「冷血」の記事に寄せられたコメントに、こうあった。
”確かにあれは事故だったんだ。
しかし、偶然にしては度が過ぎている。
ペリーは同性愛者で女性的でもあったが、殺人の現場では遥かに攻撃的であった。
その事がカポーティの全てを惹きつけたんだね。カポーティ自身、同性者である事はある短編で吐露してるから。
「冷血」は事故の様に殺人を犯したペリーの物語だが、なぜ、事故の様に人を殺す事になったのか?
もしそれが事故なら、カポーティが殺人者ではなく著名な小説家である事も、偶然の事故なのだろうか?
つまりカポーティは、そういう事から回復するのに1年も掛かったわけだ”
このコメントのソースは、沢木耕太郎さんの「象が空を」(1993)の中の、Tカポーティ評の「苦い報酬」にある。
因みに、「作家との遭遇」(2018)が新たに出版されてるから、読みたい人はこちらもお薦めする。
トルーマン・カポーティ(1924−1984)を一言で言い表すなら、”苦い報酬”に尽きる。
これ以外の言葉は見当たらない。いやもう少し長く言えば、”甘美な報酬から苦い報酬へ”という事になろうか。
そこで今日は、沢木耕太郎さんのカポーティ評を、前半と後半の2回に分けて紹介する事にします。
「冷血」という名の怪物と伝説
沢木耕太郎氏が大学を出て、ルポルタージュを描き始めた頃の1970年代、日本のジャーナリズムにおいてカポーティの「冷血」(1966)は伝説となっていた。
ノンフィクション作家やルポライターの誰もが「冷血」を目標にした。1つの殺人事件の全体を6年の歳月と1000頁もの分量で克明に描き上げた作品に衝撃を持ったのだ。
しかし沢木氏は、何度かその傑作を手に取るも、途中で放棄した。どうしても作品の中核に入り込めないのだ。
幾度かの挑戦の後、殺害者と被害者いや殺人者と追跡者の両輪とする、運命の疾走を描いた第一章の助走区間を読み終えると、後は何の抵抗もなく一気に読み終える事が出来た。
しかし沢木氏は、肩透かしを食らった気分に陥る。殺人の描写が拍子抜けする程に簡単すぎた。まるで、真空の容器を泥絵具で塗り固めたものだと酷評した。
確かに、インタビューという視点で見れば、膨大な資料もテープレコーダーもそれに費やした歳月も結果に過ぎない。20世紀最高のドキュメントと呼ばれる「パリは燃えているか」(1977)のDピエールとRコリンズは、「冷血」よりも遥かに徹底したスタイルで出版している。
私が、夏目漱石の「吾輩は猫である」やバルザックの「幻滅」に違和感を覚えるのと同じようなものだろうか。
しかし、沢木氏は後に「犬は吠える」というカポーティのエッセイ集で”昼休みの亡霊たち”という数枚の観察記録と出会う。
そこには「冷血」の主人公ペリー・スミスとの会話が軽く記されていた。まさにこの時、沢木氏の頭の中でペリーとカポーティが明確な輪郭を持って結びつき、「冷血」が完結したのだ。
”肺炎てやつはバカにしちゃあかんぜ(中略)・・・絞首刑なんて茶番だ。百姓共がオレ達の首を絞めるんだからな。
そこで知りたいんだが、あそこにキネマの連中は来てたかい?”
このペリーの言葉を聞いた瞬間、二人の間に奇妙な了解が成立した。同性愛の筈だったペリーが殺害の現場では、同僚よりも遥かに攻撃的だったのだ。
沢木氏はこの後、「冷血」を再読する。印象は一変した。
つまり、「冷血」は不幸なペリーの物語だ。この悲劇は、殺害されたクラッター家ではなく”事故の様に”殺人を犯したペリーにこそ存在する。
殺害の情景が簡潔に書かれてるのも当然ではある。事故はいくら描いても事故以上にはなりえない。故に、カポーティの執念の大半は、なぜペリーが”事故の様に”人を殺す事になったのか?の1点に注ぎ込まれた。
”回復するのに1年は掛かりました。今でもあの体験が私の心に影を落とさない日はない”と、カポーティが振り返るように、それ以降、目ぼしい作品を殆ど書いてはいない。
14年間の空白
「遠い声、遠い部屋」(1946)「草の堅琴」(51)「詩神の声聞こゆ」(56)「ティファニーで朝食を」(56)「冷血」(66)
これからも判る様に、主要作品の多くが「冷血」以前に書かれている。しかし沢木氏にとっては、4年前の1984年に亡くなったトルーマンカポーティは”過去の人”ではなく、”同じ時代の作家”なのだ。
そして、そんな沢木氏もカポーティの新作を息を潜めて待つ数少ない作家の1人でもあった。それは、カポーティが「遠い声、遠い部屋」や「ティファニーで朝食を」の作家ではなく、「冷血」の作家であったからだ。
因みに私の場合、「冷血」を読む前に、「真夏の航海」と「叶えられた祈り」を読んでいた。それ以上に、FSフィッツジェラルドの「夜はやさし」(1934)やWフォークナーの「サンクチュアリ」(1931)を読んでたのが幸運だったと思う。お陰で、何の誤解も不足もなく、「冷血」を堪能できた気がする。
私的に言えば、真っ当な小説家のカポーティならば、フィッツジェラルドとフォークナーの中間に位置する様に思える。故に、「ティファニーで朝食を」なんて、生ぬるくて読めそうにもない。
「冷血」から14年後の1980年に、「カメレオンのための音楽」が出版された。
しかし待望の新作ではなかった。1つの中編と13の短編からなる作品集だったが、特に「冷血」以降の14年に及ぶ試行錯誤を驚くほどの率直さで描いている。
僅か8歳の時に小説を書き始め、子供が毎日4、5時間もバイオリンの稽古に夢中になるように、カポーティも紙とペンの修行を独学で続けたのだ。
有名な雑誌社に短編小説を送り続け、17歳の頃には”れっきとした作家”になっていた。19歳でOヘンリー賞を受け、24歳の時に初の長編「遠い声、遠い部屋」を出版する。
「ティファニーで朝食を」の後、ジャーナリズムに接近し、「詩神の声聞こゆ」を経て「冷血」に至り、名声は頂点を極めた。しかし、カポーティは「叶えられた祈り」で、更なる冒険をしようとした。
「冷血」から「叶えられた祈り」へ
今まで、”私”をひた隠しにしてきた彼が今度はその”私”を全面に押し出し、「冷血」とは全く異なる異質のノンフィクションを書こうと試みた。しかし、4章分が「エクスファイア」に発表されただけで、ついに途絶えてしまう。
”世間の反応とは何ら関係ない。私は滅茶苦茶苦しんだ末に中止した”
沢木氏は、この挫折に至るまでのカポーティのプロセスが自分と非常によく似てると振り返る。
実は沢木氏も、”私”の導く物語を多く書きながら、一度は”私”を排除しようと試み、一転して”私”を露出させ、その”私”を通して世界を描こうとした挙げ句、”私”に自己中毒を起こしてしまう。
異国で同じ様な壁にぶつかり、あがいてる人がいるとの発見は、沢木氏を大いに興奮させた。
沢木氏の”可能な限りの猥雑さを許容するスタイル”という認識と照応するかの様に、カポーティにおいては”知ってる限り全ての著述形式を含みうる枠組みを発見する”とされていた。
確かに、「カメレオンのための音楽」には、彼が生み出したその新しい枠組みに近いものがあった。
特に、その中でも連続殺人を扱った「手掘りの柩(ひつぎ)」には、散文とシナリオが交差しながら進展するこの作品には、「冷血」以上のリアリティと鮮やかさに満ちてはいる。
しかし、現実が映画の様なエンドマークで終わる筈もなく、この物語も最後には何一つ決着はつかず。まるで現実という一大壁画の任意に切り取った一部分であるかの様な強かな質感がある。
但し、沢木氏はここにおいても、”未完”という印象を持つに至った。「手掘りの柩」におけるカポーティ自信と登場人物との対話を中心に展開させる新しい手法が未だに”未完”なのだ。
”全ての著述形式を含みうる枠組み”というカポーティの野心に比べれば、この新たな挑戦も貧しすぎると思えた。
しかしこれこそが、中絶と再開を繰り返していた「叶えられた祈り」を描く為の過渡的な方法だとしたら?
つまり沢木氏は、「叶えられた祈り」に未だ熱い期待を持って、カポーティの復活を待っていたのだ。
沢木氏の熱い気持ちは空しさに終わった。幻の新作は幻のまま、カポーティは突然死んでしまったのだ。
しばらくして、「叶えられた祈り」がアメリカで出版された。勿論それが、”夢の残骸”であるのは明らかだった。
沢木氏は敢えて目を通した。
しかし、そこにあったのは、強い衝撃に満ちた無残さだった。存在するのは無数の断片だけで、その断片すらも有機質な繋がりを持たず孤立したままだ。夢の残骸とはそういう事である。
しかし、どうも”私”という生き物に食傷気味になる。”アンタの話って誰も聞きたくないんだよ”って声が聞こえてくる。
だから大手を振って、自分の事を書けないのだ。自分の事を書けば、アクセ数や応援がそこそこ集中するのも解ってはいるつもりだ。でもそれが出来ないのだ。
実はこれに近い事が、晩年のカポーティを苦しめる事になるのだが・・・
長くなったので、今日はここまでです。次回の後半では、「叶えられた祈り」以降の悪戯に挫折するカポーティについて、紹介したいと思います。
何かどこか似てるって。
カポーティは何を書くかということよりも、いかに書くかを重視したんだよね。
転んだ君が数学に拘るのは、ブログを数学的手法で書きたいからだと俺には思えるんだ。まるで数学の問題を解くように記事を書く。
カポーティが題材(ネタ)よりも方法(手法)に拘ったのも何だか似てるような気がする。
コメント引用してくれて有難う。
ここら辺のレベルになると、ついていけないですね。
私も”苦い報酬”と聞いてピンときたんですね。これを絶対に書くべきだって。
自分で納得の記事を書くほどに、誤解を招き、アクセスは萎む。しかしそこには”甘美な報酬”が待ってたりする。
そう、腹打てサンのコメントみたいなヤツがです。それがあるから続けられる。
これからも宜しくです。
「叶えられた祈り」もノンフィクションとも言えるが、ジャーナリズムというより批判思考的ドキュメントかもしれない。
もしかしたらカポーティは、フィクションでもノンフィクションでもない新しい何かを生み出したかったのではないだろうか。
デビュー作の「ミリアム」って大都会で生きる老婦人の孤独をイリュージョン的に描いた短編だけど
これなんか映画にぴったりだと思う
「冷血」で変に当たってしまったから
もとに戻れなくなったのね
でもモンローと踊るカポーティって、まるで子供に戻ったみたいで可愛かったな
ノンフィクションもドキュメントやジャーナリズムやルポルタージュなど数多く広がりました。でもノンフィクションと見れば何ら変わりはないんですよ。
結局、UNICORNさんの言うように、フィクションでもノンフィクションでもない、第三の小説を作りたかったんでしょうか。
そういった壮大な野心にカポーティ自身が潰されたとしたら?これも苦い報酬と言えるんでしょうね。
言われる通り、「冷血」以降は映画の脚本家で楽しく頭を冷やしてた方が、もっと有意義な小説家人生が送れたとも思いますが。
小説家の生き様って、波乱万丈を自ら好むから、一概には言えないかもですね。
カポーティとモンローのおしゃれな会話は、後半をお楽しみです。