『女神 マリリン・モンロー』何を今更モンローですが。今日は、性の歪みに支配されたオンナの悲劇についてです。NHKでケネディ暗殺の番組があってたので、この本を思い出します。
モンローに関するこの暴露本は長すぎて、辛辣過ぎて、タイト過ぎて、でも最高ですね。英国人ジャーナリスト、アンソニー•サマーズが2年以上の歳月をかけ、600人以上の関係者から取材し、数々の新証言を得た上、これまで隠されていた警察調書、電話の通話記録等も入手。それらの新しいデータを駆使して"女神"の全貌を初めて明らかにした、とあるだけ、636頁に彼女の全てが凝縮されてる。これは、モンローを等身大に描いた壮大なるルポルタージュです。
まずは、著者に感謝。翻訳者の中田耕治にも感謝。そして、著者の執念と勇気と忍耐に脱帽ですね。著者の作家人生をかけた見事な報告書とも言えますね。イギリス人だけあり、アメリカには全く容赦ない(笑)。アメリカ人の作家だったら、ここまで書けはしなかったでしょうに。
『モンローとディマジオ』で、多少彼女の事を知ってるつもりになってた自分が甚だ恥ずかしい(悲)。彼女は、若い頃から幾度となく中絶を繰り返した。成人になった時、流産も含めた堕胎の数は、年齢の数にも準ずると言われた程(下着を付けないのも、そんな事情によるオリモノが酷かったからとも)。その後も、華麗に、そして無作為に男性遍歴を重ね、定規で測ったかの様に酒と薬物に溺れます。
自分を見失い、自殺未遂を重ねる毎に、モンローが良くも悪くも手のつけられないモンスターに変貌してしまう様が、実にダイナミックにリアルに冷酷に、そして繊細に描かれてるんですね。
モンローファンでなくても、実に深く暗く且つ、まったりと彼女と彼女の生き方に悪酔いできる(悲)一冊に仕上がってます。かなりのボリュームなので疲れはしますが、こういった重厚長大的な本格的ルポものも、コラムやエッセイそれにツィーター等に慣れ親しんだ、昨今の若い層には大いに勉強になるのではないかなです。訳した中田さんもさぞ大変だったと思いますが、それ以上に充実した何かを感じ取った筈です。
という事で、話が長くなるので今日はココマデですな。何だかアマゾンレヴューのロングバージョンっぽくて、失礼します。
彼女の性の歪みは波動となり、時空を歪め、世の男達を、そして時代をも支配したと言えますね。その性が歪む程に、その魔力は底なしになる。それは、彼女の大きな武器でもあり、致命傷でもあったのです。
ルポルタージュは、対象となる人物の本性と本質を等身大に描くから、大きな物議を醸し出す事がある。この作品もその典型で、個人的にはもっともっと評価して欲しい本です。性の残忍さを悍ましさを忠実に描いてるが故、酷ではありますが、特に若い女性に、絶対に読んで欲しい位です。
正直言うと、この本を読むのがとても辛かったのも事実。『モンローとディマジオ』を読んで、彼女の人としての偉大さと、女としての優美さ、それに神の様な慈悲に満ちた優しさを知った私にとって、モンローは女としての崇高な理想郷に映ったものです。
それだけに、この完璧無比で壮大なルポルタージュには、かなり抵抗もありましたが。この本に登場する素の等身大のモンローも、私は大好きです。
著者の2年を掛けた執念と執着は、モンローが偉大だったからというだけでなく、彼女の全てを占有したいという、男の絶大なる性の欲望のなせる技ではと。その気持、男としてとても理解できます。
しかし、哀しいかな、こういった類の本は、美しい脚色された伝記モノとは異なり、悍ましく端ない、エゲツない暴露本として、闇に中に葬られる。多分、女性の99%は拒絶するでしょう。それは、こういった本を紹介する私達にも、大きな責任があると思います。上手く伝わらないんですね、漫画やアニメみたいには。
女性からの視点で、この本を訳した『マリリン・モンローという女』がありますが、訳者の藤本ひとみさんの勇気にも、ホントに頭下がります。男でもシンドイのに、女性だったらもっともっと辛かったでしょうに。
そういう訳で、モンローのこの本に関する紹介を、暇があればボチボチとです。刺激が強過ぎたらお構いなく言って下さい。
bikoさん、顔を背けたくなるブログが続くかもですが。でも、これで私が白象さんではない事がハッキリした訳です。白象さんはこんな下衆な事、まず書かないでしょうから(笑)。
壮絶な人生だったんですね。
後世に名を残す人は齟齬糸想いますが彼女もその一人ですね。
美しい花には・・・ですね(^-^)
みんなのブログからきました。
詩を書いています。
まだ、これは前半部で、後半はもっとおぞましいです。特に、アーサーミラーと別れた辺りから、本当の悲惨さが襲って来ます。まだ男性だったら何とか読めるんですが。女性には少しキツイかな。
今、第二弾を書こうか迷ってる所です。皆、怖いもの見たさでソコソコ見てんですね。これからも宜しくです。
英国人のルポルタージュは、少し辛辣すぎるというか、そういう所が病み付きになるんですが。大体においてルポものは、重厚で密度濃いですね。
『汝の父の罪』はアマゾンレヴューで拝見したんですが、全くの予想通りだったです。モンローのケネディー家の真実というより、アメリカの真実ですね。
でも、こういった類は読んでる最中は重く感じるんですが。読み終わった後は、清々しさが残るというか。これらも宜しくです。
遺作の『荒馬と女』は、マリリンもクラーク・ゲーブルも、どこか透きとおって見えました、二人とも悲しいくらい優しくて。
ヴィヴィアン・リーがクラーク・ゲーブルを「歯も磨かない男」と貶めていましたが、ヴィヴィアンにとって口臭を感じさせない男はローレンス・オリヴィエひとりだけなので、マリリンならきっと「私だって何か食べた後なら口も臭うわよ、お互い様ね」とか言っただろうな、と思うのです。
人に恥をかかせない、そう思わせるのです、マリリンという人は。
私はでも、たった一人の男オリヴィエを思って思って気が狂れてしまったヴィヴィアンも、嫌いになんてなれません。
誰かの踏み絵に思えるのです、ヴィヴィアンも、マリリンも。
マリリンの最期については、読んでいてとてもつらかったです。ケネディ兄弟との危険な関係や、荒くれ集団のマフィアとの乱交など、マリリンは自分で自分を拷問にかけている気がしました。
何度も何度も妊娠と中絶を繰り返した、それは裏読みすれば、それだけマリリンは健康な女性だった証拠です。
丈夫な肉体だったからこそ、徹底して痛めつけるしかなかった、滅びるためには。
ライオンが自分で自分に縄をかけている、私はマリリンにそんな姿を重ねてしまうのです。
宗教学者の中沢新一が夢で見たマリリンは、陰部が縦ではなく横に割れていたそうです。
なんだかもう、人の深層心理をえぐる、女のなかの女、人間のなかの人間、それがマリリン・モンローなのでしょうか。
「お金が欲しいんじゃない。
ただ、素晴らしい女になりたいの。」
私はマリリンのこの言葉が一番好きです。
ただ素晴らしい女になりたいの”
この言葉を今のメーガン妃に言いたいですね。
実は、ヘンリー王子夫妻は400億円以上を稼いでたらしいです。全く今のセレブは昔と違って、カネが全てなんですよね。
差別もプライバシーも全てカネに替える。
確かにモンローの肉体と精神は荒んでましたが、心は天使のままでした。
カポーティがヘップバーンの代りにモンローを抜擢しようとしたのも理解できます。
しかし、天才というものは年を取る毎に自虐的になるんですよ。カポーティもそうですが、子供みたいな心を持ちながら、自らを痛めつける。
言われる様に、モンローは女の中の女ですね。それに比べれば今のセレブやメーガンも単なる化け物です。
「モンローとディマジオ」にもありますが、モンローが福岡の中洲に来た時、素人に近い地元の記者(福スポ)を、何と無断で部屋に招き入れたらしい。ちょうど彼女は独り寂しくしてたんですね。
その写真のアングルがちょても凄くて、モンローは興奮し動揺した記者の為にわざわざポーズをとってくれたそうです。お陰で彼女ーが来日した最高の写真とされてます。
今のセレブにこんな事が出来る人は1人もいません。モンローは常に弱い者の味方だったんですね。全く次元の違う偉大なセレブでした。
昔の記事にコメント有り難うです。