お笑い芸人にしては、小説が上手に書けるレヴェルで、”純文学とか芥川賞に値する”とは全くの別問題だと思う。
ビートたけしと又吉直樹の対談を読んでてそう思った。たけしは、又吉の事を”上手な文章が書ける”芸人と評した。
対談の冒頭で、”俺の最初の小説は覚えてないんだよな、ゴーストライターが勝手に書いちゃってさ”って突っ込んだのには笑った。
それに対し、又吉が”またそれですか”とぼける。
芸能人が書く小説はどんなジャンルであろうと、ゴーストライターが書くのが業界の定説となってる。お笑い芸人の又吉直樹さんが芥川賞(2015)をとった時、色んな面で大きな話題になた。お笑い芸人での受賞者としては史上初の快挙でもあったのだから。
因みに、又吉さんは太宰治の大ファンでもある。お陰で現在の職業は、お笑いではなく念願の小説家というおまけ付だ。
「火花」の真相と吉本の危険な賭けと
ただ、300万部近くを売上げた「火花」(文藝春秋 2014)の編集部の執念と功績は大いに評価すべきだろう。因みに、単行本の発行部数は253万部(文庫は30万部、電子版は10万DL)を突破し、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を抜き、芥川賞作品として歴代第1位だ。
タイトルの「火花」は、たけし監督がパルムドールを勝ち取った「花火」の逆文字だ。
これだけを見ても、又吉さんが所属する吉本の”危険な賭け”が見て取れるだろう。
ただ、私はこの小説を読もうとは思わない。イヤ読む気が起こらない。お笑い芸人が書いた空前絶後の純文学小説を、編集部で飾り立て、吉本が煽り過ぎたからだろう。未編集の「火花」を見てみたいと思うのは私だけだろうか?。
つまり、吉本の策謀とまでは言わないが、陰謀の微かな匂いがここまで伝わってきそうだ。
芥川賞受賞の背景には、当初言われてたゴーストライターの存在ではなく、この吉本と編集部の存在が大きいとされる。
私がバルザックやゾラの小説、特に古書を読みたがるのは、余計な着色が混ざってないからだ。実際にバルザックの文体は無造作に殴り書きした趣で、とても汚い。しかし、これが逆に深層なる味わいを醸し出す。
現代人が活字離れなのは、ネットの影響もあるが、古書を読まないせいだ。一度古書に触れれば、古臭い日本語の優雅な奥行きに、軽薄短小な現代人でも堪能できるであろうか。
つまり「火花」は、吉本が主導し、編集部が構成とプランを立て、そして売上げの流れを作り、一気に受賞作にまで昇華させたと言えなくもない。
当の作家が”そこそこ売れない”芸人?というのも、編集部にとっては非常に都合が良かったか。その上、”純文学”という馴染み難いジャンルも受賞の大きな決め手となったろう。
これが広瀬すずだったら?セクハラを含む間関諤々の大騒動だったろうね。
私としては、お笑い芸人の後はAV女優に芥川賞をぜひ獲って欲しいのだが。その時は、私進んでゴーストライターやります。それに編集もカバーデザインも巻末の解説も、宣伝コラムも書きます。でも、印税の5割は欲しいで〜す。
タイトルはズバリ、「わたし舐めません」だ(悲)。
ゴーストライターか?編集部か?
ま冗談はここまでにして、何故そこまで危険な綱渡りをして、タレント本を賞レースに敢えて参加させるのか?
タレントが本を出版する際は、前述した様にゴーストライターが代筆するのは世間の常識だ。故に、又吉氏の「火花」がゴーストライターによる作品と揶揄されたのも当然だろう。しかし、今回はゴーストライターの線は全くないとされる。
以下、OKWAVEの模範解答から一部抜粋です。
”しかし、(一応)純文学というジャンルでゴーストライターを雇う筈がない。純文学で儲けようと思ってる出版社はいない。
この純文学というジャンルは、単純に編集者の力比べの場だ。文学誌の売上部数はたかが知れてる。それに賞を取るかも分からないのに、ゴーストライターを立てるのはナンセンス。
もし、これが売上の為ならどんな博打なのか?逆に、必ず賞が取れるゴーストライターがいたとしたら?そいつを世に出した方がずっと手っ取り早い。
単純に、受賞者に力量が無いのなら編集者の力だ。受賞者後に第一作だけ書いて出版社を替える作家が多いのは、賞を取る為の”作文”を嫌がるからだ。
万が一、我慢できても賞を取ったらすぐ逃げ出す。よほど文学好きで、かつ素直な人でないと、又吉氏のあの受賞後の話はなかなか言えない。もし、そのゴーストライターを吉本が管理してたとしたら、著名な芸術屋の作品みたいに、又吉氏の本がこの後、月に3冊位のペースで刊行されたりして”
ここまで書くと、芥川賞と吉本の関係がよーく理解できる。つまり、暴力団の繋がりと安っぽい陳腐なお笑いでイメージが急落した吉本は、とうとう純文学の分野に進出してきたのだ。
故に、暴力団の負のイメージから脱却するには、純文学の清きイメージが必要だった訳ですね(コメント参考にしました)。
つまりゴーストライターではなく、優秀な編集部(文藝春秋)を囲い、又吉氏にぶつけたとも言える。因みに編集者は、原稿がなくても僅か一行のタイトルさえあれば、著名な作家顔負けの小説くらい書けるという。
そういう私も僅か数文字のタイトルだけで、原稿用紙20枚を超える超短編を書けなくもない。少し短めですが、”わたし舐めません”もClickです、しつこいですな私も(悲)。
又吉氏の場合、何度も何度も女性編集者の浅井茉莉子(写真)と打ち合わせをしたという話は有名だから、その都度、沢山の”筆入れ”していたらしい。
故に、”作家•又吉直樹の生みの親”として注目されるのも当然だろう。それ以上に、「火花」の生みの親でもある。
勿論、又吉と浅井茉莉子嬢だけでなく、文藝春秋が送り出すアドバイサー群の協力もあっての作品だろう。そういう意味では「火花」というタイトルは実によく出来てはいる。
たかが芥川賞、されど芥川賞
町田庸や辻仁成、川上未映子といった元ミュージシャンや元画家の池田万寿夫も芥川賞を受賞した。又吉氏だけを芸能人枠でとらえなくても、との意見もあるが。
ただ、これだけ吉本の影が強いと、何かイチャモンをつけたくなるというのが人情だ。
今や文学界も芥川賞にも昔の様な権威があるとは思えない。陳腐な賞取りレースに成り下がるのはどんな権威のある賞も同じだ。
ノーベル文学賞が”戦争犯罪”賞と揶揄されてるのと同じ様に、今や芥川賞も”最優秀タレント本で賞”と名を変えてもいいのではないか?
しかし、どんなに芥川賞が廃れても、僅か100万の賞金額とはいえ、この文学界で最も権威ある賞は、お笑い芸人が兼業で取れる賞ではない。それだけは確実に言える。
またどんなに吉本が廃れても、吉本の力だけで芥川賞を取れる筈もない。又吉氏を取り巻く編集部の執念こそが芥川賞を勝ち取ったのだと思う。またそう信じたい。
つまり、吉本が送り出し、浅井茉莉子が作り上げたお笑い作家である事に異論はない?
たけしさんの微妙なツッコミに又吉も答えようがなかったですから。
吉本を口にする事はなかったんですが、もう見え見えでしたね。
慎太郎の「太陽の季節」でしたね。
数ページ読んで”なんじゃこら”って感じでした。
それから受賞作は興味を覚えなくなりました。事実、新人賞みたいなもんですもん。
たけしさんも結構、又吉の事を遠目で皮肉ってました。
吉本の陰がバレバレでしたね。
芥川賞受賞作を集めた本を読んだ事あるけど殆ど印象に残らなかった。
遠藤周作の「白い人黄色い人」、石原慎太郎の「太陽の季節」、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」もこれが?って感じだった。
勿論いい作品もあったけどどれもが優等生的で心を打たないんだよね。
暴力団と吉本と純文学を繋げる辺りは流石でーす。
まさしく見事な喩えです。
いや揶揄ですね。
でも又吉さんからすれば、小説家として成功すれば、吉本お笑いの負のイメージは払拭できるかもです。
ただ、吉本の派閥から抜ける事はキツくなったかな。
吉本もうまくやったよな
黒いイメージを覆すには
純文学の清きイメージで払拭か
芥川賞の一丁上がりってとこですかね。
手コキでシコシコの時代が懐かしい?
でも又吉直樹が書く小説は作らされたモノだから、楽しめないかも?
誰でも彼でも一億総作家時代
芥川龍之介も複雑な心境か
ネットコピペで手扱ぎさせるのではなく
手書きでシコシコ地道に励む
穴ログタイプの書き手が
少なくなったよな~