前回”その2”では、チャーチルの生涯(第1話)を述べましたが、彼は憎悪とコンプレックスの塊だったんですね。親父と同様、”失脚の遺伝子”を受け継いだ憐れな化け物と言ったら言い過ぎか。
だから自らの能力や資質に疑いを持つ事なく、なりふり構わず暴走した。軍人としても政治家としても資質に欠ける”失脚のDNA”を引き継ぐチャーチルにとって、戦わずして負ける事は絶対に許されなかった。
故に、ナチスドイツとの戦いはチャーチルに残された唯一の逃げ道でした。彼が抱いてたコンプレックスとは、所詮そんなものなのか。
そういう意味では、ヒトラーよりもずっと無能で横暴で哀しい生き物と言えるかもです。
チャーチル批判の縮図
それと、チューブ・アロイズ計画が公開(2012)された2年後には、「不必要だった二つの大戦」の出版で、アメリカはチャーチルを暗に非難した。
”原爆を落としたのは俺たちのせいじゃない、チャーチルがトルーマンをケシカケなかったら、ヒロシマ・ナガサキは避けられた”って、声が聞こえてきそうです。
後でも述べますが、チューブ・アロイズ計画の米英の合意書は、アメリカが即席で作ったものです。極論を言えば、原爆投下の全責任をチャーチルに押し付けるかの様な協約です。というのも、原爆の開発と投下の為に、チャーチルはその機密をアメリカに売ったのは、紛れもない事実だったからです。
お陰でチャーチルは、諸悪の根源の如く世界中から叩かれます。その上、EU離脱か否かでヨーロッパで孤立しつつある英国は、その巻き返し策として、その3年後に映画「チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」(2017)を公開した。
そして今年(2019)、再びそれを覆すかの様に、NHKBSで「暗号名チューブ・アロイズ~原爆投下〜チャーチルの戦略」を流した。
”ザマ見ろっげチャーチル、日本をコケにしたツケは必ず払わせるぞ”って、NHKスタッフの叫びが聞こえそうで。
結局、チャーチルと英国は、アメリカに叩かれ、ヨーロッパに叩かれ、日本が駄目を押した結果と考えると見事に辻褄が合う。
中国にとって台湾の独立が、米中戦争の火種となる様に、英国にとって北アイルランドの独立がEUの中での孤立を生むカギとなるんでしょうか。
つまり今の英国は、北朝鮮や韓国、イランと共に、アメリカから見ても世界から見ても、最悪ですが”ならず者国家”に成り下がる運命にあるのか。
ヒトラーとチャーチル
コンプレックスの塊であるチャーチルは”もう一人のヒトラー”であった。チャーチルはヒトラーが無名の時から、彼の迫力ある甲高い声の演説を聞いて、只者でないと気がついていました。
第一次大戦後の1924年、ミュンヘン一揆での投獄から釈放されたヒトラーは、再び政治運動を起こす。チャーチルは何度も英国議会でヒトラーとナチスの危険性を訴えるが、誰も相手にしません。
そしてチャーチルが警戒してた通り、ナチスはあっという間に勢力を拡大し、その9年後にヒトラーは政権を獲得します。
その後のヒトラーの侵略行為に憤慨したチャーチルは、議会でドイツとの戦争を訴えるも、第一次大戦の惨禍に懲りていた国民とナチスとの宥和政策をとってたチェンバレン首相はそれを許さない。
つまり、ヒトラーの目論見がチャーチルには手に取るように解ってたんです。そういう意味ではチャーチルもヒトラーも同類でした。
しかし結果的には、ヒトラーの陰謀にチャーチルはまんまと引っかかる訳ですが。アメリカの参戦がなかったら、チャーチルこそが永久(A級)戦犯になり、処刑されてたでしょうか。まさに”失脚のDNA”は嘘をつかない。
結果、ヒトラーはヨーロッパの英雄として、傲慢チキな大英帝国を駆逐したアイドルとして、今頃は天国で温々としてるでしょうか。
事実、ヒトラーはナチスを復活させ、僅か6年でインフレを収束させ、失業問題を改善する。これは天と地が入れ替わっても、チャーチルには出来っこない芸当です。
政治屋としても演説屋としても戦争屋としても、ヒトラーがチャーチルよりも上だったのは明らかです。
しかし、歴史は動いた。”エントロピーの法則”ではないですが、”生き物は秩序のある方向から秩序のない方向へ動く”
つまりヒトラーは、世界を秩序のない方向に向わせようとしたが、皮肉にも世界は逆方向に動いた。
もし、歴史が止まったままだったら、前述した様に、ヒトラーは英雄でチャーチルは糞だったでしょう。アメリカは参戦せず傍観し、大英帝国は完全に孤立し、チャーチルと共に死滅したでしょうか。
しかし歴史は逆転し、お陰でチャーチルは失脚を免れた。戦争と不名誉で、後者を選択したチェンバレンは、不運にもヒトラー侵攻の責任をなすりつけられ失脚し、チャーチルは首相となる。
つまり、64歳の老いた”ライオン”に残された選択肢はナチスとの戦争だけだったんです。対独強硬を貫き、屈しなかったのではなく、それしか進む道がなかったのだ。
”神から授かった力でドイツと戦うのです。この長く苦しい戦いに勝利するのです”この名演説は、英国民の深く沈んた勇気を一度は奮い立たせるんですが。
しかし、醜く太った老雄は、この戦いにおける不幸を予見し、奮い立つ国民とは逆に、暗く深くその心は沈んでいた。
戦争屋としてのチャーチル
”その2”の続きに話を戻します。チャーチルの生涯の第2話です。
海軍増強を強く叫ぶチャーチルは、軍事費拡大に慎重な急進派の雄ロイド・ジョージと対立を深め、窮地に追い込まれるが、ここでもアスキス首相に救われる。
”英国にとって海軍は必需品だが、ドイツにとって海軍は贅沢品だ”とは有名な演説だ。
1914年6月の”サラエボ事件”を機に、ドイツ対ロシア、フランスとの第一次世界大戦が勃発。チャーチルにとっては待ちに待った戦争の到来だったが。露仏と軍事協定を結んでない英国は参戦の義務はない。
しかし、ヒトラーがロシアに宣戦布告した8月には、チャーチルは独断で海軍動員例を出す。お陰で議会は真っ二つに割れるが、ナチスのベルギー侵攻計画がリークし、アスキス内閣も対独参戦に傾く。
ヒトラーのお陰で3度もチャーチルは失脚を免れた。ここでもヒトラー様様です。
”全てが破滅と崩壊に向かっているが。私は興味津津で、調子がよく幸せです。恐ろしい事かもしれないが、戦争の準備は私には魅力的です”との言葉に、チャーチルの”悪の遺伝子”がにじみ出てます。
第一次大戦時には軍需大臣としても戦争を指導したチャーチルだが、強運もココマデ。
10月のベルギーのアントワープ防衛では、何の戦果もあげられず、アントワープ陥落の4日前に英国へ逃げ戻る始末。全くこれじゃ、牟田口中将と同じですね(”インパールの悲劇”参照)。
自らの大失策を、ドイツ人の血を引く第一海軍卿ルイス王子になすりつけ、辞職させたチャーチルだが。カリポリの戦い(1914)では、提督の意見に耳を貸さず、無断で上陸作戦を強行し、独側で参戦してたトルコ軍の反撃をモロに受け、大損害を被る。
チャーチル自らが後任に指名した第一海軍卿で戦友フィッシャーも、チャーチルの失策を批判した。”あの海相は我々を破滅に導く。あの男はドイツ人より危険だ”
この2つの大失策で辞任に追い込まれたチャーチルも鬱になった。僅か42歳で”過去の人”と呼ばれてしまう。
”私が望んでいた事は完全に失われたのだ。それは戦争を遂行し、ドイツを負かす事だったのに”の捨て台詞も虚しく響きます。
チャーチルの奇怪で愉快な生涯
漫画みたいな失脚続きのチャーチルの生涯は書いてる私にも非常に興味深く、逆に愉快にも思えてきます。
演説屋としてはいい線行ってるかもですが、軍人として戦争屋としては最悪ですが。第一次大戦だけでこれだけの失策をすれば、二度と這い上がれないのですが・・・
次回”その4”では、第一次世界大戦後のチャーチルの”空白の10年”に至る経緯を述べたいと思います。非常にゆっくりとした展開になりましたが、それだけチャーチルはユニークな人物と言えるでしょうか。
劣等感は人を奮い立たせる武器になりますね。
私事ですが、私も劣等感の塊です。
新しくなってやり難くなりましたね。画像選択とか余計で、脱退する人多くなるでしょうに。
因みにチャーチルという人、私も殆ど知らなかった。日本を世界大戦に巻き込んだ張本人という位しか知りませんでしたが。もっともっと酷い事してる人なんですね。ヒトラーよりもずっと悪いですかね。
コンプレックスと悪の遺伝子が結びついてできた化け物と行った感じです。
甲高い声と低い声。迫力とユーモア。
政治家としても独裁者としてもヒットラーが上ですが、詐欺師的で巧みな演説ではチャーチルが上回ってました。
ヒットラーは英国とは戦争したくなかっただけに、微妙な所がありますが。
結構疲れる作業ですが、暇潰しには丁度いいし、自分のブログを見直すいい機会でもあります。
チャーチルブログは全9話ですが、てんこ盛りに詰め込んで書いたものですね、我ながらアッパレです。
それ以上にそれを読んでくれコメントを送ってこられるpaulさんにはもっとアッパレです。
これからも宜しくお願いです。