昨日、”死者は語る”と”完全犯罪は俺が許さん”ブログを読んで下さった方有難うです。昨年の11月に書いたブログなのに、ホント嬉しいです。最近、読書ブログが中々書けなくて、紹介したい本のレヴューなんて腐る程あるんですが。なかなか時間が取れなくて、スンマセン。
でも、この2つの本も、ある意味サイコパス系犯罪と密に繋がってますね。そういう意味ではとても興味深いです。それと、”ファウンダー”ブログのバックナンバーを読んで下さった方、ホント嬉しいです。更新した甲斐がありました。特に、番外編その4に関しては、追加を考えてます。
さて、”サイコパス”ブログですが。1ヶ月近く間が空きました。どうも”独り言”系が多くなって、ブログが捗りません。色んなジャンルのブログを書きたくて仕方ないのですが。
前回は、”2%の割合”で存在するというサイコパスが、様々な進化と突然変異を遂げ、文明を進化させてるのも事実という事を述べましたが。やはり、怖いですよね。時代の進化には、悪徳も時には必要ですから。必要悪だけでなく、絶対悪も必要な時があると。
死刑制度が必要悪であれば、当然、その死刑制度も絶対悪にもなり得る訳で。
先日、死刑に処せられた、オウムの麻原なんかは、典型のサイコ系殺戮者に思えてならんのですが。しかし、彼こそがオウム真理教をあれほどの大規模な宗教に育て上げたのも事実。
信仰に縋るしか他に救いのない、社会的弱者を逆手に取って上手く利用し、手懐け、財産をも吸い上げ、雁字搦めにして施設内に封じ込めたんです。高学歴の反社会的精神を持つ人材を集め優遇し、世間の信用とオウムの体裁を上げようとしたんですが。
”その10”でも述べた様に、麻原は大方の実権を握ると、時期が不確かでも、新しい市場を開拓しようと乗り出し、信者を鼓舞し、引き連れ、次の大きな山を目指した。事実、これは集団の為になるかもしれないし、ならないかもしれないが。”サイコ”と”麻原”を入替えると、ピタリとハマりますね。
とにかく、麻原はオウム真理教の”白”のイメージを全面に押し出し、政界進出を狙ったが。それがことごとく失敗すると、今度は社会転覆を狙い。判を押した様に無作為殺戮を繰り返すのですが。
要するに、全くファロンの言った通りになったんです。
お陰で多くの信者が行方不明になり、殺され、多くの罪のない無関係な人達までもが殺されたんですが。オウム真理教がここまで大きく成長した事は、ダーウィンの適者生存が当てはまるのか。この惨劇もカルト系宗教団体が大きく進化する為の、最初のステップに過ぎないのか。
話を元に戻します。
私達はナルチシズムなカリスマを何時の世にも必要とします。勿論、麻原なんかも例外じゃないでしょう。会長や社長になりたがるのも、サイコの典型な特質で、強い利己主義と饒舌と、少しのホラ話が必要なのだ。
金融、銀行、投資会社の重要なポストに、サイコパシーがいるのをファロンは認めてるが。元ナスダック会長のBRマドウの様な巨額詐欺の犯人は、その代表的なものだろうか。しかし、多くの大衆は、そんなタフガイでホットな取引と金作りをしてくれる、ヤツを好む。自分の儲けと利益のために。
しかし、フォーチュン誌の500社に選ばれてる様なトップの会社の重役たちは、ファロンが知る限りサイコではない。部下思いの家族思いの人間だと。しかし、比較的小さい会社の社長の一部には、サイコパスが多い。公的会社より、民間会社の方がその割合は高いと、ファロンは見てる。
ここで一言。凶悪な連続殺人魔には、こういった子供好き、家族思いの模範的資産家が多いのも事実だ。結局見た目ではまずはわからない。苦境に陥った時の反応でしか、サイコを見抜く事は出来ないと、私は思うんですが。麻原だって、たけしの前ではニコニコしてたんでずぜ。
犯罪性サイコパスの1年間の国家的負担は、4600億ドル(2011年度で、50兆6千億円)で、うつ病の費用を大きく凌ぐ。勿論、これに訴追、拘禁、損害額が含まれ、非暴力的サイコパスの費用を含めると、およそ天文学的数字となる。
しかし、サイコパスにはお金の節約になる様な利点があるのだろうか。サイコ系犯罪者も満更バカじゃない筈だ。逮捕されたくはないし、ビジネスが大失敗する事を望む筈もない。経済的に見れば、一方では社会の金銭を節約してるとも言えるし、一方では、消費してるのかも知れない。アホなサイコパスほど金が掛かるし、賢いサイコパスほど金を節約してるってことか。
歴史を振り返ると、サイコパスは強い兵士となる。人類は戦争が好きで、少なくとも必要なものと考えてる。戦争を支持する事は、必然的に後天的に人をサイコパスにするのだろうか。人間は自己保存の為なら、何でもする生き物だ。法も破り、殺害もする。西欧社会では、この事は非道徳的とは見なされない。
現代人は昔の人に比べ、戦闘における一人当りの殺害率でみると、その暴力性は相当に低い。この致死率は、時代を追う毎に低くなってる。こういった倹約の一部は、より効率的な長距離ミサイルの開発に起因し、戦争を寄せ付けない為の、より効果的な武器であり、より効果的な同盟も必要になった。
そこで一言です。白人と有色人種で、一人当りの殺害率を割り出すと面白いのでは。多分圧倒的に白人の殺害率のほうが高いであろうか。有名なシリアルキラーの殆どが白人系と考えると、勿論日本人にも多いが。サイコパスも白人系に偏るのか。
有能な兵士にとって、感情は命取りになる。同胞や住民を守る為には、引き金を引く事を恐れず、戦闘を楽しんだり興奮したりしてはいけないのだ。平時にあってはサイコパスと思われかねないが、0.05秒の生死を分ける様な戦場下では、サイコパスは極めて有効なのだ。
しかも、サイコパス達は戦闘を生き抜く確率が高く、帰還してもPSTDに罹患する危険も少ない。が、サイコパスを戦場に送り込む事は危険であり、軍隊はチームプレイとルールが鉄則で、敵軍との戦いだけではなく、部隊を守る為の戦いでもある。
私の知り合いの退役軍人は、その闘争本能をスイッチのオン/オフの様に自然にできるという。 勿論、彼はサイコなんかではない。
確かに、戦場で味方に対し、冷酷殺人を繰り返されては戦争どころじゃないもんね。
しかし、ワルほど魅力的でセクシーだと感じる女性が多いが。同時にこれが離婚の原因にもなる。
私達の一部が時に望むのは、究極的には支配でき、私達自身のものとも言える。それこそが、自分達の為に働いてくれるラフプレイヤーであり。このラフプレイヤーこそがサイコパスなのだ。少し微妙で際どい言い方ですが。地元の荒っぽい田舎議員の事でしょうか。味方につければ頼もしいが、敵に回せば厄介な存在。
こうした類いのサイコパスこそが、私達の望む興奮や危険な騒動を提供出来る存在なのかも知れない。この愛すべきサイコパスの存在は、大衆文化の中では、ロマンチックなヒーローともなりかねないのだ。
ラフプレイヤーこそがサイコパスという考え方は、とても新鮮に映りますね。まさに、逆転の発想です。サイコパスという絶対負の要因をプラスの存在に変えるというロマンチックなアイデア。
しかし、それなりの危険もあるのですが。どっちにしても、幼少の頃の環境がサイコパスの人生を運命を、大きく左右するのは確実ですが。
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