象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

とってもイヤーな初夢〜真夜中の訪問者”その136”

2024年01月17日 00時32分44秒 | 真夜中の訪問者

 元旦から2週間ほど経つが、新年の初夢は奇妙な展開であった。
 夢の中で、私は殺人容疑を掛けられていた。
 私は何度も無実を主張したが、受け入れられなかった。まるで「潔白の証明」のミッキー・ハラー弁護士状態である。

 私は数学でよく使われる”対偶”の手法を試してみた。つまり、”死んだ筈の人が生きていれば私は無実(厳密には潔白)”となる。
 私は必死でその人を探した。
 そして、その人は死んではいなく、生きていた。お陰で、私の潔白が証明され、無事釈放となる筈だったが、検察側はそれを納得行く形で証明しろと迫る。
 私は半ば呆れ顔で”おいおい、殺された筈の人が生きてるんだから、それで十分じゃないか”と訴えた。
 検察側は”死んだ筈の人間が生き返るって事も十分に考えられる。それを証明しろ”と叫ぶ。
 裁判所内の陪審員らがざわめき始めた。
 ”ひょっとしたら、1度殺して生き返らせたのかもしれない”という声も飛び出した。

 私は”もし私が殺したと仮定するならば、その人の身体のどこかに致命傷となる傷跡か痕跡がある筈だ”と主張した。
 検察側は、その人をここに連れて来て、検死官に調べてもらう様に要求する。
 私は検死官と共に”その人”を訪ねた。
 検死官はその人を丸裸にし、全てを調べ上げた。あらゆる確度から写真を撮り、検察側へ提出する証拠を揃えた。
 再審では、検死官が揃えた全ての写真が陪審員らに開示された。
 結果、私の無実は証明され、検察側もおとなしく引き下がったが、私にはある事が気になっていた。
 ”生きている事と死んではいない事は、果たして同義だろうか?”
 そうこう思ってるうちに夢から冷めた。


最後に

 確かに、脳死状態や植物人間な状態は”生きてる”とは言い難い。とか言って、”100%死んでる”とも言い難い。
 医学上では少し専門的にはなるが、様々な確認の上で正式に死亡宣告がなされる。
 夢に出てきた”その人”は、快活な女性で健康そのものだった。でもそれだけで私が彼女を殺してないという理由になるのだろうか?
 何だか新年早々、奇妙な夢を見たもんだ。


追記

 「東京検死官」の中に登場する1960年6月の新安保闘争の最中に亡くなった樺美智子(享年22歳)さんだが、当初彼女の死因は機動隊員の警棒による殴打とされていた。が、警視庁の検死官である芹沢常行氏が頭蓋骨を切開して確認した所、頭蓋骨も脳も無傷できれいなものだった。
 つまり死因は殴打ではなく、大勢の人間が踏みつけた事による胸部の圧迫からの”窒息死”という結論に至る。
 単なる事故死と言えばそれまでだが、これこそが”犯人なき殺人”とも言える。

 夢の中で出てきた検死官が芹沢氏であったかはわからないが、証拠がない死体は、死体が置かれた状況とカンのみが頼りだと芹沢氏は告白する。死に急ぐ乙女の微妙な心の揺れ動きには、流石の芹沢も判断を見間違いそうになる。
 私が夢の中で見た、証拠のない女性の何一つ曇りのない美しい肉体には生への渇望が漲っていた。少なくとも、死に急ぐ女の微妙な心の揺れ動きとは無縁であった。



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