやりゃよかった、明らかに作戦ミスだな”
老トレーナーも顔を真っ赤にして反論する。
”馬鹿言ってんじゃないぞ、セコンドの指示に従ってれば、2つのダウンはなかった。お前が一人で戦ってるつもりなら、今夜は確実にオオバの餌食になる。このままだと女はどっかに去っていくぜ”
”今更なに抜かしてんだ、女は関係ねーだろ。何がセコンドの指示だ?テメーらの指示が何の役に立つ?今まで全部オレだけで勝ってきたじゃないか、違うか?”
”ああ、今まではそうだったさ、でも今夜は違う。奴はホンモノだと忠告したろ、そしてその通りになった、違うか?”
”ああ、奴はホンモノだって事は最初から判ってたさ。俺が油断した訳じゃない、たまたま奴にツキがあるだけさ。まあ見てろって、時間を掛けてゆっくりと殺してやる”
”それでこそ我がサラテ様だ。俺達はチームなんだぜ、それを忘れてもらっちゃ困る。落ち着いて臨めば奴は敵じゃない。モノが違いすぎるんだ、本気のサラテを披露しろ”
”ああ、オオバには悪いが、奴には死んでもらう。本当の殺戮がどんなものか教えてやる”
序盤の大場の先制攻撃は見事ですね。特にサラテへの狙いすましたボディブローは強烈ですか。読んでる方も悶絶です。
このままスンナリといくはずもないですよね、転んださん。出来れば、もつれにもつれた展開を期待したいです。
サラテの強引なブンブン丸と大場のシュアでスマートなスタイルが見事に噛み合ってます。まるで絵にかいたようです。これからも楽しみにしてます。
ただ、日本人が好む浪花節的な複雑に縺れた展開にすると、ウザくなるんで、色々と思案中です。
これからも大場ストーリーを宜しくです。