『全体主義の起源』の著書で有名なハンナアーレントです。
"考える事をやめる時、凡庸な悪に囚われる"というサブタイトルに、お手上げですな。全く、"考える事をやめる時、凡人は悪になる"のでしょうか。
戦争の一番厄介なものは、こういった"絶対多数の最大悪"というか。大衆の数だけ悪が蔓延り、その絶対悪に染まった大衆が戦争の犠牲になるかもです。
アイヒマンを怪物的な悪の権化ではなく、思考の欠如した凡庸な男として、叙述したハンナアーレントは一躍、悪の権化と揶揄され、批判されるが。 人類の大半は生活に追われ、貧しさと戦い、思考の欠如した凡庸な民に過ぎないであろうか。
この事は戦時下だけでなく、ごく普通の日常社会でも起こり得る事で、今の日本なんて、典型の"全体主義の起源"状態ではなかろうか。 安倍首相が扇動する、あの安直な自民党プロパガンダは、とても残酷に思えるのだが。
単一の視点からだけで物事を見ると、奇妙な非現実性が生まれる。つまり、複数の視点が存在する領域の外部にある真理は、善くも悪くも非人間的なものだ、と彼女は指摘する。
何故なら、それは突如として人間を一枚岩にまとめ、単様な一つの種族だけが地上に住むかのような事態を生じさせる恐れがあるからであると。その為には、わかり易い単調なプロパガンダこそが、最も効果的で効率的に大衆に浸透するのではないか。思考が単直化した人間にとっては、分かり易いという事が絶対なのだろう。ブログも同じ様なものだが。
その典型が、"働き方改革"とか、"一億総活躍社会"とか。これこそが全体主義のスローガンであろう。東京五輪にしても、考える事を辞めた元石原東京都知事の、凡庸で愚鈍なのプロジェクトとも言える。
トランプのアメリカファーストも、北朝鮮の敵視政策も、イスラムの聖戦も、また然り。皆で仲良く一緒に、万歳攻撃なんて、思考を止めなけりゃ出来る筈もない。
こんな風な硬い感じでスンマセン。
私のほうも、読者登録させていただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
当分は、ネタもないので、アマゾンレヴューのネタの焼き回しになりますが(笑)。
というのも、このスレも本当は白象さんのブログにコメントする予定でしたが。ま、これも何かのキッカケでしょうか。これからも宜しくです。