今日でホントに最後です。何だかお終いにするのが辛くて、総集編を3回に引き伸ばしました。ファロンのこの著書はエピローグがガチすぎて、エピソードがオモロ過ぎて、スンナリと馴染めない人も多かったでしょうが。このアンバランスが良いんですな。
ルポルタージュの様で学術的、学術的なのに冒険小説風。全くファロンマジックとも言えます。
さてと、サイコパスの典型な特徴の一つが平板な感情の動き、つまり対人関係における共感性の欠如とは、何度も述べました。
サイコパスは愛し愛されるという、私たちが多くがしている仕方で人を愛する事がない。人を思い通りに操縦しようという嘘(術)に長け、饒舌で愛嬌タップリに人を惹きつける。
彼らは人が怖れる様な事を恐れない。最も危険なものでさえ楽しく社交的だが、ある時突然、明確な距離を置き、冷淡になり、他者への関心を示さなくなる。
つまり、サイコパスは貴方を危険な遊びに誘っておきながら、怪我をしても全くの知らんぷりだ。
サイコパスチェックはスクリーニングとしては悪くないが、全20項目で各評価が2点しかないのは問題だと。ファロンとしては、5点評価にし、各項目に異なる重みを持たせる数学的モデルを採用すべきとしてる。つまり、各評価が単調で線形的過ぎるのだ。
それに加え、様々な行動の一纏りを一つの障害とみなすのも危険である。それぞれの障害には重なり合う部分が多い。誰でもが多少なりともサイコパシー的であり、ADHD(注意欠如多動性障害)等を部分的に有すると。
精神医学は、カテゴリー的把握から離れつつある。最新の精神医学は、障害に対し”次元”という言い方をする。が、医師たちが新しい何かを学ぼうとせず、保険会社が個々の診断に信頼を置く傾向にあり、明確なラベルを好む限り、カテゴリに支配された考え方から抜け出すのは困難であると、危惧する。
ファロンは、サイコパシーを芸術を見るような仕方で見てる。つまりそれを明確にする事はできないが、出会った時にサイコだと閃くのである。
では、社会的病質者(ソシオパス)とサイコパスの違いは何か?
臨床的にては両者は言葉の違いでしかない。社会学者は環境に焦点を当て、障害を社会的に変更可能な側面を強調しがちであり、故に社会的病質という用語を好む。
一方、心理士と精神科医たちは診断を下す際に、社会的因子と同じくらい遺伝的、認知的、情緒的因子を考慮するので、サイコパシーを選ぼうとする。つまり、ソシオパスもサイコパスも同類という事で。
ファロンは脳科学者なので、このパーソナリティ障害の遺伝的神経学的原因に関心を抱いており、本書にては、このサイコパスチェックの四つの側面(対人的、情動的、行動的、反社会的特性)をある程度を併せ持つ人間を示す為に、この用語を使いたいと。
つまり、サイコパスを4つの側面の”交差”で表そうと試みた。
全く数理的思考ですな。いい事ですよ、ファロン先生。
著者のファロンが脳に関心を持つ様になったのは、”Charly”(まごころを君に)という映画を見て以降だ。知的に障害を持った者が自分の人生を変えようと、学習の仕方を学ぼうとする物語。実際彼は学習し、ある新しい外科的治療を受け、一時的にせよ天才となった。
行動の生物学的&科学的基盤を予見するこの映画が、ファロンにとって職業的方向を明確にしたのだ。
ファロンの研究は、あらゆる方面の脳研究によって貫かれ、この縄張りのあらゆる流儀(幹細胞から斷眠)至るまで全てをカバーしてきた。
著者が1990年代にサイコパシーの研究を開始したのは、連続殺人犯達の脳のPETスキャンの解析を依頼されたのがキッカケであった。
彼らは法廷で有罪宣告がなされ、刑を決める審判が開始される前に、脳の損傷が発見される事で、より寛大な判決を受ける事をしばし期待し、脳スキャンを受けるのが通例となっていた。
サイコパスについては、私たちは殆ど何も知らないのだが。スキャン検査を欠いてはその知見はさらに乏しいものとなる。脳は別の事を語ってるのに、サイコパスが優しさや後悔の念を示すような偽装をするのは、全く容易な事なのだ。
つまり、そんな優しさなどある筈もない、サイコの脳所見がなければ、関係者は容易に騙されてしまう。
共感や倫理性と関係する、脳領野(熱い脳)の活動が低下してる事を示す、脳スキャン画像の異常を、つまりサイコパスの脳を自分自身の脳に見つけた時、つまり2005年の10月にファロンが遂行していた研究こそが、これだったのだ。つまりファロンは、自身がサイコの脳である事を全く知らずに、サイコの脳を研究していたんです。
ここからは、ファロンを一人称で捉えます。かなりガチですが、ご勘弁をです。
私がこの事実に怯えたり、気が動転したのでは、と読者は思うかもしれないが。私は自分の事をよくよく理解していた。
私の結婚生活は幸福で、3人の子供子宝に恵まれ、この子たちをとても愛していた。私はそれまで暴力的でも他人を操るような事も危険な犯罪を行った事も決してなかった。
私はハンニバルレクターではない。レクターは尊敬される一人の脳外科脳科学者で、患者たちの心を研究していたが。彼は自分の利益の為に、いかにして患者を上手くコントロールするかを研究してるとは、患者たちは疑いもしなかった。
私もレクターと同じ一人の 科学研究者ではあったが、彼と違って患者を持った事はない。しかし、私の脳スキャン画像はこれまで全く考えてもいなかった事を正しく語っていた。サイコパスたちの心についての研究を総括した論文を丁度投稿した所だった。
そこでは、サイコパシーの神経解剖学的基礎を論じているひとつの理論を提示し、それは私自身にも合致するパターンを示していた。
その為、サイコパスではないと思っている私の脳と、私が報告したばかりの、この私にも認められたサイコパスの特徴的所見を、どのようにしたら折り合いをつける事ができるのだろうか?
私が見出したサイコパシーの法則の一つの例外が、紛れもなく私であるという事であろうか。私たちが自分たちの脳をあらゆる思考や活動の下であるこの器官に依拠した研究が信頼できないとするなら、私は実際何者なのかという事になる。この事を理解するにはどうしたら良いのであろうか?
この青い部分で示した所は、非常に難しくも感傷的でもあると同時に、この著書の中核でもあり、ファロンの告解&咆哮&感情の吐露でもありますね。
つまり、サイコパスの謎はまだまだ深い闇の中にあるのであろうか。その闇が解明された時、サイコパスの良し悪しの全てが明らかにされるだろう。そして著者のファロンもサイコパスインサイドとしての生き方を確立するのではないか。
単にサイコパスというカテゴリで括るのは非常に危険過ぎるし、あらゆる方向からサイコパシーを研究する事で、サイコパシーを人類の進化に役立てられるかも知れない。
私達はまだまだ知らない事が多過ぎるのだ。無知こそがマイルドサイコパスを凶暴化させ、犯罪に結びつけてると言えなくもない。
サイコパスは人類の味方か敵か?結論を下すにはまだ早過ぎる。
全15回に渡り、サイコパスインサイドの闇と著者の等身大のジェームズ•ファロンをくまなく紹介したつもりですが。まだまだ足りない部分もあるかと思います。
でも書いた本人、つまりファロンと私めが一番の満足かと。
近年になって、サイコパスに関する書物は沢山出てますが。このファロンのルポルタージュ以外は読む必要はないでしょうか、今もこれからも。サイコパスに関する記述は、これ一冊だけで十全だと確信してます。
だからこそ、わざわざ15回に分けて紹介したんです。
有難う、ジェームズ•ファロン。そして、彼に協力してくれた家族や遺族や友人にも。それ以上にこの本を読んだ読者に、そして私の拙いブログに、嫌々ながらもアクセスしてくれた方にもです。
難しかったです~・・・
とても・・( ˘•ω•˘ )
こんがらがって・・( ˘•ω•˘ )
つまり、
あのその・・
3人のお子さんに恵まれたのは
エロファントさんのことですか?(◎_◎;)
トンチンカンな質問だったとしても
親戚の叔母さんじゃないので、
怒鳴らないで下さいよ😖
もう最高でーす。
3人の子宝に恵まれてんのは、ファロン博士の方です。青い部分は一人称で書いたので、混乱しますね。
この本はエピローグ(序章)が非常にガチ過ぎて、日本人にはウケなかった様です。でも、Vivaさん非常にいいとこついてます。
親戚の叔母さんと伯母さんを
怒鳴りつけたエロファントさん・・・
私は父方の親戚が、
子供の時から大っ嫌いでした。
今では赤の赤の真っ赤な他人に。
そこは気分の晴れどおしです。
北陸から(小出しに)愛をこめて💖
あの記事へのコメント、
爆笑でした(*^。^*)
ホント、母方の親族は子供の頃から嫌だった。まるで幽霊屋敷みたいで。とにかく貧して汚いのよ、全てにおいて。
叔母とか伯母とかいう漢字よく知ってましたな。私めには、こういった親戚を表す漢字は全くのチンプンカンプンです。
Vivaさんは父方の親戚が嫌だったんですな、ウンウン分かる分かる。大体において親戚という言葉自体が曖昧なんですヨ。私にとっては、放射性廃棄物みたいなモンですかな。
因みに、サイコパスは親戚を大切にする傾向にあるそうで。親戚付き合いがいい奴は、サイコの可能性が高いんです。ケッケッケ。
前にも言ったんですが、まだまだサイコパスの研究って、始まったばかりの駆け出しレヴェルなんですか。
でもその間に、サイコパス系犯罪は増え続けるのでしょうか。早くこの研究が進まないと、政治家や実業家や著名人は、サイコパスの温床になりそうです。
クリントン前大統領がサイコパスだったなんて少し信じがたいんですが。見かけや簡単なチェックではサイコパスは見分ける事が不可能という事であれば、何に頼ればいいのでしょうか?
ファロンが言うように、直感のみが頼みだとすれば、これ程曖昧な判断もないと思うんですが。
これからサイコパスの研究はどんな方向に進むんでしょうか。考えたらキリがない。
転んださんの全15回に渡るサイコパスブログ、御苦労様でした。とても勉強になりました。
ただ、エピソードはとてもユニークなんですが。エピローグが難しすぎ。この序章を読んで挫折した日本人も多かったろうね。
そういう私も途中から読んだのが良かった。お陰でこの著書と著者の全てを理解できました。
tomasさんには、全15回に渡って、お付合い頂き、有難う御座います。これからも宜しくです。
これこそがファロンの告解であり咆哮であり感情の吐露であると、締め括る転んださんも実に憎いです。
全15回すべてを隈無く読んだわけでもないのですが。ファロンの情熱と転んださんの惚れ込みようが、ここまでしっかりと伝わってきます。
御苦労様でした。そしてこれからも楽しみにしてます。
自身のサイコの脳と自身が研究し発見したサイコパスの所見と、この2つの融合こそがこの著書の解答なんですね。お見事という他ないです。
欧米の人種って、自由過ぎてチャランポランな様で、結構ガチな話題を好むんですね。脳みその自由度が違うんでしょうか、アジアの人種とは。
勿論、日本人も勤勉な筈の民族ですが。その対象はあくまでステレオタイプの安易な話題に関してです。
”明確なラベルを好む限り、カテゴリに支配された考え方から抜け出すのは困難である”と、ファロンは危惧するが。まさに日本人に向けて言ってるようで。
こうしたファロンの激白が個の著書の大きな魅力でもあります。ガチなブログに付き合って頂き有難うです。これからも宜しくお願いします。
熱い脳と冷たい脳くらいしか理解できませんでしたが。サイコって私たちが思ってる以上に、複雑なんですかね。
もし自分がサイコの脳だと診断されたら、その後の人生はどうなるんですかね。サイコかエイズ、どちらかを選べって言われたら、迷わずエイズを選びますかね。