NHKBSのある番組を見てたら、料理研究家の土井善晴氏が”日本人の食は一汁一菜で十分だ”と語っておられた。
一汁一菜(いちじゅういっさい)とは、主食(白米や玄米)に、汁もの(味噌汁等)一品と、菜(おかず、惣菜)一品を添えた日本古来の献立を指す。更に、香の物(漬物)を添える事もある(広辞苑)。
私が慢性の便秘なのは、食事やストレスや先天的な要因に負うのが大きい気がしてたが、どうも”食い過ぎにある”のではと、薄々思うようになっていた。
しかし、今の私は1日2食である。その2食といっても、夕飯を朝夕の2度に分けてるだけである。
メニューは、ご飯(または麺)に玉ねぎスープとおかず(肉と野菜)に大根おろしというシンプルな献立である。
但し、粗食という程でもないが、晩酌をするので食事のバランスには十分に気をつけてるつもりではある。
それでも、食った後にお腹が張る事が多い。食後の豆乳ヨーグルトのお陰で何とか胃腸の調子を保ってはいるが・・・
1日2食の私は、粗食を忠実に実行してると思いこんでいた。しかし、どうも食い過ぎらしい。排出する便の量よりも食事の方が多いように思えるからだ。
そこで試しに、食事の量を少し減らしてみた。汁は減らせないが、主食とおかずを2割ほど減らしてみた。すると、当り前だが(笑)腹が張らないではないか。
つまり今の私は、1日2食でも多すぎるという事か?
粗食のススメ
一汁一菜とは元々は、おかずが一品しかない”質素な食事(粗食)”の意味で用いらてたが、食の欧米化や食べすぎや肥満・生活習慣病といた飽食が、日本人の健康を害するとの事実が明らかになった近年では、むしろ健康に良いものとされ、着目されるようになった。
ややこしいカロリー計算などしなくても食べ過ぎを防止でき、かつて”一汁一菜”を守ってた日本人には、肥満や高脂血症などは無縁だった。
医療費の増大に困ってたアメリカは、マクガバンレポートで、”肉・乳製品・卵などの動物性食品を減らし、穀物や野菜・果物を多く摂る”様にと勧告、玄米を主食にしてた元禄時代以前の日本の食事を理想的な食事とした。
事実、栄養学から見れば理想的だが、最近の日本人は忙しく、一汁三菜を通り越し、副食・主食・スープが全て合体化した”ワンディッシュ化”が懸念される。
歴史的に見れば、鎌倉時代に禅寺で採られてた、質素倹約を重視した食事の形式を指す言葉であり、おかずも野菜を用いた極めて質素なものだった。この食事形式が一般に広まり、日本の伝統的な日常の食事として定着する。
但し庶民にとっては、一汁一菜も日常の食事としては贅沢なもので、通常は”おかず無し”のご飯・汁・漬け物のみが多かったという。
しかし当時は、ご飯と言えば、玄米や雑穀だったので、十分なカロリーとタンパク質は得られていた。
因みに、江戸時代には上杉鷹山や池田光政が人々に倹約の為に、食事を一汁一菜にする様に命じた事がある。二宮尊徳も奉公先の小田原藩家老服部家を立て直すにあたり、おかずを禁止した。
以上、ウィキから一部抜粋でした。
倹約のススメ
CO2削減も地球温暖化も倹約を推し進める事で、ある程度は抑え込む事が出来るのではないか。
日常の食事を粗食に切り替えれば、肥満も成人病も食糧危機もまとめて解決出来る。
高価なサプリメントも厄介な薬も、偉そうな医者の歪な説教も要らない。それに、財布に優しいではないか。
日本人はいつから欧米風の食の贅沢に慣れてしまったのか?いつから倹約を毛嫌いするようになったのか?
昨今の日本は超のつく健康ブームである。身体にいいとされれば、銀ハエみたいに何にでも群がるし、ダイエット関連の本は飛ぶ様に売れる。
デドックス(解毒)も最近は大きなブームだが、普段から一汁一菜にしておけば、無理をして断食する必要もない。
つまり一汁一菜は、CO2削減も地球温暖化も病気も食糧危機も全てを解決してくれる食習慣なのだ。その上、ダイエットやデドックスにもなる。
一汁一菜にすれば、外食や会食も激減し、新型コロナ対策にもなる。免疫も強くなり、薬もワクチンも大半は要らなく?なる。
しかし、近くのスーパーに行けば、眩い程の色んな食材が溢れている。まるで、売春小屋の雛壇を眺めてるみたいだ。身体に悪いと解ってても、つい手が伸びてしまう。
結局は、食欲も性欲も強欲も全く同じ次元のものである。解っててもやめられない。
そういう事を頭の中で理解してるのに、友達や仕事のつきあいで焼き肉やお寿司などのご馳走を大枚を払って食べに行き、”久しぶりに旨い物を食った”と、膨らんだお腹を自慢する。
最後に〜バカは飢えても治らない
「一汁一菜でよいという提案」の中で土井善晴氏は、”料理に下手や上手はない。一生懸命に生活する事こそが純粋で、最も美しく尊い事”だと語る。
しかし、食は必ず強欲に結びつき、やがて飽食と結びつく。その瞬間、粗食という意識はどっかへ吹っ飛んでしまう。
その土井氏だって高級料亭を紹介する番組では、”美味しくない筈がない”と美食を褒め称え続ける。
そういう事が解りきってるのに、我々は高級レトルトやプレミアムな惣菜、割高スタバやコンビニ限定スイーツに決まった様に群がる。
その上、それら”飽食の肥溜め”をわざわざSNSやブログで拡散する。バツが悪い事に、そんな記事ほどフォロワーは群がり、イイねや役に立ったの山である。
”バカは飢えても治らない”とは、今の飽食の時代の人類に贈る言葉である。
人類はこのまま飽食の時代に突き進み、決まった様に自死するのだろうか?
まるで、飽和しすぎた近代オリンピックが死滅するかのように・・・
江戸時代って、現代人が思う以上に裕福だったんですね。握り寿司も江戸時代後期でしたか・・・
鎖国が贅沢に繋がるというのも皮肉なもので、他国の文化を取り入れる事だけが贅沢というものでもないんですよね。
でも江戸の優雅な贅沢って現代人には羨ましい限りです。
ムラ社会では、食はお祭りなんですよ。
そして、外食は大舞台でのステージショー。
私も本音を言えば、毎晩のようにバーで呑みまくり、キャバクラで触りまくりと行きたいんですが・・・
気持ち痛いほど解ります。
ところで、日本人が食に贅沢を求めるようになったのは江戸時代後期からです。江戸幕府ができたためなのか、平和を享受するために食に贅沢を求める風潮が生まれて倹約を忘れるようになったのは悲しいことです。
今更元には戻せませぬ(・・;
日本人は外食に娯楽とパフォーマンスを求めています。
日本人にとって食とは一種のお祭り的な舞台装置なんです。
一日一度のささやかなお祭り。
一日二食&一汁三菜は転んださんに任せて
私は飽食の海にドップリと浸かり、CO2をたっぷりと排出し、世界の食文化を堪能します(^^♪