昨日、"リーマン"と"マクドナルド"のバックナンバーを読んで下さった方有難うです。今日も息抜きで映画の話題です。最近は映画ばっか見てる感じで、脳みそがユルユルになりそうです。
「ホースソルジャー(2018)」を見た。ド派手なハリウッド流の、典型の戦争アクションと見下してたから、殆ど期待はしてなかった。
それに、主演がクリス・ヘムズワースだったから余計に見下してた。嫌いな俳優じゃないが、”アベンジャーズ”のイメージが強すぎて、作品のイメージが薄っぺらに感じた。
結論から言えば、全くの掘り出し物であった。”9−11”に関する戦争ドキュメントは、ウンザリする程?出回ってるが。そのどれもが先行きの見えないお涙頂戴的な、曖昧模糊で抽象的な、色で言えば茶褐色&グレーの作品が多かった様に思う。
勿論この作品も、その範疇に属するかもだが、色味が全く異なる。専門誌の評価も殆どが100点中55点前後を示してる様に、陳腐なアクション活劇の域を抜け出る事はないが。
航空支援の空爆のシーンやタリバン側のロケット砲のリアルな描写は、久しぶりに心ゆくまでに私の心を躍動させてくれた。
ただ、触れ込みの”5万のタリバン軍に僅か12人で、それも馬に乗って戦ったアメリカ特殊部隊”というメッセージは、半分は間違ってる。
実際には、圧倒的な爆撃力を誇る圧巻の航空支援と、数量ではタリバンに大きく劣るが、ドスタム将軍率いる地元の北部同盟軍を、僅か12人のアメリカ特殊部隊が支援する形で、タリバン軍と対峙する。
正確には、タリバン軍対、12人の特殊部隊と地元北部同盟軍と航空支援という事になる。
ただ、ヌッチ大尉を演じるヘムズワースの時折見せる、弱気で神妙なセリフが泣かせる。
”実地経験がなくても、この戦争は誰もが経験した事のない未知の戦いになる。経験なんて全く関係ない。必ず3週間で終わらせる。家族に誓ったんだ、もう後戻りは出来ない”
”お前は人を殺した事がない。それにお前らは単なる兵士だ、命を犠牲にして闘う戦士じゃない”とドスタム将軍が脅せば、
”人を殺した事がなくても、兵士だろうが戦士だろうが、この計画は必ずやり遂げる”と、ヌッチ大尉は際どく切り返す。
最後の最後で、北部同盟の派閥で頭を悩ませるドスタム将軍に、”アンタは戦士じゃなく単なる軍閥だ”とやり返すシーンは、この映画のイメージ同様に、私の耳には実に美しく響いた。
そうこの映画は、シンデレラ的な美し過ぎる戦争物語なのだ。
お陰で、このアップビートで希望に満ちた戦争映画では、泥沼化した”アフガニスタン”の、我々が持つ負のイメージに、美しく希望に輝く描写を混在させ、終結を迎える。
極秘作戦で行われたこの任務は、全く未知の戦場に取り残され、孤独で悲壮な状況に陥りつつも、未来を信じ続けたアメリカ特殊部隊の12の希望を、見事なまでに美しく描いた作品と評価出来るかも知れない。
文字通り、この任務の成功こそが憎きタリバンを打つ負かす”最初の一槌”となるが。それ以上の大きな輝かしいインパクトを与えてくれる。
「ハートロッカー」や「アメリカンスナイパー」のような”出口の見えない悲劇感”ではなく、”出口の見える過酷さ”を、美しく分かりやすくに描いてる。
タリバンや北部同盟が、”土”を戦争の基盤に置くのに対し、アメリカ軍は”空”を味方にする。勿論、地対空の戦いでは圧倒的に空が有利だ。この”空”こそが”出口の見えない戦い”での、アメリカ軍の唯一の希望であり、未来なのだ。
事実、精度の高い空爆のお陰で、タリバンの本拠地である北部の都市マザーリシャリーフを奪還する事に成功する。この戦いが明暗を分け、タリバン軍は失脚する。
空爆のシーンが、美しく再現されてるのは、そういった意味合いもあろうか。
映画の世界とはいっても、人が死ぬのはいい気持ちはしない。しかし、この映画は全てが不思議と美しく映った。戦争と希望や勇気というコントラストが、美しい映像で表現されていた。
たまにはこういう映画もいいかなと思った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます