8/6以来約1ヶ月ぶりのサイコパスですが。総集編を2回に渡り、書こう。
このサイコパスブログも、計12回に渡り、超長々とブログにしてきました。最初は、神経学の権威らしく、専門用語連発の博士博士した言い回しと、固くてガチな展開だったんですが。何とか、ウエブで確認し下調べしながら、慎重に原型を崩さない様に、稚弱な展開に落さないように、紹介したつもりですが。
アマゾンのレヴューをみると、大半が大人し目の印象に欠いたコメントのように見えました。これだけ世界中で話題になり、高い評価を得た作品が、日本という貧相な島国で茶化されるのだけはと、ブログを立てたんですが。
最初は、レビューのみの一話で終わるつもりだったんですが。読み続ける内に、著者の”共感しない筈の”脳の仕組みに共感してしまい、完全版みたいなブログになってしまいました。
マリリンモンローも、ベーブルースもコールガールも結構力が入ったブログですが。共感という点では、このサイコパスが一番ですかね。著者のジェームス・ファロンは、間違いなく、”熱い頭脳”を持ち、共感に溢れた、”熱い”科学者なんです。
サイコパスは犯罪者に近いが、サイコパスインサイド(内性サイコパス)は、ヒーローにもなり得るし、時代を切り開くリーダーにもなれる可能性を持つ。チームをまとめ上げ、活気を注入する役目を果たす、貴重な存在でもある。
ファロンは、自分がサイコパスである事を十二分に自覚しながらも、社会の世の中に役立つ、貴重な存在である事を学術的に述べてる。それも”熱い”煮え滾る気持ちを込めて。
でも日本人で、この本を、著者のJファロンを、等身大に理解できる人がどれだけいるのか。面白かった詰まらなかったという、一次元的で安直な、感想文的な評価が目立つのも事実。読書とは、感想ではなく何を学んだかでありますぞ。
”たかがブログ”でも言ったが。本というのは、数学の問題を解く様にして読むべきものだと思う。ただ読んでるだけでは問題は解けない様に、紙に書いて、計算し、洞察し、類推し、自分なりの解を見つけ出す。面白かった、詰まらなかったという感想は、解ではない。それは単に主観である。
ならば、この”サイコパスインサイド”という作品の”解”は何なのか?ズバリ、脳には2種類あるという事。著者ファロンによる、”熱い脳”と”冷たい脳”の発見。そして、この2つの脳の相互作用によって、規範が作られ、人間の衝動が制御され、行動がコントロールされるという事。
本来の人間の種々の行動パターンは、遺伝子で決まると言えそうだが。そんなに単純ではない。脳の深い部分で下された命令も基本的行動パターンも、ストレスや外的環境で大きく影響を受ける。
”遺伝が先か環境が先か”と問われれば、環境が先なのだ。遺伝とはあくまで、情報の組合せに過ぎず、野球で言えばラインナップみたいなもの。そのラインナップが上手く作動する為には、ある程度恵まれた環境が必要なのだろう。
ファロンは、環境と知能に恵まれたが、遺伝と共感には恵まれなかった。それでも、神経学の世界的博士であり、皆から慕わててる人気者なのにだ。”殺戮のDNA”と”熱い脳の欠如”は、その彼を最後まで苦しめる。
そこで、この作品の”プロローグ”を振り返る事で、彼のこの作品に対する思い入れが理解できようかと。
ファロンは、”サイコパスの若者の脳理解の為の神経解剖学的予備知識”という論文の仕上げにかかってた。この論文の基礎になってたのが、サイコパス殺人者の脳スキャンの解析である。
この種の殺人者の脳は、”熱い脳領野”である、自制と共感を掌る脳機能の低下を示す、共通のパターンが認められた。つまり、道徳と衝動抑制を支配する脳システムの欠如である。
もし、アルツハイマーの初期状態なら、全く同じ話を同じ表情、同じ身振りで、何度も繰り返すだろう。これが、統合失調症なら、話が進むにつれ、身体をあなたの方に、しつこい程傾けてくるだろう。両者とも脳の病気だが、症状は自明である。しかし、同じ脳の病気でも、サイコパシーは、症状がハッキリしないし、見分けが付きにくいという。
ファロンは、カリフォルニア大学医学部アーヴァイン校精神医学の教授で、解剖と神経生物学に所属する。彼の基礎研究により、3つのバイオテク会社が設立された。その内の1つは、25年に渡り、利益を上げ続け、国内的な賞も受けてる。
そういう彼は、根っからのごく普通の男なのだ。サイコパスすれすれの男であるという事を除けば、である。
彼の目的はただ一つ。単に自分の物語を語るとか、新しい科学的発見を主張するとか、ではない。
一般的な理解も合意も得られず、私達の文化において大きな注目を集めてきた、サイコパスという非自明なテーマに解明の光をもたらしたいからである。
例えば、イスラエルのガサ地区やLA東地区の様な暴力が慢性的な地区では、サイコパスに関係する遺伝子が集積され、増大する可能性がある。
女は保護されようと、悪く屈強な若者と結婚するが故に、攻撃的遺伝子が拡散し、暴力が拡大し、悪循環が作り出さ、暴力が繰り返されるのだ。
脳の解剖学と機能を研究する神経科学者であるファロンは、”人は機械であり、私達がする事も、私達が誰であるかも、殆ど私達が統制してるのではない。資質(遺伝子)は人格と行動の約80%を決定し、養育(環境)が決めるのは僅かに20%でしかない”と、私見を延べる。
しかし、彼が”サイコパスの脳”を持ってる事を知った、2005年以降は、手痛い打撃を受け、この私見は彼にとって障害とさえなり始めた。結局、人間は生来、複雑な生き物であるという事に落ち着く。
つまり、人間の行動や動機、欲望や欲求を絶対的なものへと還元する事は、誰にとっても酷い仕打ちとなる。
私達は、善と悪、正と邪、親切か執念深いか、無害か危険か、といった単純にドッチという訳ではない。それに、私達は単純に生物学的産物でもなく、科学というものは、本書が語る物語の一部しか語れないと。
以上が、本書執筆の理由だと、ファロンは熱く語る。
このプロローグこそが本書の解であろうか。つまり、この作品で書かれてある事は全て、サイコパスを解明する物語の一部に過ぎないのだ。
しかし、この作品がサイコパスの全てを解明する”最初の一突き”になる事は、明らかではある。リーマン予想の最初の一突きとなった、オイラーのバーゼル問題の解明と同様に。
総集編の前半はここまでです。
昨日は長々と失礼しました。
悪い環境にいる女は保護されようと、攻撃的遺伝子をもつタフな男と結婚する。そうなんだよな女って。ワルに惚れる女って結構いるもんな。一見、頼もしく言えちゃうんだよな。
結局、環境が人の生きざまを支配するってヤツ。著者もそういう事に気付いた時は、少しパニクったろうね。人の行動規範が単に環境のみで大きく左右されるんだから。しかし、こういったシンプルで単純な要素こそ、深い闇と謎が含めれてんだよね。
簡単なようで簡単じゃないのが、一番の難題なんですかね。
こちらこそ、昨日は勉強になりました。
全くその通りですね。類は類を呼ぶ、環境は同じ環境を呼び込むんですね。そして、負の連鎖があっという間に増殖する。
女は粗っぽい男に惹き付けられ、男は益々荒くなる。女はゲスな娼婦と化し、彼らを取囲む環境は益々悪化する。まるで、ゾラの『居酒屋』に登場する、スラムの世界と同じですかね。
そのゾラも、遺伝による人間の行動に注目してたんですが。遺伝よりも環境の方が人の生き方を左右する事に気付いてましたものね。
難しいですね~・・
昔のことですが、
私の知り合いにヤクザの妹さんがいました。
その二つ年上の彼女と私はとても気が合ったので、
彼女の家でお茶したり海水浴も一緒に行きました。
彼女の夫(彼女の兄のコブン)もヤクザ
という事でした。
その彼女が他の男性を好きになり、
わたしは相談されていました。
恋した相手もヤクザという事でした。
彼女曰く、
身体の彫り物に魅了されて、との事でした。
私には信じられませんでした。
彫り物に魅了されることが。
だから、その時は環境だと思いました。
一応消音して来ました(;^ω^)
あの音は心臓に悪いので(;^ω^)
でも、きょうは大丈夫のようです。
サイコパスブログ読んで頂いて有難うです。
珍しくシリアスなコメントですね。私の癖が写ったみたいで、ケッケッケ。
極論を言えば、99%環境ですね。遺伝は複雑すぎて、環境は単純過ぎますから。
ジャズも、シカゴやNYという環境がなかったら、ニューオリンズのままでは、売春宿のBGMが限度だったでしょうね。
類は類を呼ぶとか、系統利用とか。環境は確実に人を変えますね。しかし、その環境を覆すのは人間の持つ固有な遺伝なんですが。
”オイラーの前にオイラーなし、リーマンの後にリーマンなし”ではないですが。彼らだって、環境に恵まれてたから、アインシュタインやニュートンが雑魚に見えるほどの天才数学者になれたんです。
でも、超天才を生み出すには遺伝も必要ですし、難しい所です。