
昨日の”前半”では、「冷血」(1966)と「カメレオンの音楽」(1980)までの、カポーティの生き様と空白と苦難を、沢木耕太郎さんの解説を交え長々と描きました。
そして今日は、未完に終わる「叶えられた祈り」以降の、悪戯に挫折するカポーティについて紹介したいと思います。
因みに、「カメレオンの音楽」からカポーティが心臓発作で急死するまでの最後の4年間は、彼の”新たなる野心”に対する無謀で悪戯な挑戦でもありました。
カポーティをそこまで追い詰めた、その悪戯な野望とは?
カポーティの野心の真相
沢木耕太郎氏は、なぜ長い戦いの果てに「叶えられた祈り」がここにまで無残な姿に成り果てたのか?を、カポーティの時代を逆行する事で知ろうとした。
もしかしたら?カポーティという作家を誤解してたのかもしれない。
カポーティの作品の流れは、「ミリアム」(1943)に始まり「遠い声、遠い部屋」(48)を経て「ティファニーで朝食を」(58)に至る純粋な虚構の流れと、「詩神の声聞こゆ」(56)を契機とし「冷血」(66)を生み出し「カメレオンのための音楽」(80)に連なる事実を基礎とするジャーナリズムに接近した2つの流れがある。
カポーティにとって最も重要な事は”何を”書くではなく、”如何に”書くかであった。
たった独りで、紙と鉛筆だけで小説を書くという修行を続けてきた少年は、その技術を練磨する事に無上の喜びを覚えていた。職業的小説家になっても唯一の関心事は、”何を”ではなく”如何に”上手く書けたかにあった。
つまりカポーティは、”如何に”という世界(野心)に執着し続けたのだ。
事実カポーティは、”作品の内容よりかは、スタイルこそが芸術家の感受性の鏡だと思う”と述べている(「パリス・レヴュー」1956)。
彼が言う”スタイル”とは、”文体”というより”方法”に重きを置く事だが、カポーティが執着したのは方法という意識の排除ではなく、”如何に”書くか?というスタイルだった。
三島由紀夫はカポーティと実際に会ってるが、その三島は”視覚は精密であらゆる物象が歪曲されながらも、奇妙に正確な印象を与える”と、カポーティの特質を(肯定と否定が混在する奇妙な書評の中で)鋭敏に述べている。
その三島もカポーティと同じく、出発点においては、”如何に”書くかを動力として書き続けたが、やがて”書くべきもの”を強引に見つける事で”如何に”という世界に距離をおいた。
しかしカポーティは、一貫して”如何に”に執着し続けた。
カポーティの不運
だとすれば、内容によりカポーティの作品を2つの流れに分けるのは無意味になる。
つまり彼の作品は、全てが1つの野心によって書き続けられたもので、それこそがスタイル(方法)への野心であった筈だ。
事実、カポーティは「夜の樹」から「ティファニーで朝食を」まで、自らの記憶を自ら習得したスタイルの中に組み入れる事で様々な小説を書いた。この方法で一応の完成を見た後、彼の新しいスタイルへの欲求は抑え難いものになる。
そこで、カポーティには進むべき道が2つあった。1つは有名人になった自分を素材にする事と、もう1つは自分の全く外から素材を手に入れる事。
事実、彼はこう述べている。
”僕はこれまで楽な事ばかり書いてきた。何か他の事を、十分に抑えを利かした贅沢な仕事をしてみたい”(「パリス・レヴュー」1956)
”実は「ティファニーで朝食を」の完成の直後の事だが、ある野心的な長編を書く為に構想を練り始めていました。「報われた祈り」というタイトルです”(「自画像」)
つまり、この時点でのカポーティには、どちらにも進む可能性があったのだ。素材を自分の近くから集めようが、外部から集めようが、重要な事は、それらを組み込むスタイルを発見する事である。
結局、外部に素材を求める事になったのは、1つの偶然に過ぎなかった。つまり、「冷血」という長編傑作になりうるには、幾つもの偶然の連鎖が必要だったのだ。
大量殺人事件が起きたという偶然、犯人へのインタビューが許されるという偶然、その犯人の1人がペリーのような人物だったという偶然。
このうち1つが欠けてたとしても、「冷血」は「冷血」たり得なかった。
もし、この外部から手に入れた素材だけで小説を書くという試みが挫折してたなら、自らを素材とした小説を書いてた筈だ。
つまり、その順序が逆になった事こそが、カポーティの不運だったのかも知れない。
ニュージャーナリズムと「冷血」
沢木氏は、「冷血」こそがニュージャーナリズムが志向する傑作と認めながらも、ニュージャーナリズムに分類しなかった理由もそこにある。
それは、カポーティはたまたま事実だけによる小説を書いたに過ぎなかったからだ。
「冷血」以降の彼は、もう1つの「冷血」を書く事は出来なくなっていた。もし彼の意図がペリーを書く事にあったのなら、もう1人のペリーを描く事は出来た。
しかし彼にとって重要なのは、”何を”書くではなく、スタイルであり、方法であった。つまり、その時点で残されたのは”自分自身”しかいなかった。
”名声は私の人生を完璧に変えてしまった”のなら、自分を素材にすればいい。だがそれは、容易に見い出し得ないスタイルのシジフォス(苦行)でもあった。
「叶えられた祈り」が、孤立した事実らしき断片による力ない物語になったのは、事実の壁いや毒に当ってしまったからだ。
小説家は、事実という堅牢さの前に立ちすくむ事がある。自由に改変できた自分の過去や記憶が、半ば公的な事実となる事で手を加えられなくなるのだ。
「冷血」の場合、その事実は外部から手に入れたものだが、カポーティが”在らしめる”事で存在しうる事実でもあった。
この”在らしめる”徹底した努力こそが、「冷血」を作り上げたのだ。
しかし、「叶えられた祈り」の登場人物の多くは有名人であり、カポーティ自身が熟知してる人物だ。故に、”在らしめる”努力が疎かになる。難しい事に、人物にまつわる出来事は直截には記せない。
結局、事実に引きずられ、事実らしき断片の、収支のつかない羅列に終わってしまう。
悪戯を重ねた挙げ句、「叶えられた祈り」を一時中断し、「カメレオンのための音楽」に向かった道筋は理解できるが、それは単に迂回に過ぎなかった。
つまり「叶えられた祈り」では、周辺から集めた事実を全く新しいスタイルの中に取り込もうとしたが、そのスタイルがブレてる為、事実は単なる断片以上のものにはなり得ない。
しかし、その断片も1つ1つ取り出してみれば、魅力的な原石ではある。物語の枠組と切り離し研磨すれば、美しい宝石になり得た筈だ。
事実、マリリン・モンローを描いた「うつくしい子供」では、カポーティとモンローがNYの街を散歩し、酒を呑むシーンが描かれてる。
甘美な報酬から苦い報酬へ
”あたしがどんな女か?マリリンモンローが本当はどんな女か?そう人に訊かれたら?
ねえ、なんて答えるつもりなの?って聞いたのを覚えてる?
どうせあたしはトンマだって言うんでしょうね・・・”
(彼女の口調はからかう様であったが、真剣味があった・・・)
”当然ね。だけど、それに加えて・・・
(辺りは暗くなってきた・・・私は大きな声を出して彼女を呼び戻したかった。マリリン!ねえマリリン、何もかもが決まった様に消えてなくなるのだろうか?人生ってなんでこんなに忌々しく、下らないことだろうかと)
それに、えーとね”
”聞こえないわよ”
”えーとね、君はうつくしい子供だよとね”
この情景は、どの様なスタイルで描かれようと、心に染み入るものになるであろう事は容易に想像できる。
何故なら、単なる小説好きの少年だったカポーティが、スキャンダラスな小説家になる事で、人生を担保にして手に入れた宝石の1つだったからだ。
お陰で、自分を素材にしつつ全く新しいスタイルで書くという事は絶望に近かった。そして、再開と中断を繰り返し、未完成のままカポーティは死んだ。
しかし、リアリティの感じられない「叶えられた祈り」の中で、僅かにこちらの胸に届くものがある。それは、P・Bという主人公が最後に発する自嘲の呟きである。
”ここでやめる。お前は負け犬だ。愚かな酔っぱらいの負け犬だ”
この言葉は物語の力によるものではなく、カポーティ自身のそう長くはない、耐えきれずに崩れ落ちる寸前の、吐息のような呟きであるからだ。
誰にでも理解できる呟きだが、この事はスタイルの力を信じたカポーティにとっては、屈辱以外のものではなかったに違いない。
しかし、「うつくしい子供」の美しさが小説家として書き続けてきた彼への”甘美な報酬”だったとしたら、「叶えられた祈り」のその無残さは、”何を”ではなく”如何に”という事に野心を燃やし続けてきたカポーティへの、”苦い報酬”だったのかも知れない。
最後に〜もう1つの「冷血」
長々と、2話に渡り、沢木耕太郎さんの”カポーティ評”を紹介しましたが。
”批判的思考は誰が為に”のコメントに寄せられた腹打てサンの、”苦い報酬”という言葉がなかったら、ここまで長々としつこく紹介する事はなかったと思う。
沢木耕太郎氏の批判思考的ルポルタージュは、私の一番のお気に入りだ。沢木氏は、自他共々のタブーやパラドクスを織り交ぜながら、色んな著名人を深く詳細に表から裏側から分析する。
自分が書いてる事に疑問や矛盾を感じながらも、鋭い洞察と観察眼で鋭く深く切れ込んでいく。まるで、出口がある筈もない深い洞窟に迷い込んだカポーティの様に。
何を書くかというより、どんなスタイル(方法)で描くか。カポーティとは、そういう事が出来る、世界でも稀に見る数少ない作家なのかも知れない。
フィクションでもノンフィクションでもない新しい何かを背負いながら、カポーティは自分を悪戯に追い詰めた。
もし、もう1つの「冷血」こそが、カポーティ自身を題材としたノンフィクションだとしたら?いや、もう1人のペリー・スミスがカポーティ自身だったとしたら?
そういう事を毎日の様に思い浮かべながら、酒やドラッグに溺れ、まるで死刑台に向かうように死に至ったのだろうか。
「冷血」という自ら生み出した傑作こそが、カポーティに新たな野心を産み落とした怪物であり、彼を最後まで苦しめ続けた化け物だったとしたら?
つまり、「冷血」という傑作との偶然の遭遇がカポーティを呪い続けたとすれば、これほど怖い運命もないよな。
さすがの転んだ君も、最後は”叶えられないブログ”っぽくなってしまったか。
カポーティという作家を知るほどに、その野心がどんなものであったか?頂点に立つというのがどんなに自分を追い詰めるのか?
カポーティにしかわからない事ですよね。
今回は色々とお世話になりました。これからも宜しくです。
でも晩年は汚い女になって死んでいくんだけど
同じようにカポーティも最後はボロボロだったのかな
二人が踊ってた頃で時計が止まってたらって思うのは私だけ?
カポーティにはもっと楽で優雅な生き方が出来たはずですが、欲と野心に駆られたのかな。
でも、純粋すぎたんだよ、きっと。
カポーティ(トルーマン・パーソンズ)が生まれるとすぐに両親は離婚し、父の祖母の親戚を転々とする。しかしそこには後のピュリッツァー賞作家のハーパーリーがいた。その影響もあってか、早熟のカポーティはすでに文章を読み解く才に恵まれます。特にスピーチは多弁で真実を真実以上に語るのが得意でした。
彼のその明晰さは生涯多くの人を惹きつけましたが、異性に対し性的欲望を持てないことは多くの障害を生みました。
その後、母リリーはNYの富豪ホセ・カポーティと結婚し、9歳の子供はトルーマン・カポーティとなる。「ティファニーで朝食を」のホリーのモデルは母リリーである。実は彼は、ヘップバーンでなくモンローを起用したがってました。
早熟すぎた同性愛者のカポーティはNYの富裕層の街で一人孤独と戦います。母に自分を拒否された事で学校をやめ、NewYorkerの助手となる。19歳で書いた「ミリアム」は文学界に衝撃を与え、米史上初の同性愛小説とされる「遠い声遠い部屋」は、カポーティを時代の寵児と持ち上げ、NYの社交界に深く食い込んだ。それは母ですら到達できなかった場所であった。
ここまで書けば、カポーティが孤独と同性愛と社交場を言ったり来たりしてたのがわかる。
そんなカポーティが「冷血」で作家人生が大きく転覆したのも、当然とは言えやしないだろうか。
お陰で、カポーティの闇に一歩踏み込めたような気がします。
このコメントだけでもブログになりうるレベルですね。これもブログとして紹介したいと思います(予定)。
色々と教えてくださって、有り難いです。
カポーティも「冷血」という傑作という事件に巻き込まれ、晩年は苦悩の人生を送ります。
しかし、”清潔なまでに事実そのもの”と芸術作品であるがごとく評価されると、カポーティは「叶えられた祈り」でも、観察した全てを抽出しようとしました。でもそこには「冷血」で披露した”現実を小説的な技法を用いて”ではなく、現実そのままを書いてしまいました。
これには、いかにカポーティが行き詰まってかを察することが出来ますね。
「叶えられた祈り」でも観察した全てを小説的手法で描こうとしたんですが、これも偶然の事件とみなせば、理解できなくもないです。
さすがの天才カポーティの、孤独と同性愛とマンネリ化したセレブ社会には既にウンザリだったかもですね。