象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

数学には、世界をより良くする力がある

2024年01月18日 16時25分18秒 | 数学のお話

 映画「アルキメデスの大戦」では、主人公で”100年に1度の数学の天才”と呼ばれる櫂直(かいただし)が、制約された条件と時間の中で戦艦大和の建造費を算出する。
 そこで彼が思いついたのが、鉄の総量から建造費を算出するもので、”鉄が少ない部分は構造が複雑でパーツも多く、建造費が高く付き、鉄が多い所は構造がシンプルで安く付く”というシンプルな数学的(解析)理論である。
 流石に追い詰められた彼は、戦艦を幾つかのブロックに分け、ブロック毎に鉄の総量を計算する。これは、実際の史実に基づいたものとされる。
 今で言えば、応用数学者や数理解析学者という立場であろうが、時間と条件が制約された中で、最適解を出す所は実にアッパレである。
 そこで彼が発した言葉が”数学には世界を変える力がある”であった。
 私みたいな数学愛好家?には、実に響きの良い言葉でもある。


数学は世界をより良く導く

 戦争がどの様にして起こるのか?なぜ起こるのか?を知らなければ、つまり、戦争の本質を理解していなければ、戦争を回避する対策を練る事は出来ない。
 だが今の日本政府は、防衛費を倍増する事で台湾有事に対峙しようとしている。つまり、昔ながらの単純な”力の論理”や”アメリカ依存”しか頭にない。
 在日米軍にどれ程の国家予算を貢ぐべきか?その最適解をシュミレートしようという気は更々ない様に思える。いや、そんな数理モデルすらも存在しないだろう。
 只々、当てずっぽうに予算を決め、方方にバラ撒くだけである。いかに日本政府や官僚が数学に弱いかが思い知らされる。
 国家権力とそれを支える官僚機能は余りにも巨大で、私たち庶民の力は無力過ぎる。だが、我ら庶民が数学力(解析力)をつければ、国民の質は向上し、国力は底上げされる。更に、政治家が数学に強くなれば、汚職や不正は確実に少なくなる筈だ。いや、そう思いたい。
 言い換えれば、数学には世界をより良く導く力がある。

 一方で、大学で学ぶ数学の知識には国際基準があり、各国の目標の高さはほぼ同じだが、各国の教育目標により国民の質が決まり、それによって将来の国力も決まる。
 事実、経済産業省は「数理資本主義の時代〜数学パワーが世界を変える」という報告書をまとめた(2019年)。
 それには、”第一に数学、第二に数学、第三に数学”とある。更に”社会が数学によって形作られつつあり、数学が国富の源泉である”との数学礼賛の言葉が並ぶ。つまり、国家主導で数学を最重要視していくというものだ。
 近年、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)と呼ばれる米国の巨大IT企業が市場を席巻し、IT(情報技術)革命に完全に乗り遅れてしまった日本だが、AIや膨大なデータを使う”第4次産業革命”が進む中、日本政府や産業界はどう対抗できるのだろうか?
 数学が苦手なムラ社会の民のまま、アジアの劣等国に成り下がるのだろうか。全ては日本国民の意識次第である。

 それを裏付けるのが、アメリカの職業ランキング(2014年)だ。1位が数学者で、3位が統計学者、4位が保険数理士、8位がシステムエンジニア・・と、5年前からアメリカでは数学を学んだ人が活躍し、職業ランキングの上位を占める。
 アララー、フットボールの選手やMBA取得系の実業家じゃないんですよね。
 一方で、高校や大学で学ぶ(私が特に毛嫌いする)”代数学”の殆どは紀元前3000年からニュートンの時代までに作られた古い数学である。つまり、日本では大卒の平均的な数学の知識は300年前までのものに留まっているし、多くの大学の数学科も、こうした古い数学に拘ってると言えなくもない。
 しかし、数学はここ100年程で大きく進化し、多様化し、発展した。だから故に、現代数学には”世界を変える力がある”とも言える。
 事実、数学的な体系を理性や現代の民主主義と結んで理解する事が、今ほど大事になっている時があるだろうか。昨今の厳しい現実を見つめてると、数学的思考が勇気と覚悟をもたらす事に気づかされる。

 大学の数学科で習うレベルの非常に抽象的な現代数学が、人間の考え方や生き方や世界の在り方にまでどの様に役に立ち、影響を与えてきたのか?
 数学全体を貫く一般化・抽象化・公理体系といった基本的な概念がどの様なもので、なぜ必要なのか?を我ら日本人はまず知る必要がある。更に言えば、数学的な考え方や概念は理性的な思考体系の1つの手本であり、それを身に付け個人や社会に正しく用いれば、より良い人生を送る事が出来、社会をより良いものにできる事も理解する必要がある。
 ”数学には世界を変える力がある”とは、そういう事である。


最後に

 但し、世界を変える数学は、特殊な数学であり、その分野は限られてくる。
 時代を大きく変えたコンピュータやインターネットも、数学が生み出したものじゃなく、人類の持つ創造とアイデアが生み出したものだ。少なくとも、そうやって現代数学は大きく広く発展してきた。
 しかし、従来のムラ社会の古臭い数学では、脳トレは可能でも世の中は変わらない(多分)。つまり、我々日本人が思ってる様な(受験の)数学では世の中は変わらない。
 「笑えない数学」でも書いたが、数学と言えどピンキリある。元々数学とは、大雑把に分けて算術(数論)・代数学・幾何学・解析学・微積分学などの分野から成り立つ、数・量・図形などに関する学問である。その中でも”量”が重要であると私は考える。
 数や図形は嘘をつくが、量は嘘をつかない。もっと言えば、数や図形は誤魔化しが効くが量は騙されない。つまり、数学は”計量”を通じて、自然や宇宙の神秘を解析してきた学問でもある。故に、政治家の汚職や不正も解析できる筈だ。
 前述の櫂直も、鉄の総量という”計量”を通して、建造費を言い当てた。

 つまり、数多くある数学の分野の中で、時代や世の中を変えるに相当する数学を選択する必要があるし、それら新しい領野の実用数学を成長させる必要がある。
 その時になって初めて、”数学には世界を変える力がある”と言えるのではないだろうか。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
唯物史観 (平成エンタメ研究所)
2024-01-19 12:18:32
社会科学の分野で「数学」を持ち込んだのはマルクスですよね。
マルクスは生産力(数字)が歴史を動かすと考えました。
つまり、生産力が上がれば蓄えを持ったブルジョワが誕生し、社会にもの申すようになり、市民革命が起きて近代社会になる。

少し前に話題になった「21世紀の資本」のトマ・ピケティも数字で社会を考えています。

一方、日本の政治家たちは義理、人情、愛国心などの精神論……。
数学的な思考は皆無ですよね。
返信する
エンタメさん (象が転んだ)
2024-01-20 13:49:16
確かにですね。
生産力という数字に訴え、階級のない世界を目指したマルクスですが、行き着いた先は資本家が幅を利かす格差社会でした。
つまり、”数”の先にあるものの考察が欠けてた様に思えなくもないです。

一方で、岸田派の派閥解散が話題になってますが、派閥を”ガロア群”と捉えると、5次以上の方程式では派閥に限界が生じます。
デーブが言う様に、派閥をグループ(群)とすれば、群論の考察を使う事も不可能ではない。

数学はその名の通り、単なる数の学問から(データに重さや質をもたせる)計量、そして(数から離れた)集合や群やトポロジーなどの多種多様の広範囲で新たな現代数学へと羽ばたきました。
でも悲しいかな、日本政府は未だに古典的な数の論理に、しがみついてるんですよね。

コメントいつも有り難うです。
返信する

コメントを投稿